2014年 6月

生き物たち

2014/06/08

      ムシカリの花

自然の姿は、いつの間にか夏へと移り変わってきています。木々の葉は青々と茂り、雨にしっとりと美しく輝いています。1月ほど前には美しく咲いていたムシカリの花も見えなくなりました。園庭の木々も葉を茂らせて木陰を作ってくれています。

園庭に植えかえた柿の木も1年4カ月ほどが過ぎましたが、どうやら根付いたようです。2本植えたうちの1本は他の木の木陰に、もう1本は日当たりの良い場所に植えました。木陰に植えた方は葉っぱが大きく繁っているのに対して、日向に植えた方はあまり葉が大きくなっていないので日向の方は乾燥しすぎているのかもしれません。

リスがかくれているのがわかりますか?


同じように植えた木でも、環境によって全く違った姿になる。環境が成長に与える影響の大きさが感じられます。子どもたちには、良い環境を用意してあげたいものです。

山にはオオルリやアカショウビンといった鳥たちの声が美しく響いています。少し前にはツツドリも鳴いていました。冬には越冬していたヒナコウモリ達もずいぶん前に旅だっていったようです。

5月の終わり頃、朝早い時間にお寺に行ったら、なにやらちょこまか動いている小さな生き物がいます。

      一目散

よくみるとリスがお堂の回廊と近くの金木犀を行ったり来たり、とってもかわいらしい姿を見せてくれました。

夜、山道を歩いていると、すぐ近くの木の幹で何かが動きました。ライトで照らしてみると、大きなムササビです。長いしっぽまで含めると1メートル近くありそうです。突然ライトで照らされて、眩しかったのでしょう、枝の途中にうずくまってしまったので、写真を撮ってみようと思いましたが、ライトで照らしながらスマホを構えて撮るのは難しかったです。

いろいろな生き物がつながり合いながら生きているんですね。

     ムササビ

子どもから

2014/06/07

子どもが自ら環境に関わることによって発達してゆく。だから、様々な環境を用意して、子どもが興味を持てるようにしますが、そこには、こんな発達を遂げて欲しいという保育者の思いや意図があるはずです。ただし、保育者の思いや意図だけでは一方的になってしまって、子どもたちの学びは深まりません。どんなことをいつどんな方法で提示するのか、そのために必要なことは何か。全ての答えは子どもの中にあります。今のこの子達は何に興味を持っているのか、どう発信すればよいのか、子どもをしっかりと観て、理解していることが大切です。ですから、保育士の先生たちはいつも子どもたちひとり1人の今を考えながら、どんな環境を用意しようか、どう提示しようか、先生それぞれの役割分担は、と相談していますし、子どもたちの反応から、新たな展開につなげたり、子どもたちのことばを拾っては方向を修正したりしています。常に子どもから考えてくださっています。

それはなにも、保育士の先生に限ったことではありません。

当園のお昼ごはんの人気メニューのひとつに、五色きんぴらというのがあります。れんこん、いんげん、にんじん、こんにゃくに豚肉を加えて炒め煮にしたものです。子どもたちに人気のメニューなのですが、給食の話し合いの時に調理担当の先生達が豚肉をちくわに変えるという提案をしてくれました。人気メニューの食材を変えるのは調理担当者にとっては挑戦だと思います。

豚肉をちくわにかえた五色きんぴらができあがり、実際にいただいたら、とてもおいしくできていました。豚肉特有の油っぽさがなく、とてもあっさりとしていて、和風の味付けにぴったりでした。子どもたちも「こっちの方がおいしい」といって食べていたようです。
その時は仕入れの関係でつなぎにたまごを使っているちくわしかなかったので、たまごアレルギーの子どもにはちくわではなく、かわりにじゃこをつかったそうです。そうしたら、近くで食べていた子が「じゃこが、ええなー!」とポツッとひとこと言ったそうです。そのことばを聞いて、次回はちくわの代わりにじゃこで作ってみることにしたと話してくれました。

保育士の先生だけでなく、みんなが子どもから考えてくださっているのは、ありがたいことです。

意図

2014/06/06

ただ子どもを遊ばせているだけではない、保育者の願いをもって、意図をもって環境を構成する。その環境に子どもたちが自発的に主体的に関わる。そのことによって、子どもは自ら発達してゆくのです。

保育所保育指針の第3章 保育の内容 1.保育のねらい及び内容(2)教育に関わるねらい及び内容、つまり5領域といわれるなかの「言葉」の領域は、第1章(総則)3.保育の原理(1)保育の目標の「(オ)生活の中で、言葉への興味や関心を育て、話したり、聞いたり、相手の話を理解しようとするなど、言葉の豊かさを養うこと」をより具体化したものです。
言葉
経験したことや考えたことなどを自分なりの言葉で表現し、相手の話す言葉を聞こうとする意欲や態度を育て、言葉に対する感覚や言葉で表現する力を養う。
(ア)ねらい
①自分の気持ちを言葉で表現する楽しさを味わう。
②人の言葉や話などをよく聞き、自分の経験したことや考えたことを話し、伝え合う喜びを味わう。
③日常生活に必要な言葉が分かるようになるとともに、絵本や物語などに親しみ、保育士等や友達と心を通わせる。

内容は

(イ)内容
①保育士等の応答的な関わりや話しかけにより、自ら言葉を使おうとする。
②保育士等と一緒にごっこ遊びなどをする中で、言葉のやり取りを楽しむ。
③保育士等や友達の言葉や話に興味や関心を持ち、親しみを持って聞いたり、話したりする。
以下⑫まで続きます。
⑫日常生活の中で、文字などで伝える楽しさを味わう。

「日常生活の中で、文字などで伝える楽しさを味わう」ことを子どもたちが経験するためにはどんな環境が必要なのか考えて環境を構成する必要があります。指針の解説部分には「お店屋さんごっこや郵便屋さんごっこのように、文字や記号のやり取りのある遊びを楽しみながら、文字などに親しみ、保育士等や友達と文字で伝え合う喜びが芽生えていくよう見守ることが大切です。」とあります。
郵便屋さんごっこが始めやすいように、お手紙が書くための紙と鉛筆、封筒や切手を用意し、ポストを置くなどの環境を用意します。ただし、子どもたちがその環境に興味を持って積極的に関わらなくては意味がないので、いつ、どうやってそれを提示するかをよくよく考える必要があります。そのために子どもたちをよく観て知っていなくてはなりません。文字を書くために手指が十分に発達しているか。ことばで伝える事ができているか、子どもたちの中で手紙をやりとりしたいという意欲が高まっているかなどなど、様々なことを考えないと、せっかく用意した環境も一過性に終わってしまいます。

想い・願い

2014/06/05

子どもがやりたいと思うことを思う存分できるようにすることが大切です。しかしそれは、子どもの好き放題にさせるということではありません。子どもひとり1人が最も発達を遂げることができるように、その子が自発的に関わる事のできる環境を用意することが必要なのです。「おもしろそうだからやってみよう!」「できるようになりたいから、やってみよう!」という気持ちが起こり、持続することで、はじめて集中して活動に取り組むことができるのです。ただ子どもを遊ばせているだけでは、十分ではありませんし、ただ遊ばせているだけで良いなら、または大人の指示通りに子どもを動かすだけなら、専門職としての保育士は必要ないことになります。子どもをただ放っておくか、口うるさく指示するだけなら、誰でもできてしまいます。

先ず、その子の発達をしっかりと把握することが大切ですし、その子の今を見る必要があります。その上で、その子に経験してほしことができるような環境を構成し、提示することが大切です。子どもが興味を持つことができるように、さりげなく置いておくこと、大人が楽しそうに遊ぶこと、楽しそうに遊んでいる他の子を見ること、事前に興味が高まるような活動をすること・・・いろいろな方法があると思います。

園で行う、全ての活動には意味があるはずです。全てが子どもたちの学びにつながっているのです。学びというと、学校の授業のように先生が前に立って一斉に「指導」するというイメージがあるかもしれませんが、乳幼児期の学びはそうではなく、子どもが自ら環境に関わる事によって達成されます。

保育者は、その子の発達のために経験してほしいことを常に考えています。その子の発達をよく観て理解し、子どもに学んで欲しいと思っていることがあります。保育者の意図ともいえます。その意図をもって環境を構成することで、子どもがおもしろそうだなと興味関心を持ち、自分もやってみたいという意欲をもって、取り組む事ができるように導くことが役割です。

保育は常に、願いや想い、意図を持って行われているはずです。

丸ごと信じる

2014/06/04

子どもたちが、自然と3つのエリアの分かれた遊ぶこととなった公園での遊びの時間。子どもにとってみれば、総合遊具、ロープスライダー、自然という3つの選択肢があったことになります。ずーっとロープスライダーで遊んでいても良いわけですし、おもしろそうなことが見つかれば、それをしても良いのです。そうやって子どもが自由に遊びを選んで行う事を保証するためには「子どもを丸ごと信じる」ことが必要です。

子どもが遊んでいると、ずっと同じ遊びばかりしているように見えることがあります。ところが、見た目はそうだとしてもその子の学びは変化しています。同じことばかりやっているから発達していないのではないかと思いがちですが、そうではありません。子どもたちの中ではいろいろなことが変化しているのです。

ロープスライダーで遊んでいた子どもたちも、回を重ねる毎にボールにまたがるのが上手になってきましたし、スタートの時にそのまま放すか、少しだけ押してあげるかで子どもが味わえる感覚も変わってきます。ですから、子どもたちが慣れてきたら「ゆっくりがいい?早いのがいい?」と子どもたちに尋ねて選んでもらうようにしていました。もちろん、早いを選ぶと最後まで行って止まったときに大きく揺れること、だからロープをしっかりと握っていないといけないことを伝えたうえでです。ちょっと怖いなと思う子は、「ゆっくり」を選びますし、ちょっとスリルを味わってみたい子は「早い」を選びます。また、「早い」を選んで楽しそうにしているのを見て、挑戦しようと思う子も出てきますし、それでも「ゆっくり」を選ぶ子もいます。「早い」を選べば、ボールに座ってロープを足でしっかりとはさみ、手ではしっかりとロープをにぎっている必要があります。ロープスライダーという、ただ器具につかまって滑って行くだけに見える遊びの一部分だけを取り出してもそれだけちがいがあるのです。子どもたちが何を感じているかということも含めれば、その遊びを通して子どもが学ぶことは子どもによって千差万別ですし、同じ子どものなかでも学ぶことは変化してゆきます。もし、子どもがその遊びに飽きてしまったら、今のその子がその遊びから学ぶことがなくなった。ということなのではないでしょうか。

どうしても大人は、あれもさせたい、これもさせたいと自分の「させたい」を子どもに押し付けようとしますが、それでは子どもはおもしろくありません。遊びがおもしろくないということは、学びが少ないということだと思います。今、その子は自分にとって一番必要な遊びを選んでいるのだと、子どもを信じる事が大切だと思います。

何して遊ぶ?

2014/06/03

守山の畑に行くと、いつもお弁当を食べる公園に2種類の遊具が新たに設置され、子どもたちは、自分の遊びたい遊具で遊んでいました。

ローラースライダー係のおじさんになった私は、子どもたちが安全にローラースライダーで楽しめるように補助するのが仕事です。子どもが、確実に器具に取り付けられたボールにまたがったことを確認し、ロープを握って放さないようにとことばを添えて送り出します。子どもたちの楽しそうな顔が嬉しくて、夢中になってそんなことをやっていました。

子どもたちは、自分の番が来るのを待って列を作って並びます。最初のうちは長い列ができていたのですが、時間が経つと並んでいる子どもの顔ぶれがだいたい決まってきて、列の長さもある程度一定になります。

ふと、周りを見渡すと、総合遊具で遊んでいる子どものグループ、水車小屋の近くで、しろつめぐさを摘んで髪飾りを作つなど自然の物で遊んでいる子どものグループ、ロープスライダーで遊んでいる子どものグループと、大きく3つのエリアに分かれて遊んでいます。それぞれのエリアには先生がいて、子どもたちの遊びを見守っています。

誰がどうしよう、こうしようと計画し、指示したわけでもないのに、自然と3つのエリアに分かれて遊ぶという形になっていました。これは、子どもたちが自分の最も興味のある遊びをしたくて、そこで遊ぶことを選んだからです。もちろん水車小屋のまわりで、水車を見たり、ザリガニを探したり、遊具以外で遊ぶことを先生が提案したのかもしれませんし、先生の目の届かない遠いところへ行ってしまうのは危ないので、やめて欲しいとは伝えていたはずです。こうして、条件が許す中でできるだけ子どもたちが遊びを選ぶことを保証してあげると、子どもたちは自分が一番興味のあるところで遊びます。つまり、子どもが選んだ遊びがその子の今に一番適している遊びなのです。それを思う存分できるようにしてあげることで、子どもたちは育つのです。それが成り立つ前提として、「子どもを丸ごと信じる」ということが必要になってきます。

公園で

2014/06/02

いつも、お弁当を食べる公園にお目見えした新しい遊具。子どもたちは大喜びでしたが、実は私はちょっと複雑な気持ちでした。

せっかく、園にはない広々とした草っぱらや、様々な草花、自然の素材がたくさんあるので、そういった物を使って、工夫して遊んで欲しい。そういう思いを持っていたので、遊具が新設されているのを見たときには、「園とは違った自然環境のなかで、思いっきり遊んで欲しいな。」という思いを持っていた私には、子どもの興味を全て集めてしまうような遊具がある方が良いのか、どうなのか、微妙なところでした。

とっても楽しそうな遊具があれば、子どもたちが遊んでみたくなるのは、当然のことで、逆に全く遊んでみたくならない子がいればちょっと困ったことです。

ですから、最初子どもたちは、おもしろそうなローラー滑り台付きの総合遊具に集まりました。そして、一通り遊ぶと子どもたちの中から、他の遊具や遊びの方がおもしろそうに思える子どもたちが現れるのです。もちろん、最初に遊んだ遊具が気に入ってそこで遊び込む子もいます。

私が、ロープスライダーのスタート係になったことで、ここでも遊ぶことができるのだとわかったのでしょう、ロープスライダーを体験してみたいという子の長い列ができました。

「遊具だけではなく、自然がたくさんあるよ」と心の中で言っている私もいましたが、実際にローラースライダーで遊ぶ子どもたちの楽しそうな顔を見ていたら、これだけ楽しく遊んでいるんだったら、この遊びがこの子達が今、楽しみたいことなんだろう。と感じました。

「こうした方が良いのになー」という思いは持っていて良いでしょうし、そういう思いを持って環境を構成することは大切ですが、遊ぶかどうかは、その子の自発性に任せ、子どもが、自分の発達に必要な環境のなかで、最大限の発達を遂げているんだと信じて、見守ることが大切なのだと思います。

公園の遊具

2014/06/01

畑でさつまいもの苗を植え、いちご狩りを楽しんだあと、いつもの公園でお弁当を食べていたら、新しく遊具が設置されていることに気づいた子どもたち、お弁当を食べるのもそこそこに、早速、遊具で遊んでいました。

ローラー滑り台のついた総合遊具に登ったり、滑り台を滑ったりして楽しんでいましたが、しばらく遊んでその遊具のことがわかったら、隣にあるロープスライダーが気になり始める子どもたちが現れました。

同じように遊んでいても、ずっと滑り台で遊んでいる子もいれば、それはすぐに飽きて、違う物に興味を持つ子もいます。あたりまえといえばあたりまえです。その子どもが今、最も興味を持っていることを思う存分させてあげること。それが、子どもの発達にとって大切なことです。ですから、子どもが自らの意志で選ぶことを大切にしたいのです。

ロープスライダーに興味を持った子どもたちが、やってみようとしています。その遊具の構造は、ワイヤーを伝って移動する器具にロープがついていてその先にボールのようなものがとりつけてあるので、そのボールの上に乗ってロープを足ではさむような形で姿勢を作って滑るのが、最も安定して安全に滑ることができるようになっています。ところが、子どもたちにはおさえていないと滑っていってしまう器具をおさえながら、ボールにぶら下がる体勢を作るのが難しいので、最初のスタートの所はどうしても大人が手伝ってあげる必要がありました。

私自身も興味のあった遊具なので、最初に興味を持った子どもたちと、遊んでいたら、いつの間にか私がロープスライダーのスタート係になっていました。子どもたちが自力でボールのうえに登るまで、スライダーがスタートしないようにおさえるのが主な役割です。こどもがボールにまたがったら、ロープをしっかり持って放さないように伝えてから、スタートさせてあげるということをしていました。

最初のうちはそっと放していたのですが、もっと早いのが良いという子には、少し勢いをつけるように押し出してあげました。子どもたちは何度も何度も繰り返し遊びます。繰り返すうちにボールに登るのも上手になってきた子どもたちですが、それでも子どもの準備ができるまでは、器具が動かないように止めていないとならないので、私はそこを離れられなくなってしまいましたが、子どもは、歓声を上げて楽しんでいました。

スクロール