shigaraki (鞍馬山保育園 の投稿者) - 128ページ目 (186ページ中)

トマト屋さん

2012/10/03

自然農法というか、ほったらかしの畑からも実りが得られていることは前にも書きました。普通の大豆と黒豆を何本かとってきて、枝豆を茹でて食べました。まだたくさん畑に残っている豆たちもずいぶんと太ってきました。葉っぱが黄色くなってきているものもあります。枝豆で食べるか、もう少し待つか悩むところです。少しだけ枝豆で食べてみようかと思っています。

トマトは、サンマルツァーノという煮込み料理に適した種類がたくさんできています。サンマルツァーノでトマトスープをつくって食べてみました。爽やかな酸味の効いたスープができました。パスタソースを作ったら美味しいかもしれません。ただ、一度にたくさん取れるわけではないので、園で子どもたちと食べるにはどうしようかと考えてしまいます。もちろん、生で食べても美味しくいただけます。

ある日、子どもたちがおやつを食べている間に畑を見に行ったら、トマトがいくつか赤くなっていたので収穫しました。ふと見ると普通の丸いトマトもできています。何という品種かはわかりませんが、お店で普通に売っている丸い形のトマトです。サンマルツァーノは細長いので違いはすぐにわかります。とにかく赤くなって食べられそうなものはすべて収穫して食べました。

とってきたトマトをよく洗い、小さく切るためにテラスに机を出して、まな板とペティーナイフを用意していると、おやつを食べ終わって園庭で遊んでいた何人かの子どもたちが「なにするの」と集まってきました。「トマト屋さんか開店しますよ!」というと「手伝いたい」という子がいたので、トマトを洗ってもらいました。洗ったトマトをくし形に切ってボウルに入れ「食べる?」と聞くとみんなニコニコ顔です。伝い歩きをはじめたばかりの0歳児さんも近づいて来たので、ちいさく切ったトマトを口に入れてあげると酸っぱそうな顔をしていました。「おいしいね」というと、もっと欲しいという顔をしていたので、もう一度口に入れてあげました。最初は酸っぱい顔をしますが、すぐに「もっと」という顔に変わります。気に入ってくれたようでした。

ほかの子たちも、どんどん食べるので、まだ食べていないおともだちにも食べさせてあげたら。というとトマトの入ったボウルを持って、「トマトはいりませんかー」と園庭で遊んでいる子や先生に配ってくれました。
決して、甘くて美味しいわけではないのですが、あっという間に売り切れて、トマト屋さんは閉店しました。

お迎えのお母さんにトマト屋さんのことを話していたら「うちの子、トマト食べましたか?家では食べないんですよー!」とおっしゃるので、ちょっと驚きました。その子は、たくさん食べていたからです。

季節の移り変わり

2012/10/02

台風が秋を連れてきて、10月になった途端に涼しくなりました。朝夕は肌寒いくらいです。今朝の気温は16度でした。お彼岸を過ぎたころからしのぎやすくはなりましたが、京都市内では、最高気温が30度を越えた日もありました。ところが、台風が近づいた9月30日は最高気温が22.8度、10月1日は23.5度です。一気に秋が来たと実感できます。

自然はちゃんと季節の移り変わりを表してくれています。景色も、色も夏のそれとは違います。朝日のなかではすべてのものがとても立体感を伴って目に飛び込んできますし、午後に傾いた太陽に照らされる山の木々は、乾いた空気のせいかコントラストの高い写真のようです。日の光が斜めになってきたからなのかもしれません。

園児と園の近くを歩いていたら、「なんか、いいにおいがする!」というので、ふとみるとキンモクセイが小さな花をつけ始めていました。その時の花は、まだあのやわらかなオレンジ色にはなっていなくて、うすみどりから黄色くなりかかっていたのが、2日後にはちゃんとキンモクセイ色になっていました。

シュウメイギクも咲き出しました。キブネギクとも呼ばれるこの花は今の季節にたくさん咲きます。今のところ鹿に食べられることなく、花を開いていたり、つぼみをたくさんつけていたりします。このまま美しく咲いてくれると良いのですが・・・

ジョロウグモがいたるところに巣を作っています。大きくてカラフルな雌が巣の真ん中でどんと構えていて、小さなオスは巣の端の方にちょこんといる姿がかわいらしい感じです。

夜になると鹿の鳴く声が山や谷に響き渡ります。やはりどこかもの哀しい声です。ときどきムササビがキュルキュルキュルと鳴く声も聞こえます。夜歩いていたら、すぐ近くの木の枝でガサガサと音がするので、持っていたライトで照らして見たら、大きなムササビが枝の上からこちらを見ていました。ライトがあたると目がピカピカと光ります。リスのように大きなしっぽをピンと立てていました。枝からジャンプしないかなと思ってしばらく見ていましたが、その時は飛びそうにありませんでした。

植物も動物も、季節の移り変わりを敏感に感じ、それに合わせて生きているのですね。園児たちにも移り行く季節を感じて欲しいと思います。

ことば〜共感〜

2012/10/01

指差しが、ことばの前の段階だというのはよく言われることですが、指は、意味するもの、対象に意味をつける役割を果たします。つまり言葉と同じです。一方、指差しされる対象は意味されるものです。指差しがことばの前のことばといわれる所以です。

指差しには、2種類の指差しがあります。赤ちゃんの「あれが欲しい!」という欲求の指差しと「あれ見て!」という叙述の指差しです。叙述の指差しは、指差した対象をお母さんと共有しようとしているのです。赤ちゃん、お母さん、対象の3項の関係が、対象についてお母さんと赤ちゃんが共有し、共感する構造になっています。そんなときは赤ちゃんとお母さんは一緒に対象を見ています。共同注意と言われる状態です。当然、この時は赤ちゃんとお母さんは向き合っているわけではありません。共有、共感が起こる時の視線は、決してぶつかる方向ではなく、共に同じものを見る視線です。これは、赤ちゃんとお母さんにに限ったことではないと思うのです。組織でもそのメンバー全員が、一つの目指す方向を向いた時に、共有共感が生まれるのです。視線を交わらせて相手を見てばかりいると、相手の嫌なところばかりが目について、何でも誰かのせいにしてしまうものです。やはり、それは見るところを間違えているのではないでしょうか。見るべきは、みんなで目指す方向です。赤ちゃんのコミュニケーションはそんなことを教えてくれました。

さて、実際にことばをつかうには、「見たてる」能力が必要になってきます。子どもが、お皿に砂をいれて、「ごはんできたよ」と持ってくる。砂をごはんに見たてているのです。この見たてる能力が、ことばを使えるようになるためには重要なのです。なぜなら、ことばも象徴機能(シンボル機能)のひとつだからです。また、様々なものを種類で分けてラベルをつける、カテゴライズする能力も大切になってきます。そういった能力をつけながら、次第にことばを使うことができるようになってゆくのです。

9ヶ月ごろに3項関係が成立し、12ヶ月で意味のあることばを話し始め、15ヶ月ごろには語彙が3語くらいになり、18ヶ月ごろに急に語彙が増える現象があり、語彙爆発と呼ばれています。もちろん、ことばの獲得には個人差が大きいので、ここであげた月齢は目安です。

では、ことばを育てる環境はどのようなものが良いのでしょう。気になるところです。養育者の働きかけとしては、子どもが注意を向けたものを共有し、子どもが興味を持っている対象の名前であったり、言語的な情報を提供すること、子どもの興味の対象を知って、それに合わせた言葉がけをすることで、子どもが語彙を獲得してゆきます。
決して、子どもの興味感心を無視して、大人が教え込むのではなく、子どもの興味感心が第一だということだと思います。

ことばを育てる保育者の役割は、子どもの様々な反応を受け止め、子どもに返すこと。子どもが、「この人と遊びたい」関わりを持ちたい相手になること。子どもの自発性を大切にすること。ひとりひとりの子どもの思いを受け止める。子どもがイメージを膨らませて遊ぶことができる場をつくる。発達に応じた環境を用意する。ことだそうです。

どこかで聞いたことばが、並んでいます。

ことば 〜指差し〜

2012/09/30

赤ちゃんは、ことばを獲得する前段階として非言語によるコミュニケーションを行っています。お母さんや養育者が赤ちゃんの働きかけに対して、適切に応答することによって、心が通じ合うとでもいうのか、体験を共有する、経験を分かち合うようなコミュニケーションの段階があります。赤ちゃんとお母さんや養育者の2人の関係で成り立つコミュニケーションが2項関係といえます。

生後8ヶ月から12ヶ月くらいになると、赤ちゃんはお母さんが何かに注意を向けること、こころが意図をもっていることを理解します。ですから、赤ちゃんが未知の場面や状況を理解するために、お母さんの表情を見る社会的参照などがあらわれます。

つまり、赤ちゃんはお母さんとの2項関係を介して外の世界を知ることをします。赤ちゃん・お母さんの二項関係から、赤ちゃん・お母さん・ものの三項関係で世界を理解するようになります。ものを見せる、渡すなどの行動も見られますし、共同注意(joint attention)も行われるようになります。共同注意とは、自分と他の人が一緒に同じものを見ていて、お互いにそれを知っている状態です。一緒に見ている。共に同じものを見ている状態です。
指差しは、この共同注意です。お母さんが、赤ちゃんの前で、絵本を指差した時に赤ちゃんがお母さんの指差した絵本に視線を移せば、お母さんが指をさしているその先には、何かお母さんの意図するものがあるというとを理解しているということです。

反対に赤ちゃんが指差しをする場合、指を指した先の何かを他のものと区別して、他者に示そうという意図が赤ちゃんにあります。好きなおもちゃを指差してとって欲しいと言わんばかりにしている指差しは欲求の指差しといわれます。また、たとえば、好きなテレビ番組が始まって、まるで「見て!見て!」といっているかのような指差しをすることがありますが、これ叙述の指差しというようです。
欲求の指差しは、お母さんの存在を理解はしていますが、指差した対象をお母さんと共有しようという意図はあまりなさそうです。
叙述の指差しの場合は、要求を伝えるだけではなく、指差したものをお母さんに知らせたい、対象を相手と共有したいとう意図をもった指差しだと言えます。

赤ちゃんが話し出す前にも、様々な段階で、様々な方法を用いて、自らコミュニケーションをとろうとしていることを、改めて学ぶことができました。

きょうのごはん

2012/09/30

・ひじきチャーハン

・わかめスープ

・フルーツ

9月29日(土)の献立です。アップが遅れてすみません。

ことば 〜コミニュケーション2〜

2012/09/29

ことばの発達にはことばをことばとして聞くこと、ことばとしての音声を発する能力に加えてコミュニケーションをとろうとすることが必要ということを前回は書くつもりでした。ところが、コミュニケーションには「伝える」という意味と「共有する」「共感する」という意味があることを知って、共有、共感があってはじめて伝わるのだということが中心になってしまいました。

コミュニケーションが成立するには、相手との間で何かの概念や気分、価値観が共有される、共感することが必要なのですが、コミュニケーションには、表情、身振り、手振りなど言語を使わないものから、音声言語、書字言語や楽譜など記号を使ったものまで様々な方法があります。この順にコミュニケーションをとり合う人の距離が近くから遠くになってゆきますし、同時に共有的要素が強いコミュニケーションから伝達的要素が強いものになってゆきます。そして、当然のことながら、距離が遠く伝達性の高いものの方が記号性が高くなってゆきます。

表情、身振り手振りなどは、距離が近く共有生が高いのですが、文法があるわけではなく、伝達性は高くありません。一方、楽譜や数学の記号などは一つ一つの記号が何を表すかという概念を共有していれば、意味は通じ、伝達できます。言語を使ったコミュニケーションはこの間にあるのですが、対面して話をすることから、文書で伝えるなど様々です。

どうも、私はコミュニケーションということを「伝える」ということだけだと勘違いしていたようです。もちろん発信はしないと共有も共感もできませんが、相手の心と自分の心の間に通い合える道が開通しないことには、伝わらないのです。特に、理念や価値観などは共感、共有なしには伝わらないと思います。

コミュニケーションそのものについての話になってしまいましたが、赤ちゃんも積極的にコミュニケーションをとろうとしています。もちろんおなかが空いた、眠いなどの生理的欲求をお母さんや養育者に伝える必要があります。赤ちゃんが自発的に声を出したり体を動かしたりしてお母さんに働きかけます。このときにお母さんが赤ちゃんの感情や行動に応じてそれを解釈することで、二項情緒的関係が成立します。赤ちゃんが、お母さんに働きかけ、お母さんが赤ちゃんの働きかけに応答し解釈することで、赤ちゃんとお母さんが同じ体験を分かち合っているという気持ち、情緒的共鳴が生まれます。
そして、もう少し大きくなると他者の注意や意図を理解してコミュニケーションをとるようになります。他者の注意を理解し、心が意図を持っていることを理解して、自ら意図を持ってコミュニケーションをとるようになります。
お母さんとの関係のなかで物をとらえる三項関係へと広がってゆくのです。この二項関係から、三項関係への広がりがことばの発達と関係がるようです。

スリランカ舞踊を見て

2012/09/29

毎年、スリランカの人達が保育園に来て下さり、スリランカ舞踊を披露して下さいます。今年もまた、その時期がやってきました。

去年見た子は始まる前から楽しみにしてました。乳児クラスの子どもたちも、踊りが始まるとずっと釘付けで見ていて、途中で手拍子したりする子もいました。

お兄さん、お姉さんの踊りが余程、印象的だったようで終わってからも早速、2歳児クラスの子も黄色いビニール袋で作ったドレスを身に惑い、園庭でクルクル回って踊り出す子もいました。1歳児クラスのAちゃんもフラダンスのように手を動かして、スリランカの人達が来た事を伝えてくれてました。

子ども達は、同じものを見ても何でもすぐに吸収する力が優れていて、感性が実に豊かだと感じさせられます。そんな時期だからこそ、いいものとの出会いや本物との出会いを大切にしてあげたいと、思います。

ことば 〜コミュニケーション 1〜

2012/09/28

赤ちゃんがことばを聞き、聞き分けるようになりながら、音を発することに始まって、クーイング、喃語からことばを話すようになります。そこにコミュニケーションの発達ということが必要になってきます。

コミュニケーションを辞書で引いてみると、
人間が互いに意思・感情・思考を伝達し合うこと。言語・文字その他視覚・聴覚に訴える身振り・表情・声などの手段によって行う。(大辞林 第三版)

「伝達」「意思の疎通」という意味が、最初に出てきます。英和辞典の中には「心の通い合い」「交流」という語で訳しているものもあります。(ウィズダム英和辞典)

コミュニケーションの語源は、ラテン語のcommunis ( 共通の) communio(交わり、共に 、一致)+ munitare(舗装する、通行可能にする)だそうです。(ウィキペディア「コミュニケーション」)

つまり、共通に交わり共に一致する、共有、共感することによって、はじめて心が通じ合い伝達ができるのです。人と人の間のコミュニケーションでは、伝達するためには共感することが必要なのです。

このことを知って、腑に落ちたことがあります。こちらから一方的に「ああしない!こうしなさい!」「それはダメ!これはダメ!と相手に押し付けても、相手がそう思わなくては、それに共感しなくてはただの一方通行なので、相互に「通行可能」になったわけではありません。もし、力で強制的にそうさせたら、共感なんてできるはずもありません。伝えよう伝えようと力を入れれば入れるほど、強制になり内容を理解しようとしないか、反発を招いてしまうので、伝わるはずがありません。

子どもが良い例です。子どもの望ましくない行動を叱るだけでは、子どもはまた同じことをしてしまいます。それは「自分のしたことで誰かが困るんだ。もうしないでおこう。」と自ら納得したわけではなく、ただ、叱られるのが怖くて、その場では「もうしない。」といっているだけだからです。

◯◯先生は保育が上手だ。あの先生なら子どもたちがよく話を聞く。でも◯◯先生がお休みで、△△先生が保育を担当したら、子どもたちがなかなか話を聞いてくれない。といったことがいわれることがあります。◯◯先生が子どもとの信頼関係をしっかりと築くことができていて、△△先生にまだそれができていないなら、それもわからないではありません。しかし、本当に育って欲しい子どもの力は「話を聞こう」と思って話を聞くことができる力です。子どもにそこが育っていれば、△△先生が話をしても、子どもたちは聞こうとするはずです。もしかしたら子どもたちは◯◯先生に叱られるのが怖いから静かにしているだけかもしれません。
子どもをまとめたり、指示通りに動かすことのできる保育者が、良い保育者だと思われがちですが、果たして本当にそうなのでしょうか。外から見ただけで判断しないほうがよさそうです。

ことば 〜音声〜

2012/09/27

言語を獲得するためには、音を聞くこと聞き分けることが必要です。そして、その能力は1歳までには母語に特徴的な子音を知覚することができるようになっています。ですから、子どものことばの発達には、生まれてからどんなことばを聞いているかが重要になってくる。環境が大きな影響を与えるのです。

ことばを使う上では聞くことに加えて音を出すことが必要になってきます。赤ちゃんは生まれてすぐに産声をあげます。それからも泣き声、呼吸に伴う音、ゲップなど、様々な音を出しています。

2ヶ月ごろから4ヶ月ごろまでは、クーイングと呼ばれる母音をつかった音を出し、4ヶ月ごろになるとのどのや口の中の形が変わって音が共鳴する空間ができるため、声帯で作られた音がのどや口の中で共鳴するようになるので、笑い声も立てるようになります。笑うことは手足を動かすという全身運動をともなって、息を短く区切って出すなど、息を調節する練習をしているようです。全身の運動が相互に関係しあって、発語できるようになってくるのです。

こうして声が出るようになると、声を使って遊ぶようになります。これはもちろんただ遊んでいるだけではなく、次の発達のための準備をしているのです。こうして喉や口の形ができてくると、徐々に子音が出せるようになり、5ヶ月ごろには過渡期の喃語が現れはじめ、7ヶ月ごろに手の動きと笑いが連携するようになると喃語が現れ、8ヶ月ごろには、基準喃語といわれるものが確立してきます。

そして、10ヶ月ごろには、1音節の長さが大人のそれに近いなどの特徴を持ったことばを話すための前段階のような喃語が現れます。
そして、1歳前後から意味のあることばを話すようになるのです。

赤ちゃんは、自分の発達に合わせて、音を聞き分けること、全身を使い懸命に努力をして、(赤ちゃんがそう思っているかどうかはわかりませんが)言語を獲得していくのですね。

ことば 〜聞く〜

2012/09/26

人がことばを獲得するためには生得的な言語獲得能力に加えて、養育環境が大きな意味を持つことが様々な研究から立証されてきていることを、小椋たみ子 帝塚山大学教授の講義で知りました。

では、話すために必要になってくる能力とはどんな能力でしょう。まずは、音を聞くこと、聞き分けることがあります。音声知覚の発達というそうです。連続して変化する音声を単語として切り分けて聞くことができなければ、ことばとして知覚することはできません。この単語の切り出しができるようになるのは生後7ヶ月から8ヶ月だそうです。

赤ちゃんが聞き分けているかどうかを知るための実験方法が面白いと思いました。赤ちゃんは、おしゃぶりをくわえるとおしゃぶりを吸います。このおしゃぶりにセンサーを取り付け、赤ちゃんの吸う回数と強さを計ります。赤ちゃんにある刺激を与えると(この場合は音ですが)おしゃぶりを吸う力が強くなったり回数が増えたりするようです。同じ音を聞き続けてゆくとだんだんその刺激に慣れてきて、おしゃぶりを吸う強さや回数が減ってきます。これを馴化といいます。そこで、違う音を聞かせると、またおしゃぶりを吸う強さや回数が増加します。これを脱馴化といいます。この方法を使うと赤ちゃんが音の違いを聞き分けているのかいないのかがわかります。

また、生後6ヶ月から8ヶ月くらいの赤ちゃんは、多くの音の弁別ができるそうです。母語がどんな母語であろうとも聞き分ける能力を備えているということです。ところが10ヶ月、11ヶ月ごろになってくると、母語に特徴的な音は聞き分けることができますが、母語以外の言語に特徴的な音は聞き分けることが難しくなってくるのです。

例えば、私たち日本人は英語のLとRの聞き分けが苦手です。アメリカ人の赤ちゃんと日本人の赤ちゃんを比べると、6ヶ月から8ヶ月くらいでは日米の赤ちゃんでは英語のLとRの聞き分けに差はないそうですが、10ヶ月、11ヶ月ごろになってくると、アメリカ人の赤ちゃんは70パーセントくらい聞き分けるそうですが、日本人は60パーセントと差が出てくるそうです。

つまり、赤ちゃんは1歳くらいまでにはちゃんと音の区別ができるようになっているのです。しかも母語に特徴的な音とそうでない音では聞き分けに差が出てくるということです。それは普段聞いている言語を使う準備をすると同時に、それ以外のものは切り捨てているということです。

ここでも、環境が子どもの言語発達に与える影響の大きさがわかります。

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