2012年 4月

どろんこ遊び

2012/04/10

ようやく少し暖かくなってきました。子どもたちは気温の変化に敏感です。少しでも暖かくなると、園庭では水遊び、どろんこ遊びがはじまります。きょうもさっそく1歳児や2歳児たちが、水と土で遊んでいました。まるで真夏の水遊びのように全身ずぶ濡れになっている子もいましたし、せっかく着替えてもまた、すぐにどろんこ、びしょびしょになって遊んでいる子もいました。新入園児さんたちも、外で水遊びやどろんこ遊びをしている間は、泣くことを忘れているかのようです。

そんな子どもたちの、いきいきと遊んでいる様子を見ていると、自然の中で自然のものを使って遊ぶことが、楽しいのだなと感じます。楽しんでいるというより、やらなくてはならないというか使命感を持って遊んでいるかのようにも見えます。子どもは遊びから、生きてゆく上で必要なことを学んでいます。自らの人生をより良く生きるために、今、懸命に遊んでいるのです。そういう意味で言えば使命感を持っているのかもしれません。そんな子どもたちが、思いっきり遊べる様々な環境と時間と集団を保証し、自らにとって必要な遊びを様々な関わりの中で、体験して欲しいと思います。

もちろん、子どもが遂げたい発達を遂げることを意図して作られたおもちゃや教具などは大切ですし、子どもの様子をしっかりととらえ「この子が必要としているものはなにか」を見て取り、そのものを用意することは必要です。それと同時に一見何でもない、土や水や木ぎれといった自然のものを使い想像力を働かせて遊ぶことも大切だと思います。

最近は様々な理由で、自然の中で何の心配もなく思いっきり遊ぶことができにくくなってきていることが、気がかりです。

目の前の子どもたちが、心も体も健やかに成長してくれることを祈り、そのために自分が今できることに全力を注ぐ。そのことこそ大切なのはわかっているつもりですが、自分が為すべき最も大切なことは何か。もう少しクリアにする必要が私にはありそうです。まだまだ修行が足りません。

2012/04/09

新年度になって保育士と栄養士を1人ずつ新しく採用し、保育体制を強化しました。2人とも新卒でやる気いっぱいです。2人がいきいきと仕事ができる環境を整え、しっかりと伸びてゆけるように見守りたいと思います。

前にもブログに何度も書いていますが、当園は異年齢の保育を行っています。それは、子ども一人ひとりがそれぞれに異なり、それぞれがその子が、その子自身の発達をしっかりと遂げることを願っているからです。ですから子どもの誕生日で機械的に区切った何歳児クラスという区切りはゆるやかにしています。しかし、それが有効に機能するためには、保育にあたる大人の意識が大切です。「私のクラス」とか「先生のクラス」という表現に表れるように、どうしても担任の保育士を中心に「クラス」という垣根を高くしてしまいがちなのです。その「クラス」意識が高くなると、「私のクラスはこうするけど、先生のクラスはどうするの?」となります。そのうえに保育士同士のコミュニケーション不足が加わると、「あの先生はいくら言ってももわかってくれないから、一緒には保育できない、だから私のクラスはこうする。」ということがはじまります。こうなると、気持ちがどんどん離れていってしまい、コミュニケーションを取ろうともしなくなってしまいます。
こうなってしまうと、一番迷惑するのは、子どもたちです。これでは大人の勝手な都合で子どもたちを振り回しているにすぎなくなってしまいます。

そうならないためにも、全ての職員が、「みんなのいのちが輝く」ことを目指し、子どもはもちろん、保育園に関わる全ての人がいきいきできるためにはどうすれば良いか、また、子どもが真に主体的に活動するためには何が必要かを考え、実践してゆくことが大切です。

子どもは、大人が考える以上の力を持っているのです。最初から「子どもにはそんなことはできない。」と大人が勝手な枠を作らずに、子どもを信じることが大切です。

今年度は職員間の心の壁をさらに低くすることを目標のひとつとして様々なことに取り組んでゆきたいと思っています。

狂言

2012/04/08

お寺では、花供養の開闢法要が奉修され、2週間の法要期間がはじまりました。花供養は春の花の咲くこの時期に、花に代表される自然に感謝し、自然から学ぶ。自分自身の心の中の花を咲かせる。言い換えれば全ての人が持っている仏様の心をそれぞれが輝くことを祈ります。

この法要の期間中に慶讃の催しや、奉納が行われます。今日は千本ゑんま堂大念仏狂言保存会の皆さんによる、大念仏狂言が奉納されていました。狂言というと、能狂言が一番に思い浮かぶかと思います。能狂言は武家社会を中心として行われた能とともに演じられることが多く、面をつけず、衣装も長袴、裃など武家風のものです。それに対して念仏狂言はもともと寺院が布教のために念仏法会と合わせて、念仏踊りや寸劇などを行っていたもので、演者は狂言面をつけ、頭巾をかぶっていますし、衣装も町衆姿などが多いようです。

壬生寺の壬生念仏狂言、清涼寺の嵯峨念仏狂言そして、千本ゑんま堂引接寺の千本ゑんま堂念仏狂言の3大念仏狂言があり、それに神泉苑狂言を加えた4つの狂言の総称が念仏狂言です。

千本ゑんま堂念仏狂言は、平安中期の寛仁元年(1017)に引接寺を開いた、定覚上人が布教のために始めたと言われています。その後何度か中断と再興を繰り返し、昭和になってからは火災により狂言堂が消失、衣装や小道具も燃えてしまったため、再興が危ぶまれましたが、そのときの伝承者が保存会を結成して再興されたことにより、現在まで伝承されています。

今日の演目は、「鬼の念仏」と「にせ地蔵」の二番でした。「鬼の念仏」は六道の辻で亡者をせめようと待っている鬼の所へ落ちてきた亡者が念仏を鬼に授けて、鬼が念仏を唱えている間に地獄に落ちた人たちを助けに行くというお話です。
鉄杖で亡者を責めようとする鬼が、亡者の唱える念仏にかなわないところや、亡者が鬼に鉄杖や虎の皮のでんちを捨てさせたり、十徳を着せ、念仏が根を持たせる所などは、怖いはずの鬼が亡者のいいなりになって滑稽でした。

「にせ地蔵」は竹三郎と梅三郎という2人が、お地蔵様になりすまして村の外れにたちお供え物を失敬しようと企みますが、結局、庄屋さんに見つかって叱られるというストーリーです。お地蔵様になりすますのに、衣を後ろ前に着て、後頭部にお地蔵様の面をつけて頭巾をかぶり、宝珠と錫杖をうまく後ろ手に持って、にせ地蔵を演じていらっしゃるのを興味深く拝見しました。
以前、演目が「舌切りすずめ」だったときは、当園の園児たちもすずめの役で参加させていただいたこともりました。

日差しはとても暖かいものの、気温は7度ほどしかなく風邪も少しあったので、ぽかぽか陽気とはいきませんが、日の光を浴びながら、狂言を見ていたら、とてもゆったりした気持ちになることができました。

はなまつり

2012/04/07

寒いです。ホントに寒いです。今朝の気温は0度。水たまりには薄く氷が張っていました。4月にこれほど寒さが続くのも珍しいと思います。ずっと前に桜の花が咲いている時に雪が降ったことがありました。うっすらと雪が積もった桜の花の先の空には月がかかっていたことがあって、「これがホントの雪月花だ。」とひとりで感激していたことを思い出しました。それにしても、寒いです。


そんな寒さのなか、4歳児と5歳児がはなまつりのお参りに、お寺に行きました。はなまつりは、灌仏会といい、お釈迦様のご生誕をお祝いする行事で、4月8日に行うのですが、今年の4月8日は日曜日で保育園はお休みなので、お寺の皆さんが、1日早い7日からはなまつりのお祝いができるように用意してくださいました。しかし、土曜日の今日は出席している子どもの数は少なく、4・5歳児14人がお参りしました。

ケーブルに乗せてもらって本殿に行き、貫主様と一緒にお参りをしてから、花御堂に祀られた誕生仏に甘茶をかけてお祝いしました。誕生仏とは、右手で天を指し、左手で地を指すお釈迦様の立像で、お釈迦様がお生まれになったとき、7歩お歩きになって、右手で天を指し、左手で地をさして「天上天下唯我独尊」とおっしゃったという伝説によるお姿です。

天上天下唯我独尊とは「釈尊が生まれた時、一手は天を指し、一手は地を指し、7歩進んで、四方を顧みて言ったという語。宇宙間に自分より尊いものはないという意」と広辞苑には解説されています。ここに出てくる「我」ということばを、人間一人ひとりと解釈し、「人間一人ひとりが、それぞれにかけがえのない尊い存在だ」とする説もあるようです。学問的には正確ではないかもしれませんが、私は個人的には「どの人もかけがえのない尊い存在、すべてのいのちがそれぞれに尊い」と理解したいと思います。

甘茶をかけるのは、お釈迦様がお生まれになった時に天から甘露の雨が降りそそいだと伝えられることから甘茶をかけるようです。甘茶はユキノシタ科の植物で、その葉を蒸して、乾燥させたものです。

子どもたちはひとりずつ順番に丁寧に甘茶をかけては合掌していました。その後甘茶を一口頂くと、甘くておいしいという子や、変な味としかめっ面をする子様々です。最後にお釈迦様の誕生の物語の紙芝居を読むと子どもたちは真剣に聞いてくれていました。

園にもどる途中、雪が降ってきました。いつもなら桜が咲いて暖かいはずなのに・・・
さすがの子どもたちも、少し寒かったようです。早く春らしい暖かさになってほしいものです。

春の気配

2012/04/06

今朝の気温は2.5度でした。今日は夜には寒くなるようで、雪という予報も出ています。4月とは思えない寒さです。天気予報によると強い寒気が南下しているようです。4月6日にもなって「春の気配」というタイトルをつけるのは少しためらいましたが、現実に鞍馬の春は気配くらいしか感じられません。

日陰は寒いのですが、やわらかな日差しを浴びると、ほんわかと暖かなのは春の気配です。

お寺の本殿前の紅梅が八分咲きになっていましたし、白梅も咲き出しました。桜のつぼみは薄緑色になって膨らんできました。つぼみたちは、早く咲きたいのになかなか咲けずにうずうずしているように感じます。春の気配です。

暖かくなるのを待ちきれずに、花を咲かせてた桜の木もありました。白い花が冷たい空気の中、少し寒そうに見えます。

山の朝もずいぶんにぎやかになってきました。いろいろな鳥たちが、思い思いに囀っています。春の気配です。
カンカンカンカン…とケラが木をつつく音が響き、ひゅーーー ひーーーとアオバトが鳴きます。名前はわかりませんが、ほかにも5種類くらいのとりが鳴いています。ウグイスのさえずりも聞こえてきました。でもまだ鳴くのが下手なのか、「ホーホケキョ」とは聞こえません。浅い春の気配です。

寒い寒いとばかり言っていないで、外に出て、目をこらし、耳を澄ませば春の到来を感じられます。春の香りだってしてくるかもしれません。

入園式

2012/04/05

入園式を行い、12名の新入園児を迎えました。保育園に来るのは、初めてか2回目の子どもたちは、少し引き締まった式の雰囲気もあって、終始緊張気味です。できるだけ柔らかい雰囲気で迎えてあげたいと思いますが、新入園児さんの緊張が解けるまではいきません。

迎える側の在園児たちはといえば、新年度がはじまってすぐということもあり、練習はほとんどしていないのですが、みんな落ち着いて式に参列し、新入園児を迎えることばを言う役の子どもたちは、緊張しながらもしっかりと言っていました。ずいぶんしっかりしたものです。

入園式終了後は、主任から保護者に事務的な説明をしている間、園庭で遊びたい新入園児たちは他の子どもたちに混じって遊んでいました。保護者への説明が終わって帰る時間になっても、まだまだ遊びたいと言って、遊んでいる子もたくさんいました。中には、ずっと遊んでいたくて、帰るのがイヤだと泣き出す子も。園で遊ぶことを喜び、楽しみにしてくれることはうれしいのですが、明日からもそれが続くでしょうか。

大人だって、新しい環境は緊張するしストレスなのですから、いままで家庭でお母さんと過ごしていた子どもたちが、突然、お母さんがいない全く異なった環境に置かれる不安やストレスは、大人の想像を絶するものだと思います。

ですから、新入園児が少しでも馴染みやすいようにいろいろと工夫はしますが、ご家庭の安心感にはかないません。しばらくは、新入園児さんの泣き声が園内に響くことかとは思いますが、できるだけ早く、園での生活に慣れ、他の子どもたちと関わり、楽しむことができるようになってくれるといいと思いますし、私たちもそうなるよう最大限、努力してゆきます。

2012/04/04

京都市内では桜が咲き始めているようですが、鞍馬はまだまだです。昨日は午後から激しい雨と突風で、春の嵐というよりとても強い台風が直撃したかのようなお天気でした。

それもそのはず、4月3日の雨が激しかった午後3時ごろには、972ヘクトパスカルと台風並みに発達した低気圧が日本海にあって、低気圧から伸びる寒冷前線がちょうど京都辺りを通過している最中だったようです。

京都地方気象台のアメダスのデータによると午後3時の気温は15度、降水量は25ミリ、風速は西南西の風5.4メートルでした。前後の雨量を見ると午後2時が2ミリ、午後4時が4.5ミリなので、午後3時だけが飛び抜けて降水量が多いのがわかります。

まさに「バケツをひっくり返したような」という表現がぴったりの雨でした。園庭に降った雨が川のようになって園舎の周りにめぐらせた溝めがけて流れてくるので、溝が詰まったら浸水するかもしれないと、少し不安を覚えたくらいです。雨と共に雷も強く、落雷が発生するかもしれないと心配になりました。そんな激しい雨も子どもたちが帰る午後4時過ぎには止んで晴れ間が出ていたので、助かりました。

風雨が強かったというイメージなのですが、データによると風は午後3時から1時間ごとに5.4メートル、6,8メートル、7,5メートル、午後6時には11,4メートルと雨が上がってからの方が風が強まったようです。ちなみに、瞬間最大風速は午後5時53分の24,3メートルでした。そういえば、子どもも職員もみんな帰り、私も夕食に一旦帰宅しようと思ったときにものすごい突風が吹いていました。感覚というは曖昧なものだと思いました。激し雨と風が同じくらいの時間だったという感覚でいましたが、実は風が強くなったのは、夕方遅くなってからだったのです。

暴風などにより全国各地では、3人の方が亡くなられ、300人近くがけがをされたというニュースが流れていました。今朝の京都は、激しい風雨は収まりましたが、寒い朝になりました。今日もまだ北日本を中心に北陸にかけて激しい風や雨が続くそうです。
気象現象が激しくなり、自然災害が増えてきたように思います。被害が広がらないことを祈ります。

新しいクラス

2012/04/03

空気はひんやりしているものの、日差しはとても暖かくなりました。

新しい年度がはじまり、子どもたちは、ニコニコとうれしそうな顔で登園してきました。新れんげぐみ(3歳児)は保育室が2階になったのですが、ついつい今までのように、1階の保育室に行きそうになっていました。

当園では新しい年度の最初の日には、進級式という式を行っています。子どもたちが一つずつ大きくなったことをみんなでお祝いし、子どもたちは新しい名札をもらいます。名札はクラスによって色が違い、今までとはちがう色の名札をもらう子どもたちはうれしそうです。

当園では異年齢保育を行っています。それは、子どもの発達は連続しており、なおかつ一人ひとり異なるので、4月2日から翌年の4月1日生までに生まれた子どもたちを一つの区切りとして、一斉に同じことをさせるのでは、一人ひとりの発達に合った保育にならないからです。子どもが自ら環境に関わって主体的に活動する。だれとどこで何をして遊ぶのかを決めることのできる環境を用意したいからです。

それなら、なぜ新しいクラスになったことをお祝いし、クラスという枠組みを意識するような進級式を行うのかという疑問もあるかもしれません。
新しいクラスを意識することで、子どもたちの中では、「自分は一つ大きくなったんだ。」という喜びと自覚が生まれます。やってみたかった「○○ぐみになったからできること」への期待を持って取り組むことができます。また、仲間意識というか、「みんなで一緒に」という一体感を感じる単位としてのクラスは有効だと思います。

ですから、異年齢保育といっても、すべてのことについてクラスというものをなくして、毎日、全ての子どもが漫然と好き勝手に遊んでいるわけではなく、必要なときにはクラスごとに活動することもあるのです。

楽しそうに遊んでいる子どもたちは、喜びと期待を膨らませ、とっても張り切っているように見えました。

はじまり

2012/04/02

新しい年度がはじまります。新たな気持ちで新年度を迎えたいという想いから、年度の変わり目に古くなって汚れていた園舎の内壁を塗装し直したり、長い間使ってきて開閉がしにくくなった建具を新調したりと、修理をした箇所もあります。

0・1・2歳児の部屋に、畳のスペースを広めに取りたいいという保育士意見もあって、10畳のたたみを敷きました。それに伴い、保育室も少し模様替えしました。3・4・5歳児の保育室は今年は子どもの数が昨年より少し多くなるので、それなりの工夫が必要です。また、子どもたちが自ら選んで遊ぶ、遊びの選択肢を少しでも増やしたいという保育士の願いから、物品の整理をしようということになりました。年に1度か2度しか使わないものが、大きなスペースを占めていたり、消耗品も含めた物品の管理をしっかりすれば、無駄に使っていたスペースが有効に活用できます。物品を意識して管理するということは、ひとつひとつの物にも気持ちをかけてあげることにつながり、物も活かすことができますし、スペースも活かすことができます。保育士からそんな意見が出てきたのはうれしく思います。物品整理の方は、短時間で全てを行うことはできないので、少し時間をかけて、行ってゆくことにしました。

子どもたちは、少し変わった保育室にどれだけ気付くでしょうか?

お別れ

2012/04/01

お別れといっても、卒園や卒業、退職ではありません。17年間乗った車をついに手放さなくてはならなくなってしまいました。走行距離は15万キロくらいですが、エンジンオイルは漏れるし、ラジエターから冷却水は漏れ、最近では排気ガスに煙がたくさんまじることもあり、致命的なことにはセルモーターが空回りしてエンジンがかからないことが頻繁に起こるようになりました。こうなるとまともに使うことはできないので、しかたありません。知り合いに頼んで廃車にしてもらうことにしました。

オンボロではありましたが、いざ手放すとなるとどこか寂しいものです。長い間、洗車も掃除もしていなかったので、ボディーは泥だらけ、室内はほこりだらけです。手放す前に少しはきれいにしてやろうと、夜中に洗車しました。季節外れの小雪が舞う寒い夜だったので、手がとても冷たかったのですが、今までよく働いてくれてありがとう。といいながらボディーを洗い室内を拭いていると、なぜか寂しさが募ります。たかが車と言ってしまえばそれまでなのですが・・・

思えば、この車とはいろいろなところへ行きました。ミニバンといわれるかたちの車だったので、園の職員たちと出かけたこともありました。この車との一番の思い出は、長男と次男がまだ小さかった頃、夜に京都を出発して志賀高原までスキーに行ったことです。また、園の荷物もよく運びました。

私の場合は坂道を走ることが多く、雪が降ると動きがとれなくなるので4WDは必須です。最近の4WDは燃費重視なのか、オンディマンドっぽくなってしまったので、いざというときに雪の積もった坂道を上がれなくなってしまいます。その点、一昔前のフルタイム4WDシステムを持っていたこの車は重宝しました。タイヤさえしっかりしていれば、普段走っている坂道くらいは平気でした。

先日、廃車を依頼した知人から、永久抹消登録/解体届出手続き完了という書類が届きました。もう鉄の塊になってしまったようです。

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