shigaraki (鞍馬山保育園 の投稿者) - 184ページ目 (186ページ中)

子どもの主体性

2011/09/01

子どもは、あかちゃんのうちから立派な一人の人格であり、決して大人の所有物や大人に従属するのではなく、一人の人間として主体的に生きています。

子どもが大きくなるのには、首がすわり、寝返りをし、お座りをして・・・というように、一定の順序があります。そして、子どもは自分の発達に必要なことをします。ある時期、ティッシュペーパーをどんどん引っ張り出したりすことがありますが、それは引っ張り出すという動きを身につけるためにしています。また、食卓に座るときに、お父さんの席はここ、お母さんはあそこ、お兄ちゃんは僕のとなりと決まっていることが、何かの都合で変わってしまったりすると、どうしようもなくいやになる時期があります。それは、決まった人が決まったところにいる。いつも、同じ物が同じ所にある。いわば秩序を身につけたい時期なのです。その時期だけというわけではありませんが、それがその子にとって一番適切な時期なのです。

子どもは自分に必要な発達を遂げる時期が来るとそのことがやりたくなるのです。もちろんそれは、子ども一人ひとりで違います。誕生日が同じだとしても、子どもによって違います。

そんな子どもの発達にとって大切なのはどんなことでしょうか。それは子どもが自分の発達にあった遊びを自分で自由に選べる環境を用意しておくことです。これは、何をして遊ぶかを子どもが自分で選んで決めるということです。何をして遊ぶかに深く関わりますが、どこで遊ぶかということも子どもが選びます。

また、子どもはいつも一人で遊んでいるわけではありません。友達と遊ぶことの方が多いでしょう。では、子どもは誰と遊ぶでしょう。自分のしたい遊びと同じ遊びをしたい友達と遊ぶのが一番充実して楽しいのではないでしょうか。難しいルールのゲームをそのルールが理解できない子がやろうとしても、おもしろくないでしょう。3歳児でも木登りが得意な子は、5歳児と木登りをして遊んだ方がおもしろいこともあります。ですから、こどもが誰と遊ぶのかを選ぶことができるように、異年齢の集団を用意しておく方が良いと考えています。

そもそも5歳児とか4歳児とかいいますが、大人の都合で便宜的に4月1日という境界線をもうけて、子どもを分けているだけではないでしょうか。ですから、それにあまりにもこだわり過ぎる必要もないのかと思います。子どもが、誰と遊ぶか、どこで遊ぶか、何をして遊ぶかを自分で選んで決められることが大切だと考えています。

なぜなら、私たち保育者のすべきこと、最も大切にしなくてはならないことのひとつ、それは一人ひとり違う子どもたちが、それぞれの発達を十分に遂げることができるようにすることのはずです。そのためには何が必要かを考えると、子どもたちが自分で発達を遂げられるように最適な環境を用意しておくこと、その環境は子どもが誰とどこで何をして遊ぶのかを主体的に選ぶことができるという環境だと考えています。

ある日のトイレ

2011/09/01

あちらこちらに散乱しているトイレのスリッパ。
気がついた先生達が、その都度並べなおしてはいるけれど、きちんと並んでいるのを見ることが少ないんです。
ある日、○○ちゃん、もう皆それぞれのお部屋へ帰っているのに、何かごそごそしている。後ろからそーっとのぞいて見ると、なんと、スリッパをきれいに並べてくれているんです。
わぁー○○ちゃんきれいに並べてくれてありがとう。「うん」とうなずいて、ニコッと笑って、お部屋の方へ走って行った。
いい顔していたなぁー。
きっと先生達のしている事を見ているんでしょうね。

子ども

2011/08/31

あかちゃんを含め、子どもってどんな存在なのでしょう。小さくて、弱くて、助けてあげないと何もできない存在。大人という完成形に向かって発達の段階を上っている未熟な存在。子どもって、そんなとらえ方をされていることが多いのではないでしょうか。

確かに人間の子どもは生まれてから独り立ちするまでの期間が他の動物に比べてとても長く、小さくて、弱くて、守ってもらわないと生きてゆけません。では、すべてにおいて大人に比べて劣っているのでしょうか。

赤ちゃんについての研究が進み、いろいろなことがわかるようになってきました。

脳にはニューロンという神経単位があり、このニューロンとニューロンの接続部分をシナプスといいます。このシナプスが多いということは、脳内の神経ネットワークのつながりが多いということです。刺激が脳内で信号として伝わる経路が多いということです。人間でこのシナプスが一番多いのは、生後8ヶ月くらいだといわれています。そして、大きくなるに従ってシナプスは減ってくるのだそうです。もし、脳内の神経回路のつながりが多いことイコール脳の機能が高いということであれば、8ヶ月のあかちゃんの脳が一番機能が高いということになります。

実際に赤ちゃんには大人にはない能力があります。例えば、人間の大人には猿の顔の違いを見分ける能力はありませんが、あかちゃんは猿の顔を見分けることができるのです。

今までは、何かを積み重ねて増やしてゆくことが成長だとととらえられていましたが、脳の神経ネットワークに関しては全く逆で、必要のない部分を削る(刈り込む)ことによって成長してゆくということなのです。

これは、人間が生まれたときには様々な環境に適応できる能力を持っていて、自分のおかれた環境で生きてゆくのに必要のない機能は削り取ることで、成長してゆくということなのだと思います。

赤ちゃんはもともと障害物をよける危険回避能力を持っているとします。ハイハイをしていて障害物が目の前に現れたらそれをよけることで、その能力を削り取らずに強化してゆくでしょう。しかし、危ないからと大人が先回りしてその障害物を取り除いてしまったら、赤ちゃんはもともと持っていた危険回避能力を使わなくてすむのでそれを削り取ってしまいます。大人が何でもやったあげることが、かえって赤ちゃんの能力を奪ってしまっているかもしれません。

現代社会において猿の顔を見分ける能力を残す必要はあるとは思いませんが、危険を回避する能力は削り取ってしまわない方が良いのではないでしょうか。

子どもは、論理的に考えたり理路整然と説明したりすることは得意ではありませんが、突拍子もないことやおもしろいことを考えますし、想像力豊かです。逆に大人は様々なことを整理して考えたり、理論づけることはできますが、突拍子もないことを考えたり、想像力という点では子どもにはかないません。もちろん例外はあります。

ですから、一概に子どもが劣っていて大人が優れているとはいえないのです。

子どもが大人の従属物であるかのような考え方がありますが、そうではなく得意分野や役割がちがうだけなのです。決して子どもは大人の従属物ではなく、立派な人格を持った一人の人間です。その視点を常に忘れず、「子どもが今を最もよく生きる」ため、「子どもの最善の利益」のためには何が大切なのかを見つめ続けたいものです。

園の前にいらっしゃる童形六体地蔵尊の脇に札が立っていて、そこにはこう書かれています。

「子どもはみんな仏の子 子どもは天からの預かりもの 子どもは親の心を写す鏡」

子どもは大人の所有物として授かるのではなく、よりよく育つために大人に託された存在なのでしょうね。

あかちゃん 2

2011/08/30

あかちゃんは、胎児の頃から自分で生きてゆくための戦略を立て、身体を動かし、五感を使って周囲の環境と関わり合いながら学習している。胎児からなんて、ちょっと驚きではありませんか?

赤ちゃんが動くということは、まず触覚を使って自分が自分であることを認識し、自分と他を認識することなのだそうです。あかちゃんがお母さんのおなかの中で動くことで自分自身に触り、お母さんのおなかに触って自分と自分以外を感じているということです。触覚は自分が自分であることを認識する最も有効な手段なのだそうです。

胎児の世界は「動けばわかる自分の身体と他者」「動いて作る自分の脳」と小西行郎氏(日本赤ちゃん学会理事長)はおっしゃっていました。

園では毎朝3・4・5歳児と一緒にお参りをしており、その前に子どもたちと少し身体を動かします。そのなかで、やさしく自分自身に触ってみるということをすることがあります。例えば、両手でやさしく自分の顔をなでます。なでる手は顔の感触を、なでられている顔は手を感じます。そこで、自分の顔はここにあると再確認します。当たり前のようですが「自分の顔がここにある」と意識しながら顔を触ることって普段はあまりないと思います。また、顔に触ったときの手の感触に意識を集中する。また逆に顔で触っている手を感じるように意識するようにしています。「自分はここにいる」ということを自分の身体を触ることで再認識してほしい。という理由と、どんな感じがするかに意識を集中してほしいという理由からです。

研修で小西先生のお話を伺って「胎児のころからそんなことをしているんだ」と思いました。

胎児が行っているということは、それが胎児にとって必要だからです。生まれ出てからも少し大きくなっても、子どもがやりたいと思うことを、十分に行うことができるような環境を子どもの周りに整えておいてあげること、それが私たち大人のしなくてはならないことなのだと思います。特に五感をしっかりと使うことができる環境を整えておくことが必要だと思います。

虹

2011/08/30

電車で登降園している子ども達の帰りの時間が近づいたので保育園の門の所に子ども達が集まってきました。
なんやら雲行きが怪しそう…今にも大粒の雨が降りだしそうです。子ども達も口々に「駅まで降らないかな」「先生、早く行こう!」…
みんなで少し小走りぎみに出発、無事に鞍馬駅に着いた途端に待っていたかのようにザーッと大雨!
「良かったね〜」「間に合ったね」「お母さん、傘持ってきてくれるかなぁ〜」と会話しながら電車に乗り込みました。
すると電車が発車した時にはさっきの大雨がうそのようにやみはじめ、うっすら日差しもさしてきました。ガタンゴトン…電車が鞍馬駅から離れてゆきます。と、向かいの山のすその方にうっすら虹を発見
「あ!虹が見えた」「見えたね〜」「きれいやね〜」
そしたら、
雨があがったよ、お日様がでてきたよ
青い空の向こうには虹がかかったよ〜
子ども達の大好きな歌「虹のむこうに」を誰かが口ずさみ始めたんです。それが隣の子に…また隣の子に…
電車の中でかわいい歌声が響き、一緒に乗って来られた観光客の方々もやさしいまなざしで見てくださってました。

あかちゃん 1

2011/08/29

皆さんは、あかちゃんは何ヶ月から動き始めるか知っていますか?

今年初めに開催された京都市保育士会の研修で講師の先生の最初のことばです。講師は小西行郎氏(日本赤ちゃん学会理事長)です。

正直言ってその質問には???でした。生まれてきたときにはもう動いてる・・・。そう思っていたのです。

「胎児のことですよ。」と言われ、ハッ!としました。「子どもを知るなら胎児のことから知るべきですよ。」先生の声がひびきます。

胎児が動く、いわゆる胎動の始まりは7〜8週頃からだそうです。身体全体を動かす運動から始まり、20週頃までにはほとんどの運動パターンを経験します。それは、あかちゃんが生まれ出たときの準備を自分でしているのだそうです。

いままで胎児は母親に付属するように考えられていました。しかし、最近はあかちゃんの研究が進み、胎児は生まれ出てから生きてゆくための戦略をしっかりと持っていて、その準備のためにお母さんのおなかの中で様々な行動をしていることがわかってきているそうです。そしてこの胎児期からの運動発達を受け継ぎ、新生児も自ら動き、五感を使って周囲との相互作用の中で自ら学習し、発達しているのです。また、生まれたてのあかちゃんも脳の前頭葉を使っていることがわかってきており、これはあかちゃんが自分で考えていることを意味するそうです。

胎児でもそうなのだから、あかちゃんの「自分でやってみる」ということを大切にしてあげてほしい。と講師の先生はおっしゃっていました。

当園では、子どもが主体的に活動することを大切にしています。それは、子どものすることにはすべて意味があり、子どもは自ら発達するために動いていると考えているからです。

冒頭で私がハッ!としたのは、胎児や新生児のことまでは考えていなかったからです。「あかちゃんが自分でやってみるということを大切に!」というくらいですから、当園に在籍している年齢の子どもなら、なおさら「自分でやってみることを大切に!」ではないですか!

あかちゃんは自ら動く、触る、見る、聞くことによって自ら成長している。だから大人はできるだけ邪魔をしないことが大切なのです。

今の保育士にできないこと、それは「動くな!黙って見ていろ!」だそうです。インパクトの強いことばですが、肝に銘じておきたい言葉です。

「しゃべらず(しゃべりすぎず)動かず(動きすぎず)目でとらえる保育士が必要」と先生はおっしゃっていました。まさに私たちが目指している「見守る」ということと同じだと思うのです。

枕木花壇

2011/08/28

今年度の初め、保育士たちが花壇を作ろうと話し合って、園庭に小さな花壇ができました。

どんな材料を使って花壇の枠を作るのかいろいろと考えて、一人の保育士が子どもたちが毎日乗っている叡山電鉄の枕木を使うというアイデアを出して「それいいね!」とみんなの意見がまとまりました。

翌日、電車で出勤した保育士が早速運転手さんに枕木のこと話したようで、数日して担当課から電話がありました。

古い枕木を頒布しているので、都合の良い日に取りに来てもらえれば良い。ただし1本100キログラム近い枕木をフェンス越しに積み込まないとならないので、積み込み用クレーンのついたトラックが必要との話しでした。トラックはあってもクレーン付きとなると考えないといけないので、検討して連絡することにして電話を切りました。

どうしようかと考えていたら、再度電話があって、「ゴールデンウイーク明けに持って行きます。何本くらいいりますか。」とのこと。驚いた私は、配達なんてしてもらえないはずなのに良いのかな?と思い、「それは申し訳なのでなんとかトラックを手配します。」というと、「いつもお世話になっている鞍馬山さんのことですから!」とおっしゃってくださいます。確かに電車で通園している園児はいますが、そこまでしていただくのは申し訳ないとも思いました。でも、せっかくのご厚意なので甘えることにしました。

何でも自分でやろうとするのも良いけれども、できないことはあまり無理せず、力を貸してください。とお願いするのも必要なこと。自分にできること、できないことをしっかりとわきまえていて、できないことはできる人に素直に「お願いします」と頼めることが自立しているということ。と言う話しを聞いたのを思い出しました。人のつながりが希薄になってきている今、あえてつながること、助けてもらうときは助けてもらうこと、助けられるときは助けることも必要なのかと思います。

そして、ゴールデンウイーク明けのある日の朝、叡山電鉄の方3人が枕木を届けてくださったのです。男性保育士も手伝って園庭まで運び込んでいただきました。ほんとうにありがたかったです。10本近く運んでくださったので、とりあえず園庭に並べたら、子どもたちは早速ステージに見立てて、その上で歌を歌ったていました。

その日電車で帰る子どもたちに「今日、保育園に来た枕木と同じのが、みんなの乗る電車の線路を支えてるよ。」と保育士が説明すると子どもたちは納得していたそうです。

後日、お寺の管理部の皆さんの力を借りて小さな花壇ができあがり、一人の男性保育士が花を買ってきて一生懸命植えていました。花の元気がなくなったこともありましたが、少し植え足したりして今ではかわいらしい花が元気に咲いています。

一人の保育士がアイデアを出し、それを電車の運転手さんに伝えた別の保育士がいて、叡山電鉄の皆様のご厚意により枕木、それも子どもたちが毎日乗っている電車の枕木が届き、お寺の職員さんの力を借りて花壇ができる。いろいろな人がつながり、力を合わせてできあがった花壇に咲く花はひときわ美しいように思います。

叡山電鉄の皆さん、花壇作りに関わってくださったみなさんありがとうございました。

みんなの力でできた花壇

手作り

2011/08/27

地蔵盆には子どもたちがいろいろなものをいただきます。それは、お地蔵様にお供えしたお下がりとしていただくのですが、子どもたちの好きそうなものをお供えして、こどもたちに配ることが多いようです。ですから、地蔵盆が終わると、たいていお菓子がいっぱいになります。

園の地蔵盆にも保護者やお寺のご信徒はじめ、様々な方からお供え物をいただき、お参りが終わると園児や当日参加した小学生に分けています。園の地蔵盆をご支援頂いている「くらま会」というお寺の外郭団体があり、以前はその会からもお菓子をたくさん頂いていました。お菓子ばかりよりも子どもに合ったおもちゃや保育で使えるものが良いという意見が保育士から出て、数年前から保育士が子どもと遊びたいと思う物を選んで、くらま会様にご協力いただくという形になりました。もちろん一人ひとりの興味にあったものを用意することができると良いのですが、それは無理なので、クラスごとに用意しています。

今年、3歳4歳5歳は、竹でできた水鉄砲、なわとび、お手玉を、0歳1歳2歳には、保育士が手作りをしました。0歳1歳の子どもには、キルティングの布で作ったお弁当箱にフェルト製のおにぎりやおかずが入ったお弁当箱、2歳にはお散歩に持ってゆくことができる布製のポシェットです。子どもたちがお昼寝をしている間や、手の空いた保育士が時間をやりくりして少しずつ作ったようです。当園は園児数が少ないといっても、0歳と1歳が7名2歳が11名ですからかなりの手間です。毎日子どもと生活し、よく見つめているからこそできることなのだと思います。

地蔵盆が終わると子どもたちはいったん家に持って帰り、また園に持ってきて使います。

今から1歳児が布製のお弁当箱で楽しそうに遊んでいる姿が目に浮かびます。

おべんとう持って、どこ行こ?

2歳児のポシェット レンコンを使って子どもたちがスタンピングしました

最後のプールあそび

2011/08/26

朝から用事を済ませて、11時過ぎに園に行くと園庭がとても賑やかです。子どもたちの楽しそうな歓声に混じって、ときどきおとなの笑い声や大きな声も聞こえてきます。何が起こっているのだろうと思い、窓から園庭を見ると年長児と保育士がプールで遊んでいます。そういえば、この夏最後のプール遊びをするって言っていました。他の子はもうお昼ご飯の準備にいったのでしょう。年長児だけが思いっきり遊んでいます。

お水 かけてあげるね!

何をしているのだろうとしばらく見ていると、子どもたちがかわるがわるプールの中に座った保育士の頭から肩から水をかけています。そのたびに保育士は「ひえー」「つめたーい」と叫んでいます。ペットボトルで水をかける子や、大きなバケツになみなみと水を運んできて一気に頭からかけている子もいました。その子どもたちのいきいきした顔といったら・・・見ているこちらまで楽しくなってきます。近くのデスクで仕事をしていた主任に「ちょっと見て」と声をかけたくらいです。

当園では、基本的には子どもが主体的に遊び、大人はその姿をそっと見守る立場でいるので、大人が大きな声を出して指示をしたり、何かをさせたりすることは少ないのです。もし、大人の大きな声が聞こえるとしたら、楽しすぎて大きな声になっているか、笑っている声です。

この日はみんなで楽しく遊んだ夏の日の思い出にしたかったのか、ただ単に大人も遊びたかったのか・・・

降りそそぐ夏の日差し、飛び散る水しぶき、子どもも大人もはじける笑顔、このキラキラとした空気感、全員が心の底から楽しみ、いきいきと輝いているとってもステキな時間でした。

あまり楽しそうなので園庭に出てみると、子どもたちが「園長先生こんなんできるようになったで」と水に潜ったり、背泳ぎをしたり、いろいろと見せてくれます。「へー!すごいなー」といって見ていました。

すると、どこからともなくビートのきいた威勢の良い音楽が聞こえてきて、子どもたちも保育士もプールの中や周りで踊り始めました。音のする方を見てみると、2階の窓からこちらを見てニヤニヤしている年中児と保育士の姿が、どうやらこの曲は、近づいてきた運動会で踊る曲のようです。楽しそうにプール遊びをしている年長児を見て、「この曲聞かせたら踊り始めるかな」などと相談して、やってみたのだと思います。この作戦に乗せられ、プール遊びをしていた年長児も思わず身体が動いてしまった。といった感じでしょうか。

運動会の練習ですから先生の言うとおりにしなさい!といって練習するよりも、こんなに遊び心いっぱいでダンスの曲に親しむ、すべてを遊びの中で楽しむ。子どもたちのやってみたい!に自然につながる。とってもステキだと思いました。

思わず踊り出してしまいました

地蔵盆 3

2011/08/25

8月24日、鞍馬の各町内でも地蔵盆が行われました。それぞれの町内に伝統的に伝わる方法でお地蔵様をおまつりし、いろいろな催し物も行われます。午前中に園の年長児たちが近くの町内のお地蔵様にお参りに行きました。般若心経とお地蔵様のご真言を唱えてきたそうです。私は同行しませんでしたが、大きな声で唱えている姿が目に浮かびます。

各町内ではそれぞれに工夫を凝らして時間ごとに、たこやき、焼きとうもろこし、かき氷、大人用に生ビールなどの食べ物の提供をはじめ、福引き、ビンゴゲーム、金魚すくい、大学生サークルによる人形劇などをされているところもあります。そして夕方には地蔵寺のご住職によるお参りがあり、数珠繰りをされているところもあります。普通、子どもたちは自分の所属する町内で楽しむそうですが、鞍馬では各町で少しずつ催し物の時間がずらしてあり、子どもたちは各町内を巡っていろいろな催し物や飲食を楽しんでいます。

鞍馬地区にとって少子高齢化は大きな問題です。小学校の児童数も減少し、地域をあげて対策に取り組んでいらっしゃいます。ですから、普段は子どもの姿はあまり見ないのですが、地蔵盆にはたくさんの子どもたちが参加しています。親戚の子どもさんなどが地蔵盆を楽しむために集まっていらっしゃるのだそうです。

子どもたちが賑やかに楽しそうにしているのを見て、せめてこの半分でも鞍馬にいてくれると良いのにと思ってしまいました。

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