2012年 1月

こままわし

2012/01/21

昨年のクリスマスプレゼントで5歳児たちがこまをもらいました。ちなみに3歳児は両手をすりあわせるようにして回す手よりごま、4歳児はかるたです。お正月の遊びにちなんだものを選ぶことが多く、プレゼントを何にするか決めるにあたっては、これを使ってこんな風に遊ぶと楽しそうかな?子どもたちがどんな遊び方を考え出すかな?など保育士が思いを込めて選んでいます。

5歳児がもらったのはいわゆる投げごまです。軸にひもの端をひっかけて胴体にひもを巻き付け、その状態で投げ、ひもを引くことで回転させるものです。子どもたちにはこれが結構難しいらしく、なかなかうまく回せません。何度も何度も練習しています。子どもによってはコツをつかむのが早くて、すぐに回せるようになる子、回せなくても何度も何度も挑戦する子、すぐにあきらめてしまう子など様々です。

回せるようになった子が少しずつ増えてくると、みんなで回しあったり、誰のこまが一番長く回っているかを競ったりしています。更に上手になってくると、狙った位置にうまく投げられるようになります。木工が得意な保育士が、こまを回すための板を作りました。子どもたちは「こまスタジアム」と呼んでいるそうです。正方形に切ったベニヤ板に高さ1センチくらいの縁をつけたもので、80センチ角、60センチ角、40センチ角、20センチ角の4つができていました。保育士は最少3センチ角くらいの小さいものを作って、子どもたちがそこを狙ってこまを回すことに挑戦して欲しいといっています。こまスタジアムを作るにも、大人が一人で作ってしまってはおもしろくないということで、子どもも角材を切ったり、木ねじでとめたりしてみんなで力を合わせて作りました。普段から木工コーナーがあれば良いのですが、スペースの関係などでまだ整備できていないので、こんな機会にのこぎりを使ったり、ねじを回したりという体験をさせたかったようです。

このブログを書くために、保育士に様子を聞きに行ったら、子どもたちと積み木を出そうとしているところでした。私がこまの話を切り出すと、子どもが「こまで遊びたくなってきた」と、こまを回し始め、そこにいた3〜4人の子どもと、保育士、たまたまお迎えにいらしていたお父さんが、こま回しが始まりました。子どもたちは結構うまくなっていたので驚きです。私はといえば、小学校以来ほとんどやったことがなかったので、回せるかなーと思いながらやってみたら、意外にすんなり回りました。お父さんは手に乗せるなど少し高度な技を披露してくださり、みんなでしばらくこま回しをして遊びましたが、子どもよりも大人の方が楽しんでいたかもしれません。

 

防災教育 2

2012/01/20

東日本大震災による津波から避難した釜石市の小中学生について書きましたが、前回あげた例以外にも祖母と自宅にいた小学生が祖母を介助しながら避難していたり、指定避難所の公園にいた小学生が津波の勢いの強さをみてさらに高台に避難するなどしていました。ここでも1. 想定にとらわれない 2. 最善を尽くす 3. 率先して避難するの「避難3原則」が生かされていたようです。

このようなことができた背景には、釜石市の教育委員会が、小中学生を対象に実践的な防災教育を実施し、授業で津波の怖さを学ぶ。災害時の危険箇所や避難場所を自分で書き込んだ地図を子どもが作成する。帰宅途中に地震が起きたと想定して、どこが安全か、津波の際はどこに逃げるかを子どもたちが考えるようにする。ことを続けてきたことがあります。授業で津波の怖さを学んだ子どもたちが、地図作りや避難訓練を通して、自ら考え、判断して行動する環境が用意されていたからこそ、いざというときに子どもたちが自ら動くことができたのです。

この自ら考え、判断して行動することは、なにも避難行動にだけ必要なことではありません。普段の生活のなかでこそ、子どもが自分で考え、判断して行動する力を養っておく必要があるのだと思います。津波は来なくても、これからの人生で襲いかかってく困難を乗り越えてより良く生きるためにも、子どもが主体的に考え、判断し行動する力こそが今、最も大切にするべきことではないでしょうか。ですから、毎日の生活の中で、大人が指示しすぎるのではなく、子どもが自ら考え、判断して行動する環境を用意しておくことべきなのです。当園でもそういった環境をもっと整えてゆきたいと考えています。

もともと三陸海岸地方には、津波が襲ったときに家族がてんでんばらばらに逃げろ。生きていればきっと会える。という「津波てんでんこ」の教えが語り継がれていました。それは、一人一人が自分の命に責任を持つことと、そのうえで、家族がお互いを信じ合うことの大切さを教えてくれているのだと思います。「きっとうちの子は無事に避難している」と信じることなしには、てんでばらばらに避難することは難しいのではないでしょうか。

この、子どもを信じ切ることの大切さも「釜石の奇跡」から学ぶべきことだと思いました。子どもは発達の過程で、こうなりたい自分と、そうできないでいる自分の間で揺れ動き葛藤し、その壁を乗り越えようとしています。そんなときに側にいる大人が、その子のできないでいる部分ばかりに注目してそこばかり指摘していては、子どもは壁を乗り越えるエネルギーを失ってしまいます。かといって大人がわざとらしく勇気づけたり、こうさせようという下心を持って誉めても、子どもはそれをよく感じ取るので、かえって力を奪ってしまいます。「この子はきっと大丈夫!」と信じて、子どもが自らの力で壁を乗り越えるのを見守ることが一番良いのではないでしょうか。

「子どもが主体的に生きること」、「子どもを信じ切ること」の大切さが、防災教育からも見えてきた気がします。

防災教育

2012/01/19

東日本大震災では津波が大きな被害をもたらしました。3月11日、津波が町を呑み込んでいく様子がテレビに映し出され、映画の特殊撮影を見ているのかと思うくらい、これが現実に起こっていることだとは信じられないような光景でした。

この多数の犠牲者を出した大津波から、岩手県釜石市内の小中学校の児童、生徒の99.8%が避難し「釜石の奇跡」といわれています。これは、平成18年に起きた千島列島沖地震の際の避難率が低かったことに危機感を抱いた釜石市教育委員会が、防災教育に力を入れていた成果です。

その防災教育を指導した群馬大学の片田敏孝教授(災害社会工学)は、「子どもは環境で育つ。大きな地震が起きても、親も誰も逃げない。そんな環境で津波が必ず襲う三陸の子どもの命を守ることができるのか」という危機意識から釜石市の防災教育に関わるようになったそうです。その中心になったのは「想定に縛られず、自分の命は自分で守れ」の考えのもとに定められた「避難三原則」です。

  • 1. 想定にとらわれない
  • 2. 最善を尽くす
  • 3. 率先して避難する

海岸からわずか1キロしか離れていない鵜住居小学校は、明治、昭和の津波で被害がなかったという理由で浸水想定区域外になっていたこともあって、地震直後子どもたちは校舎の3階に集まりました。ところが、隣の釜石東中の生徒が校庭に駆け出し避難を始めているのを見た小学生は自分たちの判断で、校庭に駆け出し、中学生ともに指定避難場所となっていたグループホームのある高台へ向かって避難しました。しかし、ここでも危険を感じた小中学生たちは更に高いところにある介護福祉施設を目刺しました。その30秒後グループホームは波にのみ込まれました。そこでもまだ危ないと感じた小中学生は、更に高いところまで避難したところ、津波は介護福祉施設の手前で止まりました。避難を始めてからここまでわずか10分の出来事でした。鵜住居小学校は津波にのまれ校舎の3階に車が突き刺さっていたそうです。

この、小中学生の行動には、避難三原則が活かされています。

  • 浸水想定区域外という想定にとらわれず、自分たちの判断で避難を開始した。
  • 一旦避難したグループホームは危険だと判断して、更に高台にある介護福祉施設へそして更に高いところへと自分たちで判断し最善を尽くした。
  • 中学生が率先して避難することで、小学生がこれに続いた。

このことを知ったときに、どの場面においても、子どもたちが自ら考え、判断して行動しているということが重要なのだと私は感じました。

 

次の記事等を参考にしました

  • 産経ニュース 2011年4月13日 「避難3原則」守り抜いた釜石の奇跡 防災教育で児童生徒無事
  • 河北新報 2011年11月26日 焦点/防災教育「奇跡」呼ぶ/生存率99.8%、釜石の小中学生
  • 釜石市 津波防災教育のための手引き

 

 

17年

2012/01/18

1月17日阪神淡路大震災から17年が過ぎ、神戸では地震が起こった5時46分に黙祷が捧げられ追悼行事が行われたという記事や、東日本大震災の被災者も招待し2つの震災の犠牲者を追悼したという報道がありました。あれから17年も経ってしまったという思いと、17年しか経ずに東日本大震災という大きな地震が起こってしまったのだという思いが交錯します。

突然襲ってくる災害で大切な家族を失った方にとっては、17年という歳月もその悲しみをいやしてくれるには十分ではないようです。阪神淡路大震災で夫と小学生の娘2人を亡くし、1人になってしまわれた女性が取材を受けていらっしゃいましたが、話を聞くだけで涙が出てきます。第三者でもそうなのですから、ご本人のつらさは、想像もできません。他にもそんな方が大勢いらっしゃるのです。阪神淡路大震災で辛い思いを抱えることになった方々が今でもたくさんいて、昨年の東日本大震災でさらに多くの人が悲しさや辛さに苦しんでいらっしゃるのです。突然、悲しみのどん底に突き落とされるのですから、なんと理不尽なことでしょう。しかし自然は突然それをもたらします。

地震が起これば、私たちの足下を支えてくれる地面は暴れ、建物は倒壊する。普段は穏やかで、多くの恵みをもたらしてくれる海が、津波となって襲ってくる。台風などによる大雨が河川の氾濫や土砂崩れをもたらす。

普段は美しく穏やかで人間に恵みをもたらしてくれる自然が突如として牙をむいて襲いかかってくる。そんな自然の驚異と理不尽さを日本人は長い歴史の中で経験してきました。昔から地震が多発し、雨が多い風土に暮らしてきたのです。

そのことが日本人の我慢強い国民性を培ってきたといわれています。それとともに、人間の力ではどうにもならない自然に畏敬の念を抱き、そこに八百万の神々を見てきたのです。そして自然に対して奢ることのなく謙虚な態度で接してきたのです。

そこからは、自然と人間が相対するのではなく、言い換えれば人間が一番偉いのではなく、人間も自然の一部、様々ないのちがそれぞれに役割を持っているのだという感覚が生まれたのではないでしょうか。

16年のうちに大きな震災を2度も経験した私たちは、自然をはじめ様々なものごとに対する畏敬の念や謙虚さ、包み込まれている感覚を思い出し、そこを出発点として考えることを始める必要があると思います。みんながそれぞれの役割をもって対等に繋がっているという世界観でとらえ直すこと、そこからみんなが幸せになれることを考えることが、震災の犠牲になった方々に報いることではないか。そんなことを思いました。

チャレンジ体験 最終日

2012/01/17

5日間にわたって続いたチャレンジ体験(中学生の職場体験)も最終日となりました。5日間保育園で体験をしてくれた6名とはあまり関わることはできませんでいたが、会えたときに体験はどうですかと聞くと「たのしい」と答えてくれた子もいましたが、「大変」という子もいました。楽しいだけではなく、仕事の大変さも感じてくれているのでしょう。また、しっかりと園児を見てくれている子もいて頼もしく感じました。
お寺に来ていた5名も、さすがに毎日行っている写経は慣れてきたようで、各人がつけている体験日誌に「次はもっと丁寧にうまく書く」などと意気込みを綴っている子がいました。確かに、日に日に美しく書けるようになっていてその集中力には驚かされます。
私は5日の間この活動に、ほぼかかりっきりになってしまうのできついと言えばきついのですが、こんな機会でもなければ、5日間も毎日、瞑想と写経をする機会はめったにありません。そう思えば、ありがたいことです。
今日は最終日だったので、お寺の方が昼食に特別にちらし寿司を作ってくださり、とてもおいしくいただきました。いろいろな人に支えられて進んでゆけることに感謝せずにはいられません。
午後の活動は自分たちの使った部屋を、お寺の方に指導していただきながら掃除したあと簡単に反省会をしました。書写した写経をそれぞれに渡すと、最終日のが一番良いとか、最初のが良いとか言いながら見比べていました。「1枚だけ持って帰って家族の方に見せてあげたら」というと、全部持って帰ってはダメなんですかと聞く子がいて、少し驚くと同時に、それほど思いを込めて書写してくれたのかと思うと嬉しくなりました。
最後の活動は茶道教室です。お茶を習ってらっしゃるお寺の方とお茶の先生に、基本的なことを少しだけ教えていただきました。正座が長くて足が痛かったかもしれませんが、お茶もお菓子もとてもおいしかったようです。

いろいろなことを体験してきた5日間も終わりました。具体的な仕事ではありませんでしたが、何かひとつでも中学生が感じてくれたことがあれば嬉しいです。最後にさよならと言って帰って行った中学生の後ろ姿が、充実感にあふれているように見えたのは、私の思い込みだったのでしょうか。

お誕生日

2012/01/16

当園では毎月お誕生会があり、その月生まれの子どもたちがみんなからお祝いしてもらっています。全園児と職員が集まってお祝いするのです。そのときの担当職員がいろいろなお楽しみを企画しています。みんなで楽しめるゲームであったりクイズだったりそれぞれに工夫を凝らしていて、子どもたちは楽しんでいます。

私が好きなのは、その月のお誕生日の子どもたちが、全園児が見守る中、自分の得意技をみんなの前で披露する時間です。たとえば、のぼり棒にのぼれるようになった子は園庭に出てのぼり棒にのぼります。それを、2階の会場から全園児と職員が見て応援します。鉄棒をする子もいれば、みんなに紙芝居を読んで聞かせる子、自分が描いた絵を披露してくれる子などいろいろです。1歳児や2歳児は台の小さな台からジャンプするなど自分にできることをします。少し恥ずかしがる子もいますが、やりきってみんなから拍手をもらうと、どの子もみんなみんな満足そうな笑顔になります。認められることが嬉しいというのもあるのでしょうが、自分がしたことで誰かが喜んでくれるというのは嬉しいものです。

子どもにとって、お誕生日は最も嬉しい日のひとつでしょう。ところが大人になるとお誕生日が来るたびに年をとるから、あまり嬉しくないという人がいます。でも、それは少し違うような気がします。お誕生日は年をとるという理由だけでお祝いするものではなく、その日まで生きてこられたことに感謝する。その前に父母を縁としてこの世に生を受けたこと、多くの人々の支えによって生きてきたことに感謝し、お祝いするのだと思います。そしてその恩に報いるべく自分がこれからどう生きるのかを考える日がお誕生日だと思います。

園の職員それぞれのお誕生日も、ささやかながら、そのときに可能な職員でお祝いします。一番時間の都合がつきやすそうなお昼寝の時間に、そのとき可能な職員が集まり、誕生日を迎えた職員にみんなで「おめでとう」を言うだけなのですがみんな結構うれしそうです。一度、若い職員が誕生日の時に、他の職員みんなが集まって怖い顔をして待っていました。そこへ誕生日の職員を連れてきて、みんな真剣な顔で「○○先生!ちょっと話があるんだけど」…沈黙…しばらくして、みんな急に笑顔になって「おたんじょうびおめでとう!!」パチパチパチ(拍手)なんて、やってたこともありました。

「おめでとう」を言ったあとには、必ずといっていいほど「いくつになった」「若いなー」と年の話で盛り上がります。ちょっとしたことで、みんなの心が和むものです。

写仏

2012/01/15

写経の話題の次は写仏です。とはいっても、紙に描かれた仏様のお姿を繊細な細い線で写し取る写仏ではありません。5歳児の子どもたちの絵画制作活動です。

お寺の山門前に修養道場という建物があります。そこでは毎月、7日と18日に写経の集いが行われていて、毎回20名近くの方が勤行、貫主様の法話につづいて写経をされています。その道場には観音様が祀られていて、ご縁日の18日には3歳児・4歳児・5歳児の子どもたちがお参りに行っています。写経の集いの参加者がいらっしゃる前に貫主様と一緒にお参りをして、紙芝居を読んでいただいています。

そうして、毎月お参りしている観音様のお姿を、一畳くらいの大きさの紙に描きます。今年の5歳児は13名ですが、全員が同時に行うのは難しいので、2回に分けて描いています。描き始める前には、まずお参りをして、在園中毎月一回お参りをしてきた観音様に、今まで守ってくださったお礼と、小学校へ行っても守ってくださいとお願いをします。

その後、できるだけ観音様の近くに行ってお姿をよく見たり、お姿を自分の身体で表してみる、つまり観音様の真似をしてみます。近くで拝むと頭の宝冠や、眉間に白毫相があること、瓔珞や衣紋の美しさなど子どもたちはいろいろなことに気付きます。そして、お姿をよく見た後は、描く紙の上に自分で横になってみて、どのくらいの大きさに描くための見当をつけます。

あとは墨と筆を使って輪郭を取るようにお姿を描きますが、子どもは、大人のように上手に描こうとか、格好良く仕上げようなどという思いがないからか、大胆に一気に描き上げてしまいます。描いているときの子どもたちの姿勢は真剣そのものです。観音様のお姿をじっとみつめて一所懸命に紙の上に表している姿は、まるで子どもたち自身が観音様になっているようです。

最後に薄い絵の具で少し彩色したら完成です。できあがった絵を見ているとそれぞれとても個性的で楽しくなります。細かなところまで描いている子がいたり、普段おとなしい子が意外と大胆な筆遣いで、ダイナミックに描いていたりするからです。

紙の上に観音様のお姿を表している子どもたちが、心を菩薩様の慈愛でいっぱいにして育ってくれることを願います。

どんなお姿をされているかよく見ます

    真剣そのものです

 

 

 

チャレンジ体験 4

2012/01/14

      中学生の写経

お寺に職場体験に来ている中学生の活動についてお伝えしています。前回は、午前中に行っている写経などの様子を書きましたが、午後は日によって内容が異なります。掃除だったり、山内の巡拝だったりするのですが、鞍馬の動植物についての調査研究を担当していらっしゃる方々から自然の話を聞く機会もあります。今回は話しだけではなく、実際に体験もしました。そのひとつは越冬するコウモリ探しです。お寺の建物のひとつにヒナコウモリというコウモリが毎年越冬する場所があります。(ヒナコウモリが一定の場所で越冬するのがわかっているのは、かなり珍しいようです)そこで、どこにコウモリがいるかを調査して記録をつけるという体験です。

壁とガラスの3センチくらいの隙間で頭を下にして越冬するヒナコウモリ

建物の建具の隙間に入って越冬しているヒナコウモリを3頭見つけていました。ひとつの部屋は直前まで作業が行われていて暖かかったので、しばらく見ていると少し動いたり、チッチッチと鳴いたりしていました。

私自身そこでコウモリが越冬をしていることは知っていましたが、あまりじっくりと見たのはなかったので、とても興味深く見ることができました。

もうひとつは、お寺の中にある博物館に行って自然科学系の展示を見ながら説明を聞きました。

標本の姿を美しく整えます。根気のいる作業です。

中学生の中には虫が好きではないという子がいて、気持ち悪いなどと言っていましたが、指導いただいている方から、どんな生き物もみんな何らかの形で関係しているので、極端なことをいえば、今気持ち悪がっている蛾が絶滅すると人間も生きてゆけないかもしれない。という説明を聞いて中学生は少し驚いていました。

虫が嫌いというのは幼い頃の環境によるところが多いと思います。まわりの人が気持ち悪いとか怖いといっているのを聞きながら育つと、嫌いになるのだと思います。みんなが虫を好きになる必要はないとは思いますが、幼少期の環境や体験が影響するのだと思います。

説明を聞いてから、昆虫標本のつくりかたを教えていただきましたが、標本にしているのは、主に窓辺で死んでいたりする虫を使うようにしているという話を聞き、死んでしまった虫も標本という姿になって、次のいのちを生きている(役割を果たしている)のだなと思いました。

中学生が、「こんな考え方もあるんだな」と感じてくれるといいなと思います。

チャレンジ体験 3

2012/01/13

中学生の職場体験「チャレンジ体験」で中学生が来ています。保育園とお寺に来ていて、お寺に来ている中学生の活動を少し紹介します。朝一番には本殿で般若心経を一巻唱える勤行をします。午前中の最初の活動は30分から40分のあいだ心を静かにして動かず音を立てず、姿勢を整え、呼吸を整えてじっと坐る時間を取っています。普段の生活では30分ものあいだ、音をたてず、じっとしていることはないと思いますが、中学生たちは背筋をピント伸ばして頑張っています。

心を落ち着けた後は、般若心経一巻を書き写す写経をします。写経用紙の下にお手本をおいて上からなぞるタイプなので、写しまちがうことはまずないのですが、266字(経題を含めると276字)を丁寧に書こうと思うと1時間以上はかかります。ただ、書けば良いというのではなく、一字書くごとに紙の上に仏様のお姿を表すつもりで、つまりお経の一文字が一体の仏様だと思って丁寧に写すようにと言っているので、なおさらです。それでも、今年参加している子たちは集中力があるのか、かなり早く書き上げます。しかも、とても丁寧に書いているのです。初日はさすがに一時間半ほどかかっていましたが、3日目には1時間ほどで書いていました。決して早いことが良いとは言いませんが、丁寧に書きつつ、ある程度の速度で書くのは結構難しいことです。

写経が終わった後時間があれば、雪かき作業をします。先日降った雪が屋根から落ちたところにたくさんたまっているので、どけてもらっています。中学生はこの作業が結構好きで、少し時間があると雪かきをしたがっています。息抜きも必要ですね。

チャレンジ体験 2

2012/01/12

中学生の職場体験、チャレンジ体験の中学生を保育園で受け入れていることについて、前回少し触れました。チャレンジ体験は保育園だけではなく、お寺でも受け入れているので、この期間私はもっぱらお寺で中学生と過ごしています。お寺には毎年10名くらいの中学生が体験に訪れますが、今年は5名と少なくなりました。

お寺で職場体験って何をするの?と思われる方が多いでしょう。本来の趣旨とは少し異なるかもしれませんが、お寺の場合は仕事というよりも、修行というか研修的な意味合いが強い内容で行っています。修行ということばを使うと、なにかとても厳しいようですが、あまり厳しく「やらせる」ことがないように心がけています。「自分からやってみよう」という気持ちになって取り組んでくれるのが良いと考えるからです。お寺に来ることを自ら選んできているわけですから、みんな積極的にいろいろなことに取り組んでいます。

活動の内容は、じっと静かに座る瞑想、般若心経を1巻書写する写経、室内外の掃除、雪があれば雪かき、山の中のお堂を巡拝、鞍馬の自然について知る活動や最終日には茶道の体験をしています。

お寺での体験では、活動を通じて「自分を見つめる」というテーマを設けていて、5日間の全ての体験を通じて「自分を見つめること」に挑戦していただいています。

こちらの活動の様子も、少しずつ伝えてゆこうと思います。

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