shigaraki (鞍馬山保育園 の投稿者) - 58ページ目 (186ページ中)

子どもの貧困対策

2014/04/16

日本の子どもたちの貧困がこれほどまでに深刻だとは思わなかった。という人は多いでしょう。そういえば、貧困にあえぐ子どもたちの支援をしていらっしゃるNPOの方の話を聞いたことがありました。たしか子どもたちの居場所を提供するような活動をされていたと思います。

政府レベルで、こうした子どもを支援することが必要だと思って調べていたら、2013年6月に「子どもの貧困対策の推進に関する法律」が可決され、平成 26 年1月17日に施行され、これによって、政府は子どもの貧困について対策を講じることが義務付けられた。これに基づいて、子どもの貧困対策に関する大綱が定められ、子どもの貧困についてモニタリングする仕組みがつくられる。各都道府県でも、子どもの貧困対策についての計画を定めるよう努めることとされている。ということを知りました。

子どもがより良く育つことがより良い未来につながります。貧困により子どもたちの育ちに良くない影響が出るということは、未来が良くなくなるということです。みんなが良くなることが、みんなの大きな幸せにつながっているのです。だからこそ、子どもは幸せに育って欲しいのです。

法律の条文は次の通りです。

子どもの貧困対策の推進に関する法律 (平成二十五年法律第六十四号)
(目的)
第一条 この法律は、子どもの将来がその生まれ育った環境によって左右されることのないよう、貧困の状況にある子どもが健やかに育成される環境を整備するとともに、教育の機会均等を図るため、子どもの貧困対策に関し、基本理念 を定め、国等の責務を明らかにし、及び子どもの貧困対策の基本となる事項を 定めることにより、子どもの貧困対策を総合的に推進することを目的とする。

(基本理念)
第二条 子どもの貧困対策は、子ども等に対する教育の支援、生活の支援、就労の支援、経済的支援等の施策を、子どもの将来がその生まれ育った環境によっ て左右されることのない社会を実現することを旨として講ずることにより、推進されなければならない。
2 子どもの貧困対策は、国及び地方公共団体の関係機関相互の密接な連携の下 に、関連分野における総合的な取組として行われなければならない。

「子どもの将来がその生まれ育った環境によっ て左右されることのない」貧困という環境にあっても、心も身体もすこやかに育つ機会は保証される社会になると良いですね。

物質的剥奪

2014/04/15

金銭的剥奪は、子どもの相対的貧困率と、子どもの貧困ギャップという指標を用いて表されましたが、物質的剥奪は子どもの剥奪率という指標で表されます。相対的貧困率は子どもたちが生活している社会での相対的な地位がわかりますが、実際にどのような生活を送っているのかということを表すことはできません。そこで、物質的剥奪(子どもの剥奪率)という指標を用いて測られます。
各国における1歳〜12歳子どもについて、次の8品目のうち2つ以上が欠如している子どもたちの割合によって測られています。8品目とは

1.子どもの年齢と知識水準に適した本(教科書は除く)
2.屋外レジャー用品(自転車、ロー ラースケートなど)
3.屋内ゲーム(子ども1人につき 1つ以上(知育玩具、積み木、盤ゲー ム、コンピューター・ゲームなど)
4.修学旅行や学校行事の参加費
5.宿題をするのに十分な広さと照 明がある静かな場所
6.インターネットへの接続
7.新品の衣服(中古品を除く)
8.誕生日、命名日、宗教行事など のお祝い
です。

これらのうち2項目以上が欠如している子どもの割合で比較しています。日本はこの割合が7.8パーセント31ヵ国中チェコ・ベルギー・スペインに次いで18位です。日本で欠如している割合がもっとも高い項目から順に並べると次のようになります。
・インターネットへの接続(0.11%)
・宿題をするのに十分な広さと照明がある静かな場所(1.0%)
・新品の衣服(中古品を除く)(0.07%)
・屋内ゲーム(子ども1人につき 1つ以上(知育玩具、積み木、盤ゲー ム、コンピューター・ゲームなど)(0.03%)
・屋外レジャー用品(自転車、ロー ラースケートなど)(0.02%)
・誕生日、命名日、宗教行事など のお祝い(0.02%)
・修学旅行や学校行事の参加費(0.01%)
・子どもの年齢と知識水準に適した本(教科書は除く)(0.01%)

「インターネットへの接続」は、子どもが犯罪に巻き込まれるきっかけになる可能性が高いという理由から、日本ではあまり推奨されていないように思うので、欠如率が高いのでしょうか。宿題をするのに十分な広さと照明がある静かな場所が欠如している子どもが1%もいるのですね。新品の衣服が欠如しているというのは、「まだきれいだけれど、サイズが合わなくなくなったから、どうぞ。」と知り合いに差し上げるなどのリサイクルが行われているから、3番目になっているのでしょうか。それとも、もっと深刻な話なのでしょうか。

レポートの所見には、
▶物質的剝奪は、各国の総合的な経済発展水準によって大きく異なる。
▶「長年にわたって高所得を維持してきた」国の多くでは物質的剝奪率が5%に満たない。一方、ラトビア、ブルガリア、ルーマニアなどの非OECD加盟国の物質的剝奪率ははるかに高い。
▶日本の子どもの剝奪率は7.8%で、ほとんどの「長年にわたって高所得を維持してきた」国より高い。
としています。
「長年にわたって高所得を維持してきた」国であるはずの日本で剥奪率が高いのはどういう理由なのでしょう。不思議です。

貧困

2014/04/14

『イノチェンティレポートカード11先進国における子どもの幸福度〜日本との比較特別編集版』では、31ヵ国の子どもたちの状況を「物質的豊かさ」「健康と安全」「教育」「日常生活上のリスク」「住居と環境」の5つの指標を用いて比較しています。
日本が5つの分野のうち、「物質的豊かさ」の項目が一番低いというのにはちょっと驚きです。物が豊かになって心の豊かさが失われ、物の豊かさより、心の豊かさが大切といわれて久しいので、物は豊かなのだと思っていましたが、物質的豊かさも31ヵ国の平均を下回っているなんて、にわかには信じられませんでした。では、物質的豊かさは、どのようにして計るのでしょうか。
この調査で物質的豊かさをはかるための構成要素は「金銭的剥奪」と「物質的剥奪」の2つです。評価の指標として、金銭的剥奪は「子どもの相対的貧困率」と「子どもの貧困ギャップ」。物質的剥奪は「子どもの剝奪率」という指標でそれぞれ表わされるそうです。

子どもの相対的貧困率
金銭的剝奪の評価に用いられている「子どもの相対的貧困率」とは、世帯所得をもとに国民一人ひとりの所得を計算して順番に並べ、真ん中の人の所得の半分に満たない人の割合です。それぞれが属する社会の大半の子どもたち が「当然のこと」と捉えている利益や機会を得ることができない子どもたちの割合を示していて、単純な購買力よりも国内の所得格差に注目する指標であるため、日本など比較的豊かな先進国でも高い割合が示されるそうです。日本は 31 カ国中 22 位にランキングされており、これは子どもの相対的貧困率で見た場合、先進諸国の中でも子どもの貧困率が最も高い国 の1つであることを示しています。

子どもの貧困ギャップ
子どもの相対的貧困率は、相対的貧困ラインより下の生活をしている子どもの割合を示していますが、 子どもが貧困ラインのどれほど下にいるのかという、子どもの相対的貧困の深刻度はわかりません。「子どもの貧困ギャップ」は、貧困世帯の所得がどれほど、貧困基準から離れているか、という指標です。つまり、貧困の深刻度を表しています。この指標では、日本は31カ国中26番目。日本では、貧困の子どもが多いと同時に、貧困の深刻度も高い、ということになります。
日本では、所得が相対的貧困ライ ン未満の世帯で暮らしている0〜17 歳の子どもの割合は約 15% で、 その所得は相対的貧困ラインより 30% 以上少ない。一方、オランダ やオーストリアでは、相対的貧困ラ イン未満の世帯で暮らしている子ど もの割合は6〜8% で、その平均 所得は貧困ラインより約 16% 少な いのです。

驚きの数字です。日本では、格差が広がっているということ。そして、貧困にあえいでいる子どもたちが増えているということは間違いないようです。

子どもの幸福度

2014/04/13

2013年12月『イノチェンティレポートカード11先進国における子どもの幸福度ー日本との比較特別編集版』が発表されました。ユニセフの研究機関であるイノチェンティ研究所では、2000年より先進国の子どもの状況に関する国際比較報告書を刊行しています。2013年4月に発表されたレポートカード11『先進国における子どもの幸福度』では日本に関するデータが不足していて総合評価の対象とされなかったので、国立社会保障・人口問題研究所の阿部彩氏(社会保障応用分析研究部長)と竹沢純子氏(企画部)がイノチェンティ研究所と協力して、厳密に比較できる日本のデータを加えたことにより、『日本との比較特別編集版』が発表されたのです。

ヨーロッパ、北アメリカ、日本など31ヵ国の子どもの状況を「物質的豊かさ」「健康と安全」「教育」「日常生活上のリスク」「住居と環境」の5つの項目で比較しています。調査の結果、総合順位は
1位 オランダ
2位 フィンランド
3位 アイスランド
4位 ノルウェー
5位 スウェーデン
6位 日本
7位 ドイツ
8位 スイス
9位 ルクセンブルク
10位 ベルギー
です。
これを見ると、日本はトップクラスです。ドイツ、スイス、ベルギーなどは日本よりもずっと上位にランキングされていそうですが、そうでもないのです。しかし、日本の6位は、上位5ヵ国と比べると事情が少し異なるようです。上位5ヵ国は5つの全ての分野で成績が良いのに対して、日本は「教育」「日常生活上のリスク」で1位になったのですが、「物質的豊かさ」では31ヵ国中21位になるなど、分野によってばらつきが見られたそうです。5つの分野は互いに関連性があるので、現在1位の「教育」「日常生活上のリスク」についても、将来的には悪化する可能性があるのだそうです。部分的に飛び抜けているのはどこかいびつなのだと思います。

散歩

2014/04/12

ゆっくり散歩してみたいと思うことはありますが、なかなかそうしている時間がありません。こんなに余裕がないのは良くないのですが、しょうがないですね。

先日たまたま、すき間の時間ができたので、散歩してみました。まず、美術館、博物館やホールが集まっている岡崎に用事があって行きました。さすがに桜の盛りは過ぎていましたが、舞い散る桜の花びらが疎水の水面に美しい模様を描いていました。しばらく見ていたら、向こうから満員の乗客を乗せた観光船がやってきました。岡崎桜回廊十石舟めぐりの舟で、約3キロメートルを25分ほどかけて巡るのだそうです。水の上から見る桜も美しいことでしょう。嵐山や伏見、宇治川などでも観光船が運航されているようですが、残念ながらどれにも乗船したことはありません。

その日はお天気が良かったので、鴨川沿いを歩いてみようと思い、岡崎から疎水沿いに鴨川まで出ました。ところが、北寄りの冷たい風が強く吹きつけ、のんびり、ほんわか散歩という感じではありません。かなり寒いなか鴨川を川上に歩きました。ソメイヨシノの花はほとんど散っていましたが、八重桜でしょうか枝垂れ桜でしょうかまだきれいに咲いている桜もあります。川沿いは薄曇りながらも明るい空が開けて、とても開放感があります。河原には、桜、ハナズオウ、ヤマブキ、ユキヤナギなど、いろいろな花が植えられていてそれぞれに美しく咲いていました。季節はずいぶん進んでいるのです。自転車で走る過ぎる高校生、ベンチでくつろぐ老夫婦、サッカーに興じる若者、花見の準備をしている学生、ジョギングを楽しむ人、河原では様々な人が、様々なことをしているものです。

冷たい風が強く寒いので、のんびりという感じではありませんでしたが、景色を見ながら歩くのが楽しく、結局今出川まで4キロメートルくらいを歩いていました。たまにはこんな時間も良いものです。

弱くもろい社会

2014/04/11

分ける、隔てることから排除が起こる。分けることを徹底してゆくと、ひとり1人がバラバラになってしまいます。突き詰めれば、ひとり1人みんな違うのですから。私たちはそういうふうにできているのです。たとえ、家族といえども同じではありません。それぞれに異なる私たちが、一緒に生きて行くためには、お互いを知り、理解し、認め合うことが必要なのです。障害があるとかないとかという線引きはきわめて曖昧なものです。そうなのに、その線をくっきりと際立たせたくなってしまうのでしょうか。同じように線のこちら側にいると思っている同士でも、ずいぶん違うはずなのに。障害の有無だけでなく、人種や国籍や宗教の違いだって、同じだと思っている同士はどれだけ同じなのでしょうか。
どうしても、他の人も自分と同じように世界をとらえていると、勘違いしがちです。違う人なのですから違うとらえ方をしていることの方が多いのです。その違いを埋めるのは、知ること、理解すること、認めることそして、話し合うことなのだと思います。まず最初にすべきは、相手を受けとめることかもしれません。「この人はこういう人だから!」なんて決めつけることなく、素直にその人のことばを傾聴できると良いのでしょうね。

ひとり1人、決定的に違う私たちは、社会を作って生きるという道を戦略的に選んで歩んできました。最もうまくゆく社会の姿ってどんなでしょう。その社会を構成するひとり1人が、自分を活かせる。そのことでみんなの役に立つことができるというか、その人の良いところを活かせる社会でしょう。

国際障害者年行動計画には、「ある社会がその構成員のいくらかの人々を閉め出すような場合、それは弱くもろい社会なのである。」とあります。弱くもろい社会を作って私たちは生き延びてゆく事ができるのでしょうか。

共生と排除の谷間を埋めて行くために、相互に<知る・理解する・認め合う>回路を創ること、対立から対話に向かう一歩を踏み出すことからやり直すしかない

分ける

2014/04/10

障害者基本法は第二条で障害者や社会的障壁について定義し、第三条では地域社会における共生を謳い、第四条で差別の禁止を言います。
(差別の禁止)
第四条  何人も、障害者に対して、障害を理由として、差別することその他の権利利益を侵害する行為をしてはならない。
2  社会的障壁の除去は、それを必要としている障害者が現に存し、かつ、その実施に伴う負担が過重でないときは、それを怠ることによつて前項の規定に違反することとならないよう、その実施について必要かつ合理的な配慮がされなければならない。
3  国は、第一項の規定に違反する行為の防止に関する啓発及び知識の普及を図るため、当該行為の防止を図るために必要となる情報の収集、整理及び提供を行うものとする。
この差別の禁止を具体的に実現する法律として「障害者差別解消法」(障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律)が2013年6月19日に成立し2016年度から施行されます。この法律は「障害を理由とする差別の解消を推進することにより、すべての国民が障害の有無によって分け隔てられることなく、相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会の実現を目指し」て制定されました。

「障害の有無によって分け隔てられることなく、相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する」のです。「分ける」ということがことを難しくしているように思います。分けることで理解しやすくはなりますが、分けることが固定概念や差別につながるかもしれません。一つの枠を作って似たものをまとめることで、わかりやすくなるのですが、線を引くことができにくいこともあります。「障害者」とひとくくりにすると、一人一人の違いをみえにくくしてしまうことはないでしょうか。障害の様子も一人一人違いますし、何もできないように見えても、その人にしかできない事だってあるんです。そんなそれぞれのステキが活かされ、なおかつ困ることが少なくなるようにみんなが配慮できれば良いと思います。それは何も障害者に限ったことではなく、みんなそうなんだと思うのです。障害とか障害ではないと分けたとしても、一人一人が輝けるところを見つめてゆく視点も大切にしたいと思います。

ともにいきる

2014/04/09

障害者施設建設反対運動(施設コンフリクト)が起こる原因のひとつに、知らないこと、理解不足があるのですが、そもそも、「障害者」とはどう定義されているのでしょう。
障害者基本法第二条には次のようにあります。
(定義)
第二条  この法律において、次の各号に掲げる用語の意義は、それぞれ当該各号に定めるところによる。
1  障害者 身体障害、知的障害、精神障害(発達障害を含む。)その他の心身の機能の障害(以下「障害」と総称する。)がある者であつて、障害及び社会的障壁により継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態にあるものをいう。
2  社会的障壁 障害がある者にとつて日常生活又は社会生活を営む上で障壁となるような社会における事物、制度、慣行、観念その他一切のものをいう。

障害は心身の機能の障害、例えば目がみえない、歩けないなどその人が持っている性質だけによると考えられがちですが、そういった性質があるために、いろいろなことができない社会のしくみ自体にも問題がある。そのような社会と人との関わりから「障害」が生まれているととらえています。障害のある人が障害のない人に比べて不利になることが多いのですが、それはその人の機能障害のためと考えるのではなく、そういった人たちのことを考えないで作られた社会のしくみ(社会における事物、制度、慣行、観念その他一切のもの)に原因があると考えます。そういった社会のしくみのことを社会的障壁といいます。

そして第三条には「地域社会における共生等」として共生について書かれています。
(地域社会における共生等)
第三条  第一条に規定する社会の実現は、全ての障害者が、障害者でない者と等しく、基本的人権を享有する個人としてその尊厳が重んぜられ、その尊厳にふさわしい生活を保障される権利を有することを前提としつつ、次に掲げる事項を旨として図られなければならない。
一  全て障害者は、社会を構成する一員として社会、経済、文化その他あらゆる分野の活動に参加する機会が確保されること。
二  全て障害者は、可能な限り、どこで誰と生活するかについての選択の機会が確保され、地域社会において他の人々と共生することを妨げられないこと。
三  全て障害者は、可能な限り、言語(手話を含む。)その他の意思疎通のための手段についての選択の機会が確保されるとともに、情報の取得又は利用のための手段についての選択の機会の拡大が図られること。

「可能な限り、どこで誰と生活するかについての選択の機会が確保され、地域社会において他の人々と共生することを妨げられないこと」ですから、施設コンフリクトはない方が良いのでしょう。しかし、法律で禁止されているからといって、無理矢理では共生はできそうにありません。

決めつけない

2014/04/08

障害者施設の建設に反対の声が上がる大きな原因の一つは、しょうがい者と呼ばれる人や障害者施設についての情報がないこと、つまり「知らない」ことです。知らないために、ネット上の情報だけで不安や恐怖を覚え、それがエスカレートしてゆくということが多いようです。だからこそ、障害者施設を運営するNPO法人の代表は、地域で説明会を繰り返すとともに、入居予定者1人1人のプロフィールを紹介する書類を作り、本人と一緒に近所を回ることを繰り返したのです、その結果、反対する人は徐々に減っていったというのです。知ること、理解することで不安はうすらぐのですね。

相手のことを知ることは、とても大切なことです。知るためには、あの人はどんな思いで話しているのだろうか?と素直な心で話を聴く、受けとめよう、理解しようとする姿勢が必要なのだと思います。

先日、保育士の先生が「いろいろなことを決めつけることをしないように気をつけたいと思う」と話していました。どういうことなのか聞くと、つい、この人はこういう人だから、と自分の先入観や固定概念で、その人のことを決めつけて見てしまったり、話を聞いてしまうことが、多いし、その固定概念が邪魔して、その人を受けとめることができなくなってしまうので、気をつけなくてはならないというのです。他の先生が、保育に使った物を置いたままにしていたので、「片付けるのを忘れている。」と思っていたら、実は何か意味があって置いていたようだった。というエピソードを聞かせてくれました。そんなところから、この人は忘れぽいから!なんて決めつけてみている自分がいることに気がつき、決めつけで人を見るのではなく、丁寧に話を聞くことが大切だと思ったそうです。この話を聞いて、そういう考え方ができるのはすばらしいと思いました。

確かにそういうことってよくありそうです。自分自身も気をつけなくてはなりません。固定概念、先入観、思い込みを取り払って心を開き、フラットにして、相手のことばを素直に聞く。忘れずに心がけていたいものです。

こうして、よく知ること、理解することによって、心の壁は低くなり、お互いの理解が進むのでしょう。もしそうであるなら、いろいろな人が近くで普通に生活していることが良いと思うのですが・・・

不安

2014/04/07

「京都の福祉」という京都府社会福祉協議会の機関誌があります。「もえくさ」というコラムに障害者施設建設反対運動についての記事がありました。NHKの番組で取り上げられていたようです。

国は、しょうがい者が自立した生活を送ることができるよう、施設で暮らすしょうがい者が地域のグループホームなどに移って生活する「地域生活移行」を進めています。グループホームですから何人かのしょうがい者といわれる方が、支援を受けながら普通に家で暮らすような生活をします。そんなグループホームの建設に対して各地で反対運動が起きているのだといいます。NHKの調査によると、過去5年間にこうした反対運動(施設コンフリクトとよばれるそうです)が58件も起きている。しょうがい者の家族の会の調べでは60件の施設コンフリクトのうち、36件は計画断念や、予定地を変更することになったそうです。

どうして、反対するのかなと思ったら、「女性の後を付け回したりしないか」「ギャーとか、動物的な声が聞こえる」「地価など、資産価値が下がる」といった不安や「周辺の道路が狭い」という反対理由などがあるそうです。しょうがい者と呼ばれる人たちと暮らすことに不安を感じているそうです。

そんな反対運動を乗り越えてオープンしたグループホームを運営するNPO法人の代表によると、反対する人のほとんどが、しょうがい者とほとんど接したことがない人だ。そして、ネット上にある、突然に突き飛ばすとか、叩くとか、噛みつくといった情報だけで不安感をもち、その不安が悪い方にエスカレートしてゆく。その前提にあるのが、わからないことに対する恐怖だといいます。

代表は、不安を取り除くには知ってもらうしかないと、説明会を繰り返すとともに、入居予定者1人1人のプロフィールを紹介する書類を作り、本人と一緒に近所を回ることを繰り返した結果、反対する人は徐々に減ってきたそうです。「反対している人は、数はそんなに多くはない、声が大きい。だから、とにかく説明をして分かっていただいて、反対している人と戦うのでなく、賛成している人を増やそうと。」活動されたそうです。

決めつけること

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