2013年 8月

ご飯と向き合う

2013/08/21

学童保育に来ている小学生達は、活動の後にはいつも「ふりかえり」といって、その日の活動をふりかえって感想などを書いています。今回は青空クッキング特別バージョンの様式が発行されていて、どのご飯がおいしかったかが書けるようになっていました。そこに書かれたことを読んでいると、子どもたちはそれぞれにいろいろなことを感じて、それをちゃんと文章で表現しようとしていることがわかります。全体としては、「クッキングが楽しかった。」「ご飯を炊くのは結構難しいということがわかった。」といった感想が多かったのですが、停電などで電気炊飯器が使えなくても、ガスコンロが使えたらご飯が炊けることがわかった。という感想もありました。

味に関しては、それぞれの好みにもよりますし、水加減など微妙な違いはあったと思うので、正確にに比較することはできないとは思いますが、「なめらかなあじわい」という表現をする子がいたり、「ごはんはあまい」とご飯そのもののおいしさに気がつく子がいて、炊飯を深められたと思います。

私自身の味に対する感想は、炊飯器で炊いたご飯は、少しかためながらいつもの味といったところです。土鍋は風の影響で熱が均等に伝わりにくかったのか、ほんの少しだけ芯が残った部分がありましたが、それ以外は少し柔らかめで、おいしく炊けていました。ステンレスの鍋はかなり柔らかめの炊きあがりでしたが、お米の甘い香りが最も感じられ、甘さも感じやすかったと思いました。

普段何気なく食べているご飯ですが、自分で丁寧に洗米して炊くとことを通して、お米がご飯になることを経験する。そして、炊飯方法によって味が異なるのか?という疑問の答えを見つけるために味に意識を集中して食べる。このようにご飯と向き合うことで、ご飯の美味しさを改めて感じることができたのだと思います。

子どもたちそれぞれに楽しく充実した活動だったのではないかと思っています。

すずむし

2013/08/21

学童保育、めぐみ精舎の部屋に今年の夏から新しいお友達「すずむし」が来ました。
すずむしを初めて見る子や、「おばあちゃんが飼っていた!」と嬉しそうに話す子など、反応はさまざまだったけど、勉強や遊びの合間にすずむしの家を覗きこんだりして、新しい友達を歓迎してました。
初めは小さい小さい黒い体だったけど、なすびをモリモリ食べて脱皮も始まりました。
…と、こないだ鳴いたんです!!
「りーん、りー」
「今、鳴いたよね!」
自由に遊んでいた子ども達の動きが一瞬止まって、耳が集中モードに。
まだまだ鳴き声は短いけれど、かわいいすずむし君達はしっかりめぐみ精舎の一員になってます!
すずむしの鳴き声大合唱になる日が待ち遠しいなぁ。

青空クッキング 2

2013/08/20

学童保育に来ている子どもたちと、何かしら作って食べよう!というスタッフの意見から出発し、先ずは主食のご飯を炊くことをしっかりとやってみたい。それなら、炊飯器任せではなくって、お鍋や土鍋などを使って炊飯する経験ができると良いという願いから企画された青空クッキング。子どもたちはどの工程もとても丁寧に行い、ご飯が炊きあがりました。

保護者の皆様にはあらかじめどんな目的で何を行うのか説明して、空のおべんとう箱を持って来てくださいとお願いしていたのですが、本当にご飯だけを子どもが食べるのだろうかと心配されたのか、「本当に空のお弁当箱だけで良いのですか」と何度も確認された保護者もいらしたそうです。

正直なところスタッフも、白米だけで他のものが何も無いのも少し食べにくいかもしれないと考え、鞍馬の名物である山椒と細かく刻んだ昆布をつかった佃煮(木ノ芽煮と呼ばれることが多い)も少し用意しておきました。

そして、いよいよお昼ご飯の時間です。炊飯器、ステンレス鍋、土鍋と並べて、子どもたちが持参した空のお弁当箱に自分でご飯をよそって食べ比べていました。硬さや歯触り、味はもちろん、見た目や香りなどもしっかりと比べています。みんな味の違いを感じようと真剣そのものです。もちろんどれがおいしいかは好みによって違います。

炊飯器で3合、ステンレス鍋、土鍋で4合ずつ炊いた11合のご飯はあっという間になくなってしまいました。参加した子どもの人数が13名とスタッフが2人、プラス私だったのですが、大人はほんの一口ずつしか食べられないくらいに子どもたちはよく食べていました。もちろんおかずがなかったこともありますが、その分ご飯の美味しさを存分に感じていたようです。途中から、用意していた山椒と昆布の佃煮を出したので、それも食べていましたが、ご飯だけでもおいしく全部いただけたのではないかと思います。
それにしても、子どもたちの食べっぷりには圧倒されました。一人平均8勺は食べている計算になります。結構大きなお弁当箱にたくさん入れて食べていた1年生もいて、おなかが痛くなったりしないだろうかとちょっと心配したくらいです。

青空クッキング 1

2013/08/19

夏休みを利用して学童保育に来ている小学生たちの青空クッキングが行われました。朝からなんだかわくわくしていたのは、私だけだったのかもしれませんが、今日は朝から小学生達と過ごすことにしました。

集まって来た子どもたちは、10時まで夏休みの宿題などをしたあと、今日一日どう過ごすのか、みんなで予定を立てます。いつもは、子どもたちが何をするか話し合って決めていますが、今日は青空クッキング。みんなでご飯を炊くので、何をどんな手順で行うのかスタッフから説明がありました。ステンレスのお鍋チームと土鍋チームに分かれ、お米4合を計って、とぐところからスタートしました。どの子もみんなおとなしいので、あまり乗り気ではないのかと思ったのですが、いざ始まってみるととても真剣に取り組んでいます。

どのチームも丁寧にお米をとぎ終わったら、30分ほど水に浸します。そのあと水を切ったお米をもう一度カップで計り直します。30分水に浸した4合のお米は5合半くらいになっていました。子どもたちは水を含んで膨らむのはわかっていたけれど、そんなに増えるとは思っていなかったようで、ずいぶん感心していました。同量の5合半の水と一緒にそれぞれのお鍋に入れていよいよ火にかけます。

炊飯器はスタッフが担当していました、土鍋とステンレス鍋では火加減がすこし異なることに注意しながら、約40分で炊飯完了。ステンレス鍋の方はガラスのふたのものを用意したので、ご飯が炊きあがってゆく様子がよく見えます。ご飯を炊くことをこれほど丁寧にしたことはない子が多かったようで、どの子もとても興味をもって取り組んでいました。

聴く

2013/08/18

相手の話を一生懸命に聞くこと。話を丸ごと受けとめることってなかなか難しいことです。

「きく」ということばには「聞」と「聴」の漢字を使います。「聞」は音が耳に届いて聞こえる自然に聞こえてくるといった使い方をされることが多いのに対して、「聴」は注意深く耳を傾けてきく、耳と目と心を使って積極的にきくというように使われることが多いようです。耳でその人の言っていることを聴き、目で姿勢や表情、仕草などに注意を払い、心でことばの背景にある相手の心に共感する。ということが聴くということです。

こうして、深く聴くことを傾聴といいます。まさに耳も目も心も傾けて相手受けとめながら話を聞くのですね。この傾聴がしっかりできると、相手の話を自分の価値観だけで判断して聞き流したり、あなたは間違っていると勝手に決めつけたりしないで、話を聞くことができます。そうすると、そこに新たな発見があったり、相手の意外な一面が感じられたりする事もありますし、何よりも傾聴してもらえると、話している人は受けとめてもらって安心できるという感覚を持つことができます。

ついつい自分の価値観が最も正しいと思い込み、そこだけで判断して、相手の話を傾聴することを忘れがちになります。自分が正しいと思い込んで相手の話を聴こうとしなくなることもあります。話をする時には気をつけたいことです。しかし、傾聴するためには、かなり意識して聴かなくてはなりませんし、聴き方のスキルも必要です。その根本にあるのは、相手を認めようとする気持ち、この人の言っていることには何か意味があるのだろうと積極的に受けとめようとする姿勢です。これは、そう意識して聴く練習を重ねないとなかなかできるものではありません。

その意識を忘れることなく、日々実践してゆきたいと思います。

聞くこと

2013/08/17

誰かの話を否定することなく聞くことが意外と難しいということを書きましたが、話し合いの中で異なる意見や反対する意見を述べてはいけない、と言っているのではありません。まず、誰かの話を聞くという最初の段階で、否定してしまわないことが大切だと言いたいのです。つまり、話をしっかりと聞く、ただただ聞くということ。ことばを変えれば、相手の話を全力ですべて受けとめるということです。

例えば、話し出すと話が長くなる人がいます。その人が話し出すと「あー!またこの人の長い話が始まった。いつになったら終わるのだろう。」などと思いながら、聞いていることってありませんか。もしくは自分と違う意見を持っていいる人が話し出すと、しっかりと最後まで相手の意見を受けとめるのではなく、「また、こんなことを言っている。どう言えばわかるのかな。」と次に自分が何を言おうかと考えていることってありませんか。ときには人の話を途中で遮って、一方的に自分の意見を述べる人もいます。話を遮らないにしても、「この人の話早く終わらないかな。」「次になんて言おうかな。」なんて考えていたら、そっちの方に意識が行ってしまって、相手の話を一生懸命に丸ごと聞くことなんかできっこありません。

誰かが話しているときに、いつも全力で相手の話を受けとめようとしているでしょうか。そうふり返って見ると、私は自信を持って「はい」と答えることはできません。ついつい他のことを考えていたり、自分の勝手な解釈をしようとしたりしてしまっている自分に気づくことがしばしばあります。

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