2013年 10月

めざすもの

2013/10/11

保育園は何をするところなのか、いつも原点にかえって考え直すことが必要だと思います。

当園の理念は「みんなのいのち輝く保育園」です。

「すべてのいのちが輝く世界」、みんながそれぞれに、自分らしく、いきいきと生きること、みんなのしあわせのために自分なりの方法で貢献できる。そうすることがしあわせだとみんなが感じられる。そんな世界になることをめざして保育してゆきたいと考えています。みんながしあわせでいられる社会になってほしいと思って、そのために自分のできる事を一所懸命に行うことができる。今、目の前にいる子どもたちがそんな人に育ってほしいと願っています。

子どもたちには、自信を持って自ら判断し行動できる。自分の想いを素直に伝える。相手の想いを全力で受けとめる。いろいろなことを素直に喜べる。自分は自分で良いし、友だちは友だちで良い、それぞれがそれぞれで良い、みんなステキなところを持っていると思える子どもに育ってほしいと願っています。

よく考えてみると、これは子どもをそう育てるというだけのことではなく、私たち大人が「自分自身いつもこうあるのか」という問いかけでもあるのです。自分自身こうあること、少なくともこれに向かって努力することが求められているのです。

いつも、この自省を怠ることなく、大切にしてゆきたいのは、大人が一斉画一的に教え込むのではなく、子どもが自ら考え試行錯誤することで学ぶことですし、その前に、できるようになりたい、学びたい、挑戦したいという意欲がなくては学びはありません。意欲に繋がる興味関心はひとり一人異なるので、それぞれの興味関心を刺激するような環境を用意することです。

もう一つは、子ども同士の関わりの中で育つことを大切にしたいということです。大人が、ああしなさいこうしなさいと言うよりも、他の子をを見たり、子ども同士で教え合ったりすることで、学ぶことの方がずっと大きいのです。子ども同士の関わりを大切にしたいのは、子どもたちはそこから、いろいろな人が共に生きてゆく社会を学ぶからです。

子どもたちが、今を最も良く生きることが、未来をしあわせに生きる事につながるのです。

保育園の役割 2

2013/10/10

保育所保育指針総則の保育所保育の目的には、「保育に欠ける子どもの保育を行い、その健全な心身の発達を図ることを目的とする児童福祉施設であり、入所する子どもの最善の利益を考慮し、その福祉を積極的に増進することに最もふさわしい生活の場でなければならない。」とあり、その解説には「子どもの最善の利益」と「最もふさわしい生活の場」について取り上げられています。

子どもの側から保育園の役割を考えてみると、子どもにとって家庭と保育園の違いはなんでしょうか。

最も大きいのは、子ども同士が関わることのできる子ども集団という環境の有無ではないでしょうか。少子化が進んだことや子どもたちの遊び方の変化などの影響で、子どもが地域で群れて遊ぶ姿があまり見られなくなりました。私が子どもの頃は、幼児から小学生くらいまでの子どもたちがよく外で遊んでいました。遊びの内容によっては自然といろいろなグループに分かれるなどしていたように思います。こういった異年齢のいろいろな子どもが同一集団の中で入り交じって遊ぶというのが、普通に見られる光景だったのではないでしょうか。その中で、子どもたちはそれぞれに自分の役割を果たし、相手の立場や気持ちに心を運び、相手を思いやり、自分の意見を述べながらも、折り合いをつけてゆくことなど、人との関わり方を学ぶのです

ところが、地域にそういった環境がなくなってしまった現代では、地域の遊び場が果たしていた「様々な子どもが関わって遊ぶ」環境を提供することが、保育所の役割、しかもかなり重要な役割となっているのだと思います。子ども同士の関わりの中でこそ子どもは育つのです。そして人と関わる力を養ってゆくのです。

子どもが様々な人と出会い、関わり、心を通わせながら成長していくために、乳幼児期にふさわしい生活の場を豊かにつくりあげていくことが重要であり、そうした役割や機能が今日、保育所にはますます求められているといえるでしょう。 (保育所保育指針解説)

保育園の役割 1

2013/10/09

保育園はなんのためにあるのでしょう。児童福祉法第39条には「保育所は、日日保護者の委託を受けて、保育に欠けるその乳児又は幼児を保育することを目的とする施設とする。」とあります。保育に欠けるとはどういうことなのでしょうか。

児童福祉法施行令には、次のようにあります。

1. 昼間労働することを常態としていること。
2. 妊娠中であるか又は出産後間がないこと。
3. 疾病にかかり、若しくは負傷し、又は精神若しくは身体に障害を有していること。
4. 同居の親族を常時介護していること。
5. 震災、風水害、火災その他の災害の復旧に当たつていること。
6. 前各号に類する状態にあること。

両親がこれらの状態にあって、子どもを保育することができず、同居の親族なども保育できない場合に保育を行うということです。
当然と言えば当然のことですし、何らかの理由で子どもを保育できない保護者に代わって保育をするのは保育所の最も大きな役割の一つです。保育所の役割を言う場合、就労支援など保護者にとっての機能、保護者サポートという側面について言われることが多いように感じます。
もちろん保護者支援は大切なことなのですが、主役は子どもです。子どもがより良く育つために、保護者を支援するのです。

保育所保育指針の第1章総則には「趣旨」に続いて「保育所の役割」が(1)保育所保育の目的 、(2)保育所の特性 、(3)子育て支援 (4)保育士の専門性の4つの観点から記されています。その中で、(1)保育所保育の目的にはこう書かれています。

(1)保育所は、児童福祉法(昭和22年法律第164号)第39条の規定に基づき、保育に欠ける子どもの保育を行い、その健全な心身の発達を図ることを目的とする児童福祉施設であり、入所する子どもの最善の利益を考慮し、その福祉を積極的に増進することに最もふさわしい生活の場でなければならない。

そして、この部分の解説では、「子どもの最善の利益」と「最もふさわしい生活の場」
について取り上げられています。

「子どもの最善の利益」とは、子どもの権利条約に定められた概念で、保護者を含む大人の利益が優先されることへの牽制や、子どもの人権を尊重することの重要性を表しています。その子どもの最善の利益を守り、子どもたちを心身共に健やかに育てる責任が保育所にあるのです。

保育指針にあるように、子どもの側から保育所の役割を考えたいと思います。

関係性

2013/10/08

人と人が関わる、社会の中で生きるようにできている。長い進化の過程でそのことが遺伝子に組み込まれているのなら、どのような社会であると良いのでしょうか。人間同士の関係でいえば、ひとり一人違う人と人が、それぞれ違うままにお互いに認め合い、助け合い、自分の特長や得意なことを活かしてみんなのしあわせに貢献できることではないかと考えています。「みんながしあわせになれる」といえるでしょうか。

子どもたちが毎日唱えているお祈りのことばのなかに「私たちはまごころをもって世につくす人となる」ということばがあります。誰かを批判や否定するのではなく、まして蹴落とすのではなく、助け合うことができる。そんな社会だといいなと思います。

人間同士だけではなく、ありとあらゆる生き物との関係も、生物に限らず非生物との関係も、全てがわかるわけではありません、というより、わからないことの方が多いのですが、どこかで繋がっているのではないかと意識しながら日々を暮らしてゆけると良と思うのです。よくつかわれることばで表せば「共生」ということでしょうか。

そのために、子どもたちに何が必要なのでしょうか。先ず、その子がその子としてそのまま認められることです。そして、もともと持っている豊かな探求心に従って、自発的に主体的に思う存分世界と関わる事だと思います。そのために保育園は、まず子どもにとって居心地の良い場でなくてはなりません。子どもが安心して心も身体もすこやかでいられ、自分を思う存分発揮して認められる場であることが必要です。

保育者は、どんな子どもも受けとめ、共感し、寄り添う。自分がその子になったつもりでその子のことを想う。そのうえで、ひとり一人の子どもの探求心を刺激する環境を用意したり、不思議だな、なぜだろう、と思えるような声がけやきっかけ作りをしたりすることで、子どもたちが自発的に環境に関わる機会を提供してゆきます。そして、ちょっと困ったときや不安になった時にはいつでも戻ってきて安心できるよう、いつも見守っている存在でいる。子どもが何かを指さしたとき、「あれ見て。」といったときに子どもが見ているものと同じものを一緒に見る事ができるように見守っていることです。そしてその背景には、子どもを丸ごと信じる姿勢が必要となってくるのです。

そんな環境の中で子どもたちが自分を発揮していきいきと活動することで子どもの自己肯定感が育ち、自信を持つことができるのだと思います。

関わる

2013/10/07

人類は社会を構成するという戦略をとることで繁栄してきたといわれています。社会を構成するために、人は赤ちゃんのうちから様々なことを学びます。9月に満1歳になったお子さんが入園してきました。初めての環境にきょろきょろもして、いろいろなことに興味を持っているのがわかります。一番よく見ているのは発達の近いお友達の姿です。もちろん、自分より少し発達が進んだ子やずっと年上の子も見ます。そして、いろいろな大人の姿も見ます。こうして、いろいろな人が周りにいる環境が大切なのです。そしていろいろな人と関わることによって、世の中にはいろいろな人がいる事を知るのだと思います。また、自分の発達に必要な人と関わろうとするのです。ですから、いろいろな人と関わることができる環境、特にいろいろな子どもたちが関わりあえる事のできる環境が必要なのです。そういうと、赤ちゃんはお互い関わることはないという声が聞こえてきそうです。もちろん関わるということばの定義にもよりますが、ただ、見ているだけでもある種の関わりを持っていることになると思います。見る相手がいなければ、真似をすることもできません。

前にも書きましたが、赤ちゃんが興味を示すのは人間の顔に似た形です。顔が好きなのか、逆三角形の配置が好きなのかという議論はあるようですが。 ・_・ のような形を好んで見ることがわかっています。また、赤ちゃんは視力が発達していないので、全てのものがぼやけて見えているのですが、人間の顔に加えて、その人がどこを向いているのか、その視線を見分けることができるそうです。人の顔や視線に興味を持つということは人との関わりを築いてゆこうとしているということです。それは本能的なものなのです。

また、こんな実験をテレビで見たように思います。目の機能は問題ないにもかかわらず脳の視覚野を損傷したことで、見る事ができなくなった人に、いろいろな画像を見せると、人の表情だけは見分けることができるのだそうです。他のものは見えないのに人の顔だけは見えるのです。人の顔や表情は視覚や意外の所でも認識しているということなのでしょう。

人の顔や表情は私たちにとってそれほど大切な情報なのです。それは、人と人の関わりが大切だということを意味しているのだと思います。人と人の関わりが大切なのは社会を構成する必要があるからです。

子どもは未来

2013/10/06

先日、園児の祖父母をお招きして祖父母会を行いました。祖父母の皆さんにご来園いただいて、子どもたちと楽しい時間を過ごしていただくという企画です。祖父母の皆様にはご自身のお孫さんだけではなく、他の園児ともふれあってほしいのですが、園児数が多くなって、それも難しくなってきました。

最初は、いつものように子どもたちと一緒にお参りするところから始めます。子どもたちはうれしさで、そわそわすることもなく、一所懸命にお参りしていました。普段はあまりお参りをしていない0・1・2歳児も一緒です。

お参りの前、子どもたちの準備ができるまで少し時間があったので、ご参加いただいた祖父母や保護者の皆様に少し話をしました。「お孫さん達にどんな大人になってほしいですか。」から切り出して、私たちはなんのために、何をめざして保育をしているのかということを伝えさせていただきました。一人でも多くの方にと価値観を共有できたらと思ったからです。

子どもは未来です。あたりまえのことですが、今保育園で過ごしている子どもたちが、未来を作ってゆくのです。では、私たちは子どもたちがどんな未来を創造することを願うのでしょうか。私たちが願うのは「すべてのいのちが輝く世界」です。人間に限っていえば、どんな人でもいきいきと生きることのできる社会と言っても良いでしょう。みんなが様々な違いを認め合い、力を合わせて、生きることができる社会を作る、より良い社会人(社会を構成する人)として育ってほしいと願います。
もっと広くいえば、この地球上に生きているのは人間ではなく、あらゆる生物が生きていて、それぞれに繋がり合い、関係し合うことで成り立っているのです。全ての関係性がわかるわけではありませんが、みんなが繋がり合う、みんなが助け合うことで生きているということ、いろいろな生き物がいるから自分も生きてゆく事ができるのだということは、いつも忘れずにいたいと思うのです。

がんばるトマト

2013/10/05

  草に埋もれてもがんばってるよ!

実をいくつか食べて、そのままにしておいたトウモロコシは、すっかり茶色く枯れて立っていました。収穫していなかった実がいくつか残ったままだったので、とにかくとっておきました。中を見てみると、まばらではありますが10センチくらいのコーンの半分くらいは実がついていて、種はなんとか取れそうです。

それにしても、作物以外の草が良く伸びたものです。大豆などを切ってしまわないように草を刈り取るのも、結構大変です。草を刈っているうちに、トマトのことを思い出しました。

   花も咲かせました

畑の入口付近、黒豆の間に植えたトマトは、フェンスの外にはみ出した部分はしっかりと鹿に食べられていたので、無事だったのはフェンスの中に残っていた部分です。支えがないので、地を這うように伸びていました。これは、収穫が期待できるかと思ってよく見てみると、実が一つもついていないばかりか、花も咲いていません。確かこちらは丸いトマトだったと思います。まだ、茎や葉っぱは元気そうなので、花は咲くかもしれません。たとえ一つでも実がなってくれることを祈ります。

畑の奥の方に植えたサンマルッァーノはどこに行ってしまったのか見当たりません。種を蒔いて芽を出していた辺りの草を丁寧に取り除いていると、ふっとトマトのにおいがしました。あっこの近くに元気で生きているんだと思うとうれしくなって、なんとしても見つけたくなりました。草を少しずつ取り除いてゆくと、ありました。細長い茎が伸びていて、花もいくつか咲いています。元気でいてくれて嬉しい限りです。「わたしはここですよ!」トマトが自分の居場所を知らせてくれたように思えて仕方ありません。

気にかけてあげられなくて・・・

2013/10/04

畑の大豆はあまり実りませんでしたが、数少ない実を来年に向けてしっかり登熟させようと思います。しかし、枝豆が食べられなかったのは残念でした。これは私が、気にかけて適切に世話しなかったからです。

花の咲いていたニンジンはどうなったでしょうか。花が咲いていた辺りをいくら探しても、それらしいものは見つかりませんでした。もし、どこかにあったとしても長く伸びた他の草に紛れて、見つけることはできませんでした。種をとるはずが失敗です。これも私が気にかけていなかったからです。

その他のニンジンはどうなったのでしょう。目印に立てておいた竿を頼りに、注意深く竿のまわりのくさを苅ってゆきます。そうしたら、ひょろ長いにんじんの葉らしきものが何本か見つかりました。それをたどってみると、みんな同じ所から生えているのです。こんな草の下敷きになっても、元気に育ってくれたことは驚きです。

前回同様、一つだけ掘り起こしてみました。そうしたら、全長10センチ足らずのかわいらしいニンジンが出てきました。ちゃんとニンジンが育っているのです。あと一株残っているのですが、どうしようかと思いながら、今はそのままにしてあります。そのニンジンを食べてみると、なんとも濃い味がします。とても甘いなかにもニンジン臭さというか、ニンジン独特の風味が口いっぱいに広がりました。小さいけれども、味が凝縮されているという感じです。試しに茹でてみたら、ニンジン臭さが少し和らいで、甘さが増したように感じました。少しまとまった量が収穫できて、子どもたちと食べてみるとおもしろいかもしれません。そう考えると、花の後に種を取ることができなかったのが痛手です。

気にかける

2013/10/03

   草だらけなってしまった畑

先月下旬、猿がやってきて園の辺りをうろうろしていました。子どもたちの遊んでいる園庭に侵入しては困るので、私が監視することにしました。しかし、ただ猿とにらめっこしていてもしょうがないので、畑の様子を見にに行ってみたら、ジャングル状態が進んでひどいことになっていました。入口までびっしりと生えた草が、私の顔くらいまでの高さに伸びています。草に阻まれて、草を刈らないと畑に入れないくらいですから、作物はどうなっているのかまったくわかりません。ここまで放っておいては、作物がかわいそうです。

    葉っぱ は元気な黒豆

猿の見張りも兼ねて、畑の草を刈ることにしました。鎌と剪定ばさみを使って、まず自分が畑に入れるように道をつけることからはじめます。そうして、ようやく入口近くの黒豆のところにたどり着きます。黒豆の葉は、虫に食われてたくさんの穴があいているものの、元気そうです。豆は実っているかと探してみますが、あまりありません。それでも少しは実がついていたので、大切に育てて種取りをしようと思います。                                            

   少しだけ実った大豆

黒豆ではない普通の大豆は、梅雨前の5月10日に種まきしたものと7月上旬に種まきしたものとがあります。早く蒔いたものは当然大きく育っているのですが、実があまりついていません。7月に蒔いた方は、あまり大きくなってない割には先に植えたものに比べて、実の付き方が良いようです。いずれにしても、全体的に実は少なめで、昨年のように枝豆をたくさん食べるということはとてもできません。

種の元気がなかったのか、種まきの時期の問題なのか、間引かなかったのがいけないのか、私には何が原因なのかはっきりとはわかりませんが、もう少し気にかけてあげて、草を刈った方が良かったことは間違いありません。結果的に放任してしまったのでしょう。作物だって自力で育つためには気をかけ、声をかけ、しすぎない程度に世話をしてあげる必要があります。適切な距離感で、見守る必要があるのです。いくら自然農法といっても、ただ植えっぱなしにしたのでは充分に育つことはできないのかもしれません。子どもも、ただ遊ばせているだけでは、しっかりと育たないのです。

意欲を引き出す

2013/10/02

ある日ランチルームの壁に、逆上がり、前回り、足抜きまわりなど鉄棒の技を書いた紙が貼り出されていました。子どもたちが自分ができるようになった技のところに自分のシールを貼ってゆくようです。子どもたちは自分のシールが増えることも嬉しく思いますし、次は何に挑戦しようかなと見通しを持つこともできます。そんな方法で、子どもの意欲を高めることもできます。

挑戦したいけれども、どこか躊躇している子はさりげなく誘ってみたり、他の子が楽しそうに取り組んでいる姿を見る事ができるようにして、「やりたくなったら知らせてね」と声をかけておくと自分から知らせてくることもあります。なかなかやろうとしない子は、友だちが誘ったり、教えてあげたりしていることもあります。

その子が、あまりやりたがらないからといって、そのままにしておいたら、もしかしたら味わえるかもしれない楽しい世界を味わうチャンスを奪ってしまうことになるかもしれません。ですから、先生達はいろいろな環境を用意することで、その子が自ら取り組むことができるように工夫しています。「できないと思っていても、やってみたらできた」「友だちに励ましてもらったら勇気が湧いてきた」「やってみたら意外と楽しい」「先生が見守ってくれているから安心」など少し道をつけてあげれば、意欲を持って取り組むことができることもありますし、楽しさを感じることもできるのです。

私はよく先生達に運動会の練習はしなくてよいと言っていますが、決して何もしないのではなく、「運動会でみんなに見てほしいから、頑張って練習しよう!」と子どもが思えるなら、それは運動会のための練習ではなくて、子どもの意欲を引き出すきっかけとして運動会があるということなので、良いと考えます。普段から子どもたちひとり一人の発達を促すことをしていれば、わざわざ運動会のための練習をする必要はないと思います。

運動会はなんのためにあるのか、ということをしっかりと共有しておく必要があります。

スクロール