shigaraki (鞍馬山保育園 の投稿者) - 129ページ目 (186ページ中)

稲

2012/09/26

春にお家の人と植えた稲に穂がつきました!たくさんの穂をつけてよかった!と思っていたのもつかの間、数週間後に見に行くとなんと茶色くなっている穂が・・・。かなりショックでした!でもなんでやろう・・・。と思い、お寺の稲に詳しい職員さんに聞くと、多分虫が入って食べてる。と教えてくださいました。仕方ないそうです。
収穫をとても楽しみにしていたのででショックですが、まだ元気な穂もあるので、少しでも収穫できることを願っています。

ことば 2

2012/09/25

ことばの獲得について書きましたが、わかりにくいのでもう一度整理しようと思います。人はどうやってことばを獲得するのかということに対して、言語学者のノーム・チョムスキーの唱えた説は、人は生まれながらにして言語獲得装置と呼べる能力を持っていて、子どもがことば(言語データ)に接すると、ここが働いて、母語を獲得することができる。そして、が言語獲得装置には普遍文法と呼ばれる、すべての言語に共通した規則体系をもっているので、あらゆる言語を獲得することができるというものです。

言語データという刺激を得られれば、人は言語を獲得できる能力を持っているということです。
これに対して、その子自身に内在する能力に、周囲からの様々な働きかけ(教育的働きかけ)があってはじめて、ことばが発達するのだという説があります。つまり、生得的な能力だけではなく発達してゆく過程での周囲の環境が言語の獲得には必要だという立場です。

ルーマニアではチャウシェスク政権による人口増加政によりたくさんの子どもが生まれましたが、貧困のため多くの子どもが劣悪な環境の孤児院で、ただ機械的に授乳をされる状態で過ごさざるを得ない状況にあったそうです。政権崩壊後、そうした孤児たちのために。里親に預けられるなどの様々な救済策が取られました。

この時に行われた調査では、生後15ヶ月くらいまでに孤児院から里親に引き取られた子どもたちは、2歳くらいにはことばの発達の遅れは見られなくなりましたが、2歳以降に里親に預けられた子には、ことばの発達に遅れが見られるケースが多かったようです。

もし、言語の獲得が生得的な能力にだけよるものであれば、この差は生まれてこないことになります。
このような研究から、ことばの獲得に果たす生育環境の影響が大きいという説が有力になっているそうです。

ことばは人との関わりのなかで生まれてくるものなので、あらゆる感覚が統合されることで育つ。ことばの発達にも環境が大きく関わってくるのです。

まなざし

2012/09/25

朝、少しの間2歳児クラスを手伝っていた時の発見です。
0、1歳児と2歳児の部屋の真ん中におままごとコーナーがあるんですが、そこにふと目をやると2歳児の○○君とつかまり立ち真っ最中の0歳児の△△ちゃんがいました。△△ちゃんは立っちしながら机におままごとを置いて、さわったりするに夢中!
その横でなんてあたたかいまなざしで見ている○○君が…。
しばらく様子を見ていると○○君(家では弟君ですが)は、とてもお兄ちゃんぶって△△ちゃんに同じ高さの目線で一生懸命話しかけてます。
△△ちゃんは居心地よさそうに、ずっとそばにいて自分の遊びを楽しんでいましたよ。

ことば

2012/09/24

前にもこのブログで、ことばについて少し触れたことがありました。以前、外国語に接する機会があったことから「ことばとはなんだろう」という疑問を持っていたのです。

最近、ことばに関する講義を聞く機会がありました。しかも、言語獲得や言語発達についてです。講師は帝塚山大学教授 小椋たみ子先生です。

言語(ことば)は人間だけが獲得できる進化の過程での最高の産物であり、その役割は、コミュニケーションの手段、思考の主要な手段や様式、自己のの行為や活動の調整、自己表現の手段、自我の形成に関わるということがあげられていました。

この中で特に興味を持ったのが、自我の形成にことばが深く関わっているというとです。もちろん、思考の手段や様式という側面を持っているのですから、自我の形成と関係があることは想像できそうですが、バイリンガルの人は、どちらかの言語が優勢でないと自我が不安定になるとのことでした。ことばは精神的な発達にとって大切だということが再確認できました。

また、言語獲得についての説明の中では、言語学者チョムスキーの言語獲得モデルをあげて、人はもともと生得的に持っている能力である言語獲得装置によって言語を獲得している。つまり、すべての言語に共通した基礎体系である言語獲得装置というものをあたかも身体の中のひとつの器官のように私たちがもっていて、そこに、大人の会話などのことばによる刺激が入ってくることによって、すべての言語の基本となるような「普遍文法」が聞こえてくることばを分析、規則化、体系化して、日本語、英語などその社会に固有の言語を獲得してゆくという説が紹介されました。

それに対して、心理学の立場からは、人にプログラムされた生得能力が育ってゆくうえで大切なのは「教育的な働きかけ」という環境だと主張がされているそうです。

言語獲得装置が、聞こえてくることばから、生理的な能力として言語を獲得してゆくという立場と、発達をしてゆく能力に、教育的な働きかけという環境が加わってはじめて言語が獲得されるという立場があるということを知りました。

蚊取り線香

2012/09/24

園庭で遊ぶ時は蚊取り線香をつけるのですが、この間もつけているとAくんが「蚊取り線香つけてんの?」と近づいてきました。で、ジーッと見て「クルクルなってんの長くのばして!」と一言。「ポキポキ折れてのばせへんわ〜」と言うと、「なんで?テレビでビーッ!って長くしたはるやん!」と・・・。

そうですよね、確かにコマーシャルでやってます・・・。私も見ながら、こんな長さになるんやと思ってました。
やはりテレビの影響力はすごいですね。

収穫 2

2012/09/23

 まだ小さいながらも立派なナスです

畑に実りの季節がやってきたことをお知らせしています。トウモロコシは食べ時を逃してしまいましたが、トマトは今、実が熟してきています。煮込み料理に適しているサンマルッアーノという品種をたくさん植えています。もちろん生のままで食べても、さわやかな酸味が広がり、おいしいです。

一方、ナスは前にも紹介したとおり、一旦は存亡の危機にさらされましたが、なんとか復活して育ちました。決して背が高く大きく育ったわけではありませんが、無事に花を咲かせて、小さな実もつけていました。それが順調に大きくなってきています。最初にできたお兄ちゃんナスの上の方には小さな弟が、そしてその上の方には花がついていました。みんな元気に大きくなってくれることを願っています。今年は種をとることを一番に考えたいので、種をとる実を残した上で、他にも実ができればいただこうかと思っています。

一番の出来は大豆と黒豆です。畑一面に種を撒いておいたのが、

   えだまめ おいしそうでしょ


ほとんど大きく育って枝豆がついています。たくさんついているのもあれば、少ないのもあります。大豆は黒豆より成長が早いのか、豆が大きくなっているものもたくさんあります。それに比べて黒豆は、まだ豆が小さいものが多ようです。どれを枝豆で食べて、どれを完熟するまで残しておくと良いのかわからないのですが、たくさんあるので、三分の一くらいを子どもたちと一緒に収穫しました。黒豆がもう少し育ったら、また、いただこうと思います。

畑に入った子どもたちは、あまりにも草が茂っているのに少し驚いていましたが、すぐに慣れて、作物の様子を興味深げに見ていました。どこに何があってどう育っているのかを一通り説明したあと、私が切り取った枝豆を一人一株ずつ園庭に運んで、枝から豆を外してくれました。大きめのザルに八分目になるくらい、たくさん収穫できました。虫に食べられているものも少しはありましたが、とても美味しそうです。その日は時間がなかったので、次の日に茹でてみんなで食べました。噛むと柔らかな甘みが広がります。とてもしっかりした味であっという間に全部食べてしまいました。

大豆のあいだに群生している植物が何という名前なのか気になったので、植物図鑑で調べてみました。シロバナサクラタデかなと思います。

収穫 1

2012/09/22

  芽が出てしまったトウモロコシ

ずっと気にながらも畑のことを何もしていない日々が続いてしまいました。畑をみると作物以外の植物がとても大きくなり、頑張って伸びていた大豆もあまり見えなくなっています。草をかき分けて畑に入ってみるといろいろな変化があります。

[トウモロコシは少し前から茎が枯れてきていたので早く収穫した方が良いな。と思っていたのですが、実も茶色くなってしまっていました。もちろん食べるには完全に遅すぎます。種が取れればいいと思って、実を茎から外して皮をむいてみると、5センチくらいの長さの小さなトウモロコシが顔を出しました。実が入りきっていなくて、

    テラスで乾かしています

先の方はヤングコーンのようです。実が数個しかついていないのもありましたし、腐っていたものもありました。すこし湿った感じのものをむいてみたら、なんと既に発芽しているものもありました。それは畑に返して、種になりそうなものを乾燥させるために、テラスの天井から吊り下げました。次のシーズンにうまく芽が出ることを願って、しばらくおやすみなさいです。

トマトはずいぶん実が大きくなっていますし、数もいくつかあります。中には赤くなっているのもありました。ただ、完熟といった感じではなく、黄色いところが少し残っていたりします。支柱を立てていなかったせいで地面にくっついてしまっていたので、少し早そうでしたがいくつか収穫しました。美味しそうなので、早く食べてみたかったのですが、まずは種取りです。普段トマトを食べている時は、種のことはあまり気にかけていませんが、いざ種をとろうと思うとなかなか大変です。種の周りについているゼリー状の部分と種を分けるのが、結構手間がかかります。茶こしに入れて丁寧に洗いました。。

       まだ青いトマト

トマトの種って小さいんだなと改めて思いました。よく見てみると小さな種も一つずつ大きさや形が違います。同じお母さんトマトから生まれても、みんな違うのですね。

植えたのは、サンマルッアーノという種類だそうで、比較的酸味が強く、パスタソースなど煮込み料理に使うと上品で美味しくなると、苗を提供してくださった農家の方から聞きました。たくさんとれたらそうして食べてみようと思います。

きょうのごはん

2012/09/21

・三色どんぶり

・わかめの酢の物

・さつま汁

・フルーツ

センチコガネ

2012/09/21

今の時期は少なくなりましたが、夏のあいだよく目にする虫がいます。緑色っぽく見えるもの、赤っぽいもの、褐色系のもの、見る角度によって違った色に見えるのもいます。どれも、金属のようにピカピカと光っています。センチコガネやオオセンチコガネという名前の体長2センチくらいの甲虫です。残念ながら私にはセンチコガネとオオセンチコガネの差があまりよくわからないので、ここではセンチコガネとしておきます。

この虫は、主に動物の糞を餌にしています。いわゆるフンコロガシの仲間です。近年夏になるとこのセンチコガネをたくさん見かけるのは、この辺りに鹿が増えたことで餌が増えたからでしょうか。

ピカピカ光ってきれいなので、時々子どもたちが捕まえてきます。時々というのは、あまりにもたくさんいるので、子どもたちも見飽きているのです。もちろん、触ったあとは手を洗っていますので、ご心配なく。

このセンチコガネですが、不思議に思っていることがあります。土の上を歩いている姿よりもコンクリートのうえで仰向けにひっくりかえって、足をバタバタ動かしている姿をよく見るのです。その姿が目立つので、いつもひっくりかえっているなと思ってしまうのかもしれませんが、本当によく見かけます。しばらく見ていても、いっこうに起き上がれそうにありません。まあるい背中のせいで短い足が地面に届かないのです。羽根を広げるなどすると起き上がれるのかもしれませんが、そんなことをしているところを見ません。

もしかすると、一度ひっくり返ると二度と起き上がれないのかもしれません。仰向けのまま動かなくなっていまっている姿もよく見ます。一度ひっくり返ると起き上がれないというのはかなり危機的状況なはずです。それなのにどうして起き上がれにのでしょう。

仰向けになってもがいている姿を見て、ひとつ考えついたのが、コンクリートなど平らなところで起き上がれなくなっているということです。短い足でも引っかかるところがあれば、起き上がれるのです。自然界では平らなところはほとんどないでしょうから、たとえひっくり返ったとしても、命に関わるほどのことにはならないでしょう。人間が作った平面の上でひっくり返ってしまうと、大変なことになるのです。

そう思うと、センチコガネに少し申し訳ない気持ちになってしまいます。ですから平らなところでひっくり返ってもがいているセンチコガネを見ると、平ではないところに移動させたくなります。そうすれば、起き上がれることもあるからです。

ただ、あまり長い時間ひっくり返ったままでいると、体内のバランスが崩れて起き上がってもまたすぐにひっくりかえってしまうのだ、ということを聞いたことがあります。確かめたわけではありませんので、なんとも言えませんが、人間の営みによっていろいろな影響が出るものだなとものだなと思いました。

習熟度別

2012/09/20

一人ひとりの子どもの発達を最大限に保証する。その子が、自分から興味感心を持って自発的、主体的に環境に関わることで、今を最も良く生きることができるようにサポートすることが必要なのです。

ですから、集団を構成する場合も様々な集団の種類があり、発達に合わせて集団が構成されることが大切だと思います。子どもが友達と楽しく遊ぼうと思えば、発達の近い子の集団で遊ぶでしょうし、少し発達の進んだ子がいるとその子を見て学ぶでしょう。お世話をする、されるという経験が必要なら、5歳・6歳の子と0歳・1歳が関わることができる集団にすれば良いでしょう。「みんなで一緒に」が楽しい3歳前後の子どもたちは2歳児クラスという集団が、就学前の仲間意識が高まる時期には年長児クラスという集団が必要になってくるでしょう。

小学校の学習指導要領では「個に応じた指導」の中の方法の一つとして、習熟の程度に応じた指導ということがいわれています。いわゆる習熟度別の指導です。習熟度別というと、差別だとか言われるようですし、私もそう感じていたこともありました。しかし、その子の発達にあわせた指導ということです。その子の今に最も適切な方法で教えるとが一番わかりやすいということだと思います。

次男が鞍馬小学校に通っていた時、夏のプール指導で習熟度別の指導を取り入れてくださっていたように思います。児童数が少ないということも一つの要因だったのかもしれませんが、全校生徒を、学年の枠を超えてどのくらい泳げるかでグループ分けをして、それぞれの習熟度によって指導方法を変えてくださっていたようです。低学年でも、水泳教室に通っているような子はどんどん泳げますし、高学年でも泳ぐのが苦手な子もいます。学年という枠だけにとらわれない、発達に応じたグループ構成にしてくださっていたようです。
次男に聞くと、無理なく楽しく泳げるようになった。と言っていました。

一人一人の発達に合わせた教育を経験することで、無理なく楽しく自然体で学ぶことができるのだとおもいました。

小学校でも様々な取り組みをしてくださっているのです。私たち幼児教育に関わるものこそ、たいせつにすべき部分ではないでしょうか。

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