2013年 6月

えんどうまめを食べる

2013/06/10

子どもたちがさやから取り出した豆をゆでます。沸騰前の熱めのお湯に塩を少し入れました。子どもたちが「何それ?」と聞くので、「何だと思う?」と聞き返すと、砂糖とか塩とか答えるので、少しずつ味わってもらいました。口に入れてこちらを見てにこっとするので「わかった?」と聞くと、うんとうなずく子、「もっと塩ちょうだい!」と催促してくる子もありました。その頃には畑に行かずに園庭で遊んでいた子どもたちも集まって来て、みんなが塩を味わってみたいというので、そっちが忙しくなってしまいました。

そして、いよいよお鍋にまめを入れると、泡がくっついたり離れたり、自分で泡をふいているのもいました。「まめがお風呂でおならしてる」なんて言っている子どもがいました。普通に料理するときには、鍋の中でまめがどうなっているかなんて、あまりじっくり観察しないのですが、コンロと鍋に子どもが近づきすぎないように気をつけるつもりでいたら、自然に鍋に顔が近い位置にいました。結構お鍋の中っておもしろいものです。そのうち温度が上がってくると浮いてくるまめが増えたり、踊り出すのだっています。そんなことを子どもたちと楽しみながらも、鍋に触ったりしないように細心の注意を払わなければならず、神経を使います。

しばらくゆでたので、一つ食べてみたら意外とやわらかくなっていました。そのうえ噛むとやわらかい甘さが口に広がります。まめ独特のにおいはあまり感じられません。思わず、「おいしー!」と言ったら、「ぼくも食べたい、私も食べたい」という子がたくさん集まって来ました。さすが食べることには敏感に反応します。ゆで上がったまめをざるにあけて、流水であら熱を取ってからひと粒ずつ食べてみました。子どもたちも、「おいしい!」と喜んで食べていました。

収穫からゆでるところまで、いっしょにしてくれた5歳児の女の子2人と相談して、ゆで上がったまめの半分をもう一つのざるに入れ、園庭で遊んでいる友だちや先生に配って食べてもらうことに決めました。2人はざるを持って園庭を歩き回っては、得意げにみんなにまめを配っていました。

私の所には、たくさんの子どもたちが集まってきて、まめをせがみます。わたしが勧めても、「いらない」と言っていた子もいましたが、他の子どもたちが、あまりにも欲しがる様子を見ていたら、食べたくなったのか、「ちょうだい」と言いながら近づいて来たので、まめをあげると、「ありがとう」とおいしそうに食べていました。

少しだけですが、みんなでおいしくえんどう豆をいただくことができました。

お鍋の中でおいしくなります

えんどう豆をゆでる

2013/06/09

えんどう豆を収穫するだけではつまらないので、収穫してすぐに食べられる予定をしていました。塩ゆでにするのが、一番シンプルで豆の味が味わえるかと考えて、お鍋とカセットコンロを用意しました。

収穫してきた豆をさっと水洗いしてから、豆のへたとすじを取ろうと思い、子どもたちにお願いしたら、「できひん!」といいながらも挑戦していた3歳児がステキでした。

途中で、豆のさやの中はどうなっているのか子どもたちに見せてあげよう。と思ってさやを開けて見せたのがおもしろかったようで、子どもたちはすじを取るに止まらず、さやを開けて中の豆を取り出し始めました。私はさやごとゆでて食べようかと思っていたのですが、子どもたちは豆を取り出すのがおもしろかったらしく、どんどん取り出してゆきます。子どもが豆を取り出した後のさやをかじってみたら、やわらかく生でもおいしいものもあれば、もう固くなってしまっているものもあったので、豆だけにして正解だったかもしれません。

先日、紹介した写真は5月28日(火)に撮影したものなので、まださやも青々としていて、中の豆も小さめのものが多いのですが、収穫したときにはかなり熟してきていて、さやの色も少し黄色味がかっているものがありました。

作物の様子は日一日と変わってゆきます。すべての物事は変わってゆくのに、いつまでも旧態依然としていては、大変です。畑の作物を見ていてそんなことを思いました。

子どもたちと言えば、さやから豆を取り出すのが楽しくなってどんどん豆を取り出します。さやのやわらかそうなものをいくつか残しておこうと手に持っていたら、子どもがあまりにも欲しがるので、少し分けてあげました。それほど、豆を取り出すのがおもしろかったのですね。

えんどう豆の収穫

2013/06/08

園の畑に植えていたえんどう豆が実りました。5月の下旬から実りだしていて、いつ収穫しようかと思いながら、どうせなら私が一人でやってしまうよりも、子どもたちと一緒に収穫したいと思い、他の保育との予定を調整していたら、時間が経ってしまいました。
ようやく予定があって6月8日に収穫しました。土曜日なので、出席している子どもは普段より少なかったのですが、3・4・5歳児の中から希望者を募ったみました。最初何をするのかと思って、ほとんどの子が集まってきたのですが、「畑に豆を取りに行きたい人」と募ったら、9人の子どもが残りました。

今、園庭で鉄棒や登り棒などの遊びに夢中になっている子が多いので、それをやりたかったかったのだと思います。5歳児が2人4歳児が5人3歳児が2人の9人で先ずは畑に行きました。畑にいろいろなものを所狭しと植えているので、参加者がたくさんになると、畑に入りきれなくなったり、他の作物を踏んづけたりしそうだったので、5人くらいずつ行くのが適当かと思っていたのですが、9人なら2回に分けるよりも、みんなで行った方が良いと思いったので、みんなで畑に行きました。えんどう豆もそれほどたくさんあるわけではないので、ちょうど良い人数でした。

実った豆を両手を使ってちぎると良いと教えてあげると、年が上の子はすぐに覚えて、できないという年下の子に教えていました。近くに芽を出したばかりの大豆や、冬を越して芽を出していたにんじんがあるので、子どもたちが踏まないか、私は一人でヒヤヒヤしていました。多少踏みはしたものの、子どもたちは子どもたちなりに気をつけてくれているようでした。

みんな上手に収穫してゆきます。4分の3くらい採ったところで、あとは残しておこうということになって、畑から園庭に戻ってきました。

女の子の参加が多かったものの、3・4・5歳児がバランス良く参加してくれ、助けたり、助けられたりしながら収穫ができて良かったと思います。畑で育っている麦や豆、トマトなどをもう少し詳しく紹介すれば良かったかなと思っています。

たわわに実ったえんどう豆

鑑真和上像

2013/06/07

唐招提寺で修された鑑真和上一二五〇年御諱において、鑑真和上座像 平成のお身代わり像の開眼法要に巡り会うご縁をいただきました。長い法要でしたが、開眼の儀では結縁縷という綱を通じて全参列者が開眼に結縁したり、舞楽が舞われたり、散華という声明にあわせて、たくさんの散華(紙で作った花びら)が頭上から舞い降りてくるなど、華やかでなおかつ厳かな心に響く法要でした。

修理を終えて5月末に落成式が行われた開山堂にお身代わり像は奉安され、今までは、年に数日しか拝むことができなかった国宝像に代わって、いつでも拝むことができるようになるそうです。

「平成のお身代わり像造立記録」(制作NHKプラネット近畿総支社 企画律宗総本山唐招提寺)というDVDにお身代わり像の造立過程が記録されています。

このお身代わり像は本物と同じ脱活乾漆技法で、製作されています。製作に当たったのは、岡倉天心が明治31年に創設した「日本美術院」の国宝修理部門を起源とする公益財団法人日本美術院国宝修理所。模造の製作は、形を写すだけではなく、材料構造技法などを解明しながら、本物を造立した仏師の精神に近づくことを目指して来ました。

そのために、国宝像を詳しく調査する中で、漆の層が薄くて軽いこと、絵の具の上から油を塗布する手法が用いられたことなど新しい発見がいくつかあったそうです。精緻に調べ上げてから丁寧に制作し、検討を加えてまた制作するという、気が遠くなりそうな手間と、情熱が注ぎ込まれているのだと感じました。

行程は、芯木を組み立てて、その上に塑土を盛って、お姿を整形してゆく。そして、その上に麻布を漆で張り込んでゆく。乾燥したら、背中部分を切り取って中の土をとり出す。そして最後は彩色です。こうして作られるのかと思いました。

お身代わり像の造立する過程で、国宝像について様々なことがわかった。その一つが本物のお像には作為が全く見られないことなのだそうです。その自然さが、人々の心を打つのかもしれません。

開眼法要

2013/06/06

日本に仏教の戒律を伝えた高僧、鑑真和上(688-763)は教科書にも取り上げられていて、ほとんどの人が知っていると思います。特に、11年にわたって渡航に挑戦しては失敗し、ようやく6回目で日本にたどり着かれたことはあまりにも有名です。そして、鑑真和上は東大寺での授戒に力を尽くした後、唐招提寺を創建されたこともよく知られています。

今年は、鑑真和上が遷化されてから1,250年にあたり、唐招提寺では、鑑真和上一二五〇年御諱が厳修されています。この1250年の記念事業として、国宝鑑真和上座像のお身代わり像を本像と同じ脱活乾漆技法で製作され、先日、開眼法要が営まれました。

開眼法要の行われた6月5日はとても良いお天気で、気温もずいぶん高くなりました。雅楽の調べが流れる中、僧侶と共に輿に乗ったお身代わり像が開眼法要の会場である講堂に運ばれ、石田智圓 唐招提寺長老が、大きな筆でお像の目をなぞるようにして開眼の儀が行われました。開眼の儀に用いられた大きな筆には、結縁縷と呼ばれる綱が繋がっていて、約1,000人の参列者全員がその綱を握ることで、一緒に開眼に参加しました。動作としてはただ綱を握っているだけなのですが、心はお身代わり像に繋がっている気がしました。

まぶしい光の中、五色の幕が風になびき、ときおり風が運んでくるお香の香りに包まれて、読経の声や舞楽の調べを聞いていると、心がとても落ち着き、なぜか天平の時代にタイムスリップしたような気持ちになりました。すばらしい機会に結縁できてとても嬉しく思いました。

赤ちゃん学会 4

2013/06/05

リズム遊びに焦点を当てることで子ども同士の関わり、特に3歳未満の子どもの関わりを、保育現場の視点から調査研究した、日本赤ちゃん学会第13回学術集会ラウンドテーブル1「保育所における乳幼児の関わり ―リズム遊びに焦点を置いて―」最後の発表は、新宿せいが保育園さんでした。

発表された保育士さんは、先ずリズムとは?という視点で考えて、音楽のリズム・ことばのリズム・生活のリズム・生体のリズム(呼吸)・四季のリズムがある。また、話し手、聞き手、呼吸や心拍といったコミュニケーションのリズムというのもあると分析されていました。

これを聞いて、「リズム」と聞くとすぐに音楽や、リズム遊びしか思いつかない固定概念に縛られている自分自身がいることに気付きました。やはり、根源や本質に立ち返って考える必要があります。

10カ月の子どもを真似する5カ月の子の例、目が合うとリズムが合う、リズムが合うと合わせることが楽しくなる子どもたちの様子から、リズムはことばを獲得する前の赤ちゃんの非言語コミュニケーションだともおっしゃっていました。

印象深かった動画は、「まんまんま・・・」と声を出す赤ちゃんに、先生が「まんまんま・・・」同じような音声で働きかけてみたら、赤ちゃんが笑顔になって更に声を重ねてくる。更に先生が声を重ねると、もっと重ねてくる。そのうち嬉しくなって、笑顔満面のハイハイで先生に近づいて来るというものでした。

このようなことから、共鳴し合うのは楽器だけではない。0歳児でもとても関わりが見られる。乳児たちはことばを獲得する前からリズムをはじめとした非言語コミュニケーションを繰り返して、多様な人々との関わり、自ら成長してゆく基盤を作っている。そのためには乳児期から多様な存在とかかわり、豊かなコミュニケーションの機会が増えることが望ましい。保育園ができるのは、子どもが多様な存在と豊かに関わる事ができる環境を用意すること。リズムをはじめとした幅の広いコミュニケーションの経験を思う存分積み重ねることができる環境を用意することだと結論づけていらっしゃいました。

この発表から、普段保育の中で何気なく見られそうな場面を、テーマ(問題意識)をもってしっかりと見つめ、丁寧に記録することで、様々なことが明らかになって来るのだと実感しました。何気ない日常を、高い意識を持って見つめ、ひとつひとつを丁寧におこない、本質に立ち返って深く考えることの重要性を改めて痛感しました。

赤ちゃん学会 3

2013/06/04

日本赤ちゃん学会第13回学術集会ラウンドテーブル「保育所における乳幼児の関わり ―リズム遊びに焦点を置いて―」では、乳幼児期から関わり合う力を引き出す要因の一つに、発達の異なる子ども集団がある。保育園で過ごす時間の長さが、関わり合う力を引き出す。という昨年の研究結果を踏まえ、保育現場で起こっている子ども同士の関わりをリズム遊びを焦点をおいてエピソードをまとめ、これらをもとに、子どもたちが社会性を獲得してゆくために必要な環境について考察するという趣旨で発表が行われました。

ここにもあるように、発表内容は、子どもたちがリズム遊びを通して関わって遊ぶ様子を保育の中で撮影された動画をふんだんに用いながらの発表でした。

熊本県の城山保育園さんは、「保育園でのリズム遊びは子どもにどのような発達を促すのか」というテーマで発表してくださいました。
1人の1歳児が、両手で机をたたいてリズムを取ると、何人かが集まって来て同じように机をたたいて音を出す。そのリズムはちょっと聞くとバラバラのようですが、どこか調和したリズムで、かといってぴったり合っているわけでもない。心地よいリズムでした。
また、1人がタンバリンを鳴らすと、何人かが真似て同じように鳴らし出す様子が映し出されていました。よくありそうな子どもたちの姿ですが、発表された保育士さんは、子どもたちが共感し合ったからこそ合奏した。子どもたちが共感することこそ合奏の基本だと感じた。共感できる相手がいるからこそ合わせたいという気持ちが起こる共感できる相手がいるからこそ合わせたいという気持ちが起こる。とコメントしていらっしゃったことが印象的でした。リズム遊びを通して子どもたちが共感している。まさにコミュニケーションの一形態だと感じました。

島根県のあさり保育園さんとさくら保育園さんはの発表は地域の伝統芸能である神楽を真似て遊ぶ「神楽遊び」で遊ぶ子どもたちの様子を紹介してくださいました。その中で保育月数が長い子と短い子で関わり方に差があるのかという疑問を保育士さんご自身が持ち、その視点で動画を撮影しながら、保育月数が長い子ほどリズムが重なりやすいことなどを発表してくださいました。リズムはことばがなくても気持ちを通じ合わせる手段であり、リズムを通して複数の子どもが複雑な人間関係を築いてゆくこと、子どもたちがリズムを共有することで、共感していることにリズムに焦点を当てて動画を記録することでよくわかった。子どもがより深く他の子どもと関わろうとしたとき、リズムはとても有効だと締めくくっていらっしゃいました。

普段何気なく見ていることでも、一つの視点で見ることで気づくことが多いでしょうし、それを動画で記録し、何度も見返すことで新たに発見することもあると思います。3歳未満の子どもたちがリズムを通して深く関わっている姿を再確認するとともに、子どもの姿から学ぶ新たな方法をも教えていただきました。

赤ちゃん学会 2

2013/06/03

赤ちゃん学会第13回学術集会では、まず「保育所における乳幼児の関わり ―リズム遊びに焦点を置いて―」というラウンドテーブルに参加しました。

このラウンドテーブルは、昨年の発表を更に発展させた形で行われましたので、まず昨年の発表を概観したいと思います。

2歳児には3歳児のように子ども同士で関わって遊ぶ姿は見られず、関わり合う、見合う、模倣し合う関係ではない。という調査結果(幼稚園における2歳 児受け入れに関する調査研究 全国幼稚園教育研究協議会)があります。一方、実際の保育現場では2歳児はもちろん1歳児や0歳児でも子ども同士が関わる姿は日常的に見られることを保育現場にいる保育者は経験的に知っています。企画者はこの差は、2歳になるまでの子ども同士が関わる経験の差ではないかという予測のもと、関東、九州の11都県41施設の保育所、 約1600人の在園児・一時保育利用児の子ども同士の関わりを、質問シートを用いて調査した結果をもとに「保育園で過ごす時間は、乳児においても子ども同士が関わる力を引き出している」更にそれを導く保育者の環境設定が重要だと分析されました。

このような調査を行う中で、1歳児の子どもたちが関わり合って遊ぶ姿が見られ、特にペットボトルにおはじきを入れて作ったマラカスで遊ぶ姿では、友だちが出す音に合わせてマラカスを鳴らしており、これはあきらかに相手に合わせて音を出すことを楽しんでいる姿だったそうです。これは、関わり合う、見合う、模倣し合うに止まらず、お互いのリズムを聴きながら合奏し合う姿です。こういった姿が1歳児クラスで見られることを踏まえて、今回の発表では子ども同士が関わり合って遊ぶ姿をリズム遊びに焦点をおいて発表してくださいました。

本来私たち人間は集団で生きる動物であり、赤ちゃんは集団の中で成長発達する力を持っていると考えられる。しかし、現代の超少子化社会、異年齢の子ども集団が希薄化した環境は私たちの祖先が長い間守り続けてきた子育て環境とは大きくかけ離れてしまっている。そこで、現在では貴重になってしまった異年齢の子ども集団の中で、乳児期から過ごした子どもたちがどのように関わり合っているのか、今回はリズム遊びを中心にそのエピソードを整理してゆきたい。
子ども集団で関わり遊ぶ経験は、社会生活を送る上での必要な力(社会性)を獲得してゆくことであり、今一度この子ども集団が持つ個々の子どもの発達を培う力を見直してゆきたい。(日本赤ちゃん学会第13回学術集会プログラム・抄録集P19)
と企画者は述べていらっしゃいます。

赤ちゃん学会 1

2013/06/02

5月25日、26日の2日間にわたって、福岡で行われた、日本赤ちゃん学会第13回学術集会に参加しました。
日本赤ちゃん学会では、総合的な学問領域としての「赤ちゃん学」の発展と子どもの健全な発達を目的として、赤ちゃんに関する研究を行う様々な分野の研究者が研究発表、交流、啓蒙活動などを行っていらっしゃいます。医療、行動科学、工学、政策科学、育児保育科学など本当に幅広い分野の研究者が参加していらっしゃるのには驚きます。そして、育児、保育、教育の現場からの要望や疑問を研究に活かすと同時に研究成果を現場に活かすという、現場と研究者の積極的な交流を目指していることも特徴の一つだと思います。

今回、学術集会に参加したのは、もともと赤ちゃん学会には興味があったことと、当園が目指す保育を実践していらっしゃる保育園の皆さんが発表されると聞いたので、是非参加したいと思い、スケジュールはかなりタイトでしたが、思い切って参加しました。
学会という場に参加するのは初めてだったので、どんなところだろうと興味いっぱいでした。

初めての体験にポスターセッションというのがあり、研究者の方々がご自身の研究の成果をポスターという形で掲示し、そこで説明してくださるという発表でした。ですから、自分の興味のある内容のポスターを見に行くと、そこで研究者が質問に答えてくださったり、説明してくださったりするのです。

2日間に渡って行われる学会の中にラウンドテーブルと呼ばれる分科会が4つあり、そのうちの2つが保育園からの発表でした。

今回の学術集会のメインテーマは「赤ちゃんの中の社会」、私が参加したラウンドテーブルでは乳幼児の関わりや社会性という観点から発表が為されていました。

私が参加したのは、次の2つのラウンドテーブルと特別講演、シンポジウムでした。

ラウンドテーブル
「保育所における乳幼児の関わり ―リズム遊びに焦点を置いて―」
企画者:藤森 平司(保育環境研究所ギビングツリー)小川 勝利(社会福祉法人いるま保育会/昭和大学医学部薬理学講座)

ラウンドテーブル
「乳幼児の社会性 −乳児からの保育における環境による乳幼児の発達の保障−」
企画者:楢崎 雅(社会福祉法人摩耶福祉会 るんびに保育園)

特別講演
「The Development of Language as a Social Category (社会的カテゴリーとしてのことばの発達)」
Katherine D. Kinzler(シカゴ大学心理学部)

シンポジウム
「構成(論)的発達科学の新展開」
企画者:長井志江(大阪大学大学院工学研究科)・高橋英之(玉川大学脳科学研究所)・浅田稔(大阪大学大学院工学研究科)・國吉康夫(東京大学情報理工学系研究科)
発表者:國吉康夫(東京大学情報理工学系研究科)・熊谷晋一郎(東京大学先端科学技術研究センター)・守田知代(自然科学研究機構生理学研究所統合生理研究系)・
浅田稔(大阪大学大学院工学研究科)
討論者:Katherine Kinzler(シカゴ大学心理学部)

だって、かわいそうやもん!

2013/06/01

おいしく、楽しく食事をいただくための大切な要素の一つは、いろいろな人と共に食事をするということです。いろいろな人と食べることで、どうして食べると良いのか、食器やお箸などはどう扱うのか、いろいろなことを見て学んでゆきます。家庭であれば、両親、兄弟、祖父母などと食事するのが良いでしょうし、保育園なら、発達の異なる異年齢の子どもたちに大人が加わって食べると良いと思います。そのなかで、みんながおいしそうに食べているのを見て少しずつ食べられるようになってゆきます。みんなで、「おいしいね!」と言って食べることが大切なのです。

もちろん100%そうなるわけではありません。苦手な食べ物や嫌いな物が一つや二つあってもそれほど気にすることはないと思います。アレルギーとまで言わないにしても身体に合わないものだってあります。ですから当園では嫌いな物は盛りつけてもらうときにほんの少しにすれば良いと言っています。

食べるという営みは自分のいのちをつなぐために他のいのちをいただくということです。他のいのちをいただかないと生き続けることはできません。子どもたちにも機会があるごとにそんなことを伝えています。どこまで理解しているのかよくわかりませんが、先日もそんな話をしていたら、5歳児の子どもたちが「いのちってなに?」「いのちってどこにあんの?」と質問してきて少し戸惑いました。いのちは、私たちがこうして生きているということ、どんなものでもそれぞれに役割を持って存在している。いのちはあらゆるところにみちあふれていると伝えたかったのですが、どう伝えたら良いものか迷いました。

私が昼食を食べ始めるのが遅くなったある日、5歳児の女の子がゆっくりと食べていました。実はその子はお肉が少し苦手で、おかずに入っていた鶏肉に苦戦していたようでした。その子は自分が苦手なことがわかっていて、鶏肉は少しだけにしてもらっていました。それでも、食べにくそうだったので、「大丈夫?」と聞くと、「お肉食べると、おぇー!ってなるねん」というので、「どうしても無理なら残す?」と聞きました。するとその子は、「にわとりさんかわいそうやもん。」といって、本当に少しずつ少しずつ、口に運ぶのです。そのことばを聞いて、にわとりのいのちを活かすために、食べられない鶏肉を一生懸命口に運んでいる姿を見たら、胸の奥から熱いものがこみ上げてきました。

「どうしても無理なら残す?」と聞いた自分の軽率さを反省し、子どもの心の深さに手をあわせました。

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