2013年 11月

ヒーロー

2013/11/10

アンパンマンは正義のヒーローです。正義のヒーローというと、強くて悪者をやっつけるかっこいい存在というイメージがありますが、アンパンマンは全く違います。顔を食べさせれば弱くなるし、顔が濡れると力が出ません。そんなときはジャムおじさんに顔を取り替えてもらわないとだめなので、「ジャムおじさんを呼んで」と泣いちゃったりすることもあります。作者のやなせたかしさんはそんなアンパンマンを世界最弱のヒーローと呼んでいます。

テレビの番組には子ども向けのヒーローものがたくさんあります。たいてい戦うのが強くて悪者をやっつけるというストーリーが展開します。ところが、アンパンマンはいざというときは強いのですが、弱いときもあります。いつも強くてよりも、なんかその方が親しみが持てるように思います。いつも強い人なんていませんものね。普段は普通の人だけれども、いざとなったら誰かのために強くなって誰かを助けるのです。

いつもアンパンマンにやられてしまうばいきんまんも、どことなく憎めない、というよりもかわいらしいキャラクターだと思います。「アンパーンチ!」とアンパンマンにやられて「はひふへほー!」と飛んでいってしまいますが、次にはまた登場していたずらをする。結構どぎついいたずらもしますが、なぜかあまりいやみが無く、アンパンマンと良いコンビという感じがするのです。

一つは「正義ってなんだろう?」ということです。勧善懲悪を否定するわけではありませんが、正義は立場が変われば変わりますし、時代が変われば変わることもあります。もちろん変わらないこともあります。やなせたかしさんは、飢餓は誰にとっても最大の危機で、おなかがすいて死んでしまいそうな人を助けることは、誰にとっても正義なのではないかとおっしゃっています。だからアンパンマンの正義はおなかのすいた人を救うことなのだそうです。

やなせたかしさんのことですから、もっと深い意味が込められていると思いますが、アンパンマンのことを書いていたら、こんなところに思いが広がりました。

歌詞

2013/11/09

アンパンマンの主題歌にアンパンマンのマーチというのがあります。この歌詞もよく聞くと心に響く内容です。少し抜粋してみましょう。

そうだ うれしいんだ  生きるよろこび  たとえ 胸の傷がいたんでも

今生きていること、そのことだけでうれしい。ありがたい。というメッセージに聞こえます。生きているといやなことや辛いこともたくさんあるけれど、それを「ありがとう」と言って良いことにしたいですね。そんな心の力をいつも持つことができたら、幸せなのではないでしょうか。

なんのために生まれて なにをして生きるのか こたえられないなんて そんなのはいやだ!

なんのために生まれて、何をして生きるのか?そんな中学生の悩みのような青いこと・・・なんて思いそうになりますが、自分はなんのために生まれてきたのか、何が自分の使命なのか、自信をもってはっきりと答えられるでしょうか。今、自分がここに生きているということは、両親その両親、ご先祖様がいらしたからです。大げさな言い方かもしれませんが、長い人類の歴史を背負って生きているのです。そんな時間軸でつながる縦のご縁と、今を共に生きる様々な人々のおかげ、人間だけに限らずあらゆるものとのつながりの中で生きている。そんな横のご縁があってはじめて、今ここに生きています。そんな様々なご縁のおかげで頂いた自分のいのちをどう生きるのか、どう使うのかよくよく考え、本当にそう生きているのか、いつもふりかえる必要がありそうです。

なにが君のしあわせ なにをしてよろこぶ わからないままおわる そんなのはいやだ!

幸せってなんでしょう?自分が心から素直に喜べることはなんでしょう?何に価値をおいて生きていますか?と問われているような歌詞です。幸せはそれぞれの心の中に生まれます。同じ状況でも、幸せと感じられる人と、不平不満ばかり言っている人とでは幸福感は全く違うでしょう。また、幸せは他との関係のなかで生まれます。自分自身が何かの役に立つこと、なにをもって誰かの役に立つことができるのか、そんなことが幸せに関わっているのではないでしょうか。

この歌詞は、迷ったときや辛いときに勇気を与えてくれます。作詞されたのは、アンパンマンの産みの親である、やなせたかしさんです。アンパンマンがおなかをすかせた人に自分の顔を食べさせることも、この歌の歌詞もとても心に響きます。やなせたかしさんの深く熱い思いがつまっているのだと思います。

やなせたかしさんはやなせたかしさんは、10月13日ご逝去されました。心よりご冥福をお祈りします。

菩薩行

2013/11/08

初めてアンパンマンを知った時、自分の身を捧げて相手を助ける。子ども向けアニメのヒーローがそんなキャラクターだというのは、驚きました。

仏教の経典の中には、さまざまな前世の因縁、特にお釈迦様の前世の物語を説いた本生譚(ほんしょうたん)と呼ばれるものがあります。施身聞偈や捨身飼虎という話は、法隆寺の玉虫厨子に描かれていることで有名です。

施身聞偈はこんなお話です。雪山童子が山中で修行をしていると、「諸行無常、是生滅法」と称える声が聞こえました。声の方を見ると羅刹(鬼)がいたので、この句の後半を教えてほしいと羅刹に頼むと、羅刹は「お前を食わせてくれるなら教えてやろう」と言います。童子は羅刹に食べられる覚悟で後半の「生滅滅已、寂滅為楽」を聞きます。そして、その句の意味を深く味わい岩にその句を刻み、約束どおり我が身を与えようと崖の上から飛びおります。そのとき、羅刹は帝釈天の姿となり、空中で雪山童子を抱きとめてくれたというお話です。

また、捨身飼虎は、薩埵王子が、飢えた虎とその子のためにみずからの身を投げて虎の命を救ったというお話しで、雪山童子も薩埵王子もお釈迦様の前世の姿だといいます。自らの命を賭けてまでも法を求め、困っている者を助けるのです。

アンパンマンが自らの顔を食べさせる姿が、これらの話と重なって思えたのです。

このほかにも、経典には、身命を惜しまず悟りを求めて勇猛に修行する菩薩の姿がたくさん描かれています。菩薩とは自らは悟を得る事ができるのだけれども、一切衆生が悟りを得るまでは自分も悟りを得ないという誓いを立てて一切衆生と共に悟りを目指し、みんなが悟りを得るまで修行しつづけるのです。この菩薩の修行で大切なものとして他者に施す「布施」ということがあります。

アンパンマンは自分の身を削って、おなかをすかせた人に施す菩薩行を行なっているじゃないかと思いました。

アンパンマン

2013/11/07

アンパンマンは子どもたちに大人気のキャラクターです。アンパンマンがいつ頃生まれたのかと思って調べてみたら、その原型作品は1969年の『PHP』に掲載されたそうです。そのときは人間の顔をしていて、顔があんパンになったのは、1973年にフレーベル館の『キンダーおはなしえほん』に掲載された「あんぱんまん」からです。1988年から日本テレビ系列で「それいけ!アンパンマン」がテレビアニメとして放映されはじめ現在まで続いています。

私が初めてアンパンマンを知ったのは、まだ学生の頃だったと思います。その頃、お茶のお稽古に毎週先生のお宅に通っていたのですが、お稽古をしていると、先生のお孫さんが見ていた「それいけ!アンパンマン」の音声が聞こえてきて、ついついそれが気になって、お点前がおろそかになってしまっていたことを思い出します。

最初はなにかかわいらしいアニメを見ているんだなと思っていたのですが、耳に入ってくる音はどうも聞き入ってしまうので、聞いていると。アンパンマンが「おなかがすいているんだね。ぼくの顔をお食べ」といった意味のことを言っていたのです。その台詞に軽いショックを覚えました。自分の顔を食べさせるとはどういうことなのだ。しかも子ども向けのアニメで、主人公のキャラクターがそんなことを言っているってどういうアニメなのだろうと言うことが気になって、お点前がついついおろそかになってしまったのです。そのあと、絵本だったかアニメだったかでアンパンマンを見たときに、本当に顔がかじられたように欠けていました。どうやら顔を食べさせてあげて顔が欠けると、顔が濡れたときと同じようにアンパンマンの力も減るようですが、それでも自分の顔を食べさせて、力なく飛んで帰るのです。なにかものすごいキャラクターだと思いました。

メロン 5

2013/11/06

メロンを育ててみて、メロンのことを気にかける、今の様子をよく見て何をすることが必要なのか、しない方が良いのかをしっかりと判断して行う事が大切だと教えられたように思います。もちろん、目的はメロンを実らせることなので、人為的といえば人為的かもしれません。しかし、種を蒔きっぱなしで放置放任しておいては、育つことも実らせることもできなくなります。

自然農もそうですが、「自然に」というのは、何もしないで放っておくことではありません。そうすると、育つものも育たなくなります。他の草や虫などまわりの環境が最大限に活かせるように、また作物自身の力がもっとも発揮できるように考えなくてはならないのです。そのためには、その植物のことをよく知る。目の前の植物の今の状態を把握することが最も大切になってくるのです。

子どもだって、適切な時期に適切な環境を用意し、支えが必要なときにはしっかり支えることで育つのです。子どもは自発的に環境に働きかけることで、主体的に育ってゆきます。しかし、大人は何もしない方が良いなどと「子ども主体」を誤解して、子どもが興味を持てるような環境を整えておかないことは、子どもの発達の機会を奪うことになり、全く無責任な話です。逆に大人の思うようにさせようとしていろいろなことを教え込んでも、子ども自身がしたい発達、その子にとって今必要なことと違っていれば、それもその時に必要な子どもの発達の機会を奪うことになります。

今その子に何が必要なのか知るためには、その子をしっかりと見て、その子は今どう思っているのだろうとその子の気持ちに心を運ぶ必要がありますし、それ以前に発達ということを理解している必要があります。その上でその子が自ら関わりたいと思うような環境を用意します。それをするためには、幅広い知識と柔軟な発想、何よりも子どもにとって最も良い育ちとは何か、ひとり一人異なる子どもが平等に発達の機会を得るためにはどうすれば良いのかを常に基本として考え続けなければなりません。

もちろんメロンと子どもを比べるわけではありませんが、メロンの育ちをふりかえっていたらそんなことを連想してしまいました。ごめんなさい。

メロン 4

2013/11/05

メロンで作る特大リースはうまくできませんでしたが、メロンの生命力を感じると同時に、自然はなかなか思うようにはならないものだということ、思いのかけ方と手のかけ方の難しさを感じさせてくれました。自然農の畑も、「自然に」といってほとんど面倒を見ないと、収量は極端に減りますし、作物が絶滅の危機に瀕します。必要なときに必要な手をかけることが大切になってくるのだと思います。そのタイミングや方法を間違えるとうまく育たないようです。その植物にとって今必要なことを知り、どうすればその植物の自分で育つ力をもっとも発揮できるのか、他の植物などとの関わりも含めて考える必要がありそうです。そのためには、まず、その植物のことをよく知ること、そしてしっかりと気持ちを運び、その植物の今を見る必要があります。

スイカやメロンはトマトやキュウリと違って、自分の身体を作る時期と、子育ての時期の切り替わりがはっきりしていて、いったん赤ちゃん(実)を宿すと、自分のみを削ってでも我が子に栄養を送り込もうとします。ですから、まだ体づくりができていない時期に実をならせると、子どもに十分な栄養を送ることができないまま、身体を弱らせてしまうのだそうです。(『のらのら』2013夏号より)

ですから、しっかりとした実をならせるためには、親蔓を何節目で摘心する、元気のよい子蔓を伸ばす、子蔓の何節目についた雌花に受粉する、たくさん実ができないように摘果するなど、作物の様子をしっかりと観察して、今は成長のどの段階にいるから、どんなことが必要なのだろう。と考え、花が咲いた、実がなったと今の姿だけを見て喜んでいるだけではなく、その意味を将来と結びつけて考える必要があるのだと思います。

メロン 3

2013/11/04

その後、メロンはぐんぐん大きくなり、花がいくつか咲きました。メロンには雄花と雌花があり、自然に受粉もするのですが、人為的に受粉させてあげると希望通りの雌花に実がなるそうです。晴れた日の午前8時から11時頃に受粉するのが良いとありました。摘心や受粉もそうですが、10〜14節目に出てくる孫蔓は伸ばすとか、葉っぱを3枚残して摘心するとか、雌花2つを選んで受粉をさせ、実がついたら摘果をして、最終的に一つのプランターに2個のメロンができるようにするそうです。そこまで考えないと、うまくできないのですね。もっと心を運び手をかけてあげなくてはいけなかったなと反省しました。

最初に思い切って摘心しなかったので、その後が全くでたらめなことになってしまいましたが、それでも元気に育って花が咲き、しばらくすると雌花の根元が膨らんできたので、受粉も自然に行われたのでしょう。花もいくつか咲いていたのですが、2つのプランターに1つずつ実がなりました。思い描いたリースのようにはなりませんでしたが、一応アーチにぶら下がる形で実を結びました。

しかし、種を蒔いたのが遅かったこともあり、実を結んだのが9月に入ってからで日照時間も短くなり、気温も下がってきたからでしょう、葉や蔓など株全体の元気がなくなってきて、直径8センチくらいになった実を残して全て枯れてしまいました。もう少し早い時期から取り組んでいれば、少しは大きく成長したかもしれません。
せっかく実ったので、収穫して2つに切ってみると、小さいながらも中はしっかりメロンです。果肉がオレンジ色の種類だったのですが、切ったときにはメロンの良い香りが漂ってきましたし、種もちゃんと入っています。スプーンですくって少し食べてみたら、結構甘く、ちゃんとメロンの味がしました。小さいのにたいしたものです。全て食べることはできませんでしたが、メロンのたくましさに驚きました。

せっかくアーチのついたのプランターも作ったことですし、次に挑戦するときには、成功させてみたいものです。

メロン 2

2013/11/03

メロンの種を蒔いてみて、「メロンって意外に強いんだなー」という印象を持ちました。双葉の次に本葉が出た後、どんどん葉っぱが増えて、茎も伸びてゆきます。そのうち蔓が出てきました。

針金を使って蔓を導こうとしましたが…

本には何番目かの蔓が出たら、摘芯して4本の蔓1本ずつをアーチに伝いやすいように導いてあげるように書いてありました。ですが、その時点では4本の蔓は短くてアーチまで届かなかったので、針金を伝ってアーチに導こうとやってみました。そして、せっかく伸びてきた茎をここで切ってしまって良いものなのか、もう少し蔓が伸びてからにしようかなどと考えているうちに、茎がどんどん伸びていって、最初にアーチに伝わせようと思っていた蔓は、伸びなくなってしまいましたした。

大きな葉っぱが育ちました

その代わり伸びてゆく茎から何本も蔓が出て、お互いに絡み合うので、絡み合った蔓が切れてしまわないよう、慎重にほどいてアーチにつかまらせます。うまくつかまらせてあげると、しっかりと巻きついて茎を支え、上へと伸びてゆきます。添わせ方がまずいとすぐに離れてしまいます。あまり無理にしない方が良いのかもしれません。

本来なら、4本の蔓をアーチの脚部分から伝い上らせて葉がリースの輪のようになり、そこにメロンがぶらさがって実るはずだったのですが、それほど思うようにはいきません。

私のやり方がまずいのでしょうけれど、まったく自然に任せるのか、自分が思うように育てるのか、メロンがどう育ちたいのか心を運びながら、自分の思いも伝える努力をするのが良いのかと考えてしまいました。

もともとプランターという不自然な場所で育てはじめているので、放っておけば、プランターからこぼれ落ちて、地面を這うことになりそうでした。ですから、何とか蔓がプランターからはみ出ないように、少し茎を持ち上げるように針金で縛ってあげるなど少しお手伝いをして見ました。

メロン 1

2013/11/02

  芽を出したメロン 7月27日

夏においしいメロンを頂いただきました。食べ頃になったので、カットして種を取っていたら、6歳の三男が、この種を蒔いたらメロンができるかな?と聞くので、一緒に蒔いてみることにしました。私が使わせてもらっている園の畑は自然農法で作物を育てようとしていますが、自宅はそうもいかず、プランターで育てなければなりません。

ちょうどそんなときに、農文協から発行されている『のらのら』という子ども農業雑誌に「きみにもできる!あこがれのスイカ&メロン栽培」という特集が組まれていたので、読んでいたら「プランターでメロンの空中ブランコ栽培」という記事がありました。

ぷらんたーに植え替えました 8月4日

プランターの上にアーチを組んで、メロンの蔓を這わせることで、アーチにメロンが実るというのです。「メロンで作る特大リース!? つくりかたを大公開!」とサブタイトルにありました。

これに挑戦してみようと思いつき、まず、植木鉢2つにメロンの種を3粒ずつ蒔きました。本には、簡単に育つようなことが書いてありましたが、ほんとうのところメロンなんてそう簡単には育てられないだろうと、あまり期待せずにいたのですが、3日ほどしたらかわいらしい芽を出しました。

しばらくすると本葉が出て着実に大きくなってゆく姿にはちょっと驚きです。こんなにすぐに芽を出して早く育つのなら、早くプランターを用意しなくてはと思い、あわててプランターにアーチを取り付け土を入れて、本葉が出たメロンの苗を1つのプランターに一株ずつ植え替えてあげました。思ったより早く大きくなったのには驚きです。

おたのしみかい2013(4)

2013/11/01

おたのしみかいでは、学童保育に来ている小学生達がひとつのコーナーを担当していました。小学生達が担当の先生を交えてみんなで考え、この日のためにいろいろと準備してきたのでした。

コーナーは「てんてん遊び」と呼んでいる、キッチンペーパーと水性ペンを使ってカラフルな模様を作る製作遊びです。コーナーを訪れてくださった方が、製作をして楽しめるように、何が必要か、どう提示すれば園児達にも取り組みやすくおとなも楽しめるのか・・・などいろいろと考え、10月は一所懸命に準備に取り組んでいたようです。

他の大切な予定がある日でも、「準備をしなくては!」と予定の時間ぎりぎりまで、学童保育を行っているめぐみ精舎にいてくれた女の子もいました。それほどまでに、やらなきゃ!という前向きな気持ちでいてくれることがとても、嬉しく思いました。みんなにも頼りにされていたのかもしれませんし、自分の好きな分野のことだったからかもしれませんが、どちらかというと控えめなおとなしい女の子なので、そんな気持ちでいてくれることを担当の先生から聞いたときは、その子の気持ちの強さが伝わってくるようでした。自分がやらなきゃという責任感や、自己有用感のようなものを感じてくれているように思いました。

小学生達が気持ちを込めて作ったからでしょう。てんてん遊びコーナーは盛況でした。どんな子も楽しんで取り組んでいたのはもちろんですが、とても真剣な顔つきで一所懸命に作っていらっしゃる保護者が多かったのには驚きました。準備をした小学生達も嬉しかったことと思います。

どんな人にでも相手にわかりやすくするためにはどうすれば良いかをよく考えて、上手に接客していました。1歳児のお手伝いをしていた男の子はできるだけ相手の子が自分でできるようによく考えてサポートしていたのが水性ペンのキャップを外すのがむすかしかったら、そこだけ手伝ってあげるなど、相手のことをよく考えてくれていたように思います。

みんなそれぞれに楽しめた「おたのしみかい」になりました。ご協力下さった皆様ありがとうございます。

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