運動会は予定通り行います。 9月8日06:15
9:30までに雨が降り出した場合は通常保育に変更します。
途中で雨が降ってきた場合は、
・中断して、明日以降に続きを行う
・中止する
などする場合がありますのでお含みおきください。
2012/09/08
運動会は予定通り行います。 9月8日06:15
9:30までに雨が降り出した場合は通常保育に変更します。
途中で雨が降ってきた場合は、
・中断して、明日以降に続きを行う
・中止する
などする場合がありますのでお含みおきください。
2012/09/07
今日は、二十四節気の白露。空気が冷えてきて露を結ぶころです。昨夜は、半袖では肌寒いくらいの「空気が冷える」という言葉がピッタリの涼しさでした。今朝は、つぼみが膨らみ始めた萩の花に露が結んでいるかと思いましたが、それほど気温が下がったわけではなかったようです。
日本赤ちゃん学会理事長小西行郎先生のご公演を聞いて、思ったこと感じたことを少し紹介してきました。人間の進化の過程から見て、子育ては社会で行うことが自然なことだと知りました。社会の真ん中の安全な生活環境で生活できるからこその特徴として、人間の赤ちゃんは仰向けで長い時間いられることがあります。最も弱く守らなくてはならない腹部をさらけ出していられるのは安全だからこそです。仰向けで生活することで、手足を自由に動かすことができ、自発的な運動が可能になります。生後1週間くらいの赤ちゃんが、手足を動かします。これをジェネラルムーブメントと言うそうですが、この運動からいろいろなことがわかるそうです。赤ちゃんは動くことで発達できると先生はおっしゃっていました。
そういえば、赤ちゃんはお母さんのお腹の中でも動いています。この動くということで、触覚を使って自分の身体を認知しているのだそうです。胎児がまず最初に使う感覚は触覚で、胎児期の半分くらいは触覚だけを使って生きているのだそうです。触覚というのはそれほど大切なのでしょう。妊娠16週くらいの赤ちゃんは指をしゃぶるような格好をするそうですが、これは触覚の最も敏感な唇と指先を触れて、自分の身体をわかろうとしているそうです。
子宮の内壁に触れるときと自分の身体を触るときとでは感じ方も違い、その違いにより、自分の身体とそれ以外を知り、自他の違いを知ることで自分自身をわかってゆくのです。この触覚を使うためには動く必要があります。動いて触れることを繰り返してゆくうちに運動が変わるそうです。いろいろな動きをすることで、いろいろな感じ方をして、自分を知り、自分以外を知ってゆくのです。
この時に忘れてはならないのが、この運動は赤ちゃんが自ら動き、自ら触っているということです。お母さんのお腹の中にいるうちから、積極的に環境に関わり発達しようとしているのです。生まれてからはなおさらそうなのだと思います。子どもはちゃんと自ら育とうとしているので、その時々にふさわしい環境を用意してあげることが、その子の発達を援助するのに最も大切なことのように思います。あとは、子どもが自ら育つことを信じて見守るだけです。
2012/09/07
今年開室しためぐみ精舎での学童保育では、毎日いろんな学校からさまざまな学年の小学生がやってきて、楽しく遊んでいます。
ある日の昼食のあとののんびりした時の子どものつぶやきです。
高学年の男子の○○君「オレ、ロマンチックってちょっと苦手やなぁ〜」
低学年の女子の△△ちゃん「ロマンチックって何?」
○○君「え〜。空気がいい感じって事かな…」
らしいです。
2012/09/06
ヒトとは何か?ヒトの始まりである赤ちゃんを研究することで解き明かしてゆこうというのが赤ちゃん学なです。その研究成果を保育や子育てに活かすことが大切になってきます。
ヒトは弱くなることで進化した。一人一人は弱い存在でも社会を作り力を合わせることで生き延びてきたのです。そして、赤ちゃんや高齢者など一番弱い人をその真ん中で守ってきたのです。ですから、子育ては社会でいろいろな人が携わって行うのが最も自然なことなのでしょう。
育児は社会的な営みなのです。ところが、夫婦と子どもという標準的な家族構成の世帯では、乳幼児を育てる時期、お父さんは朝早くから夜遅くまで仕事で、お母さんと赤ちゃんが、一日のほとんどを家で過ごしているということが多いのではないでしょうか。これでは、お母さんは大変です。本来なら、社会的営みであるはずの子育てを、お母さん1人が担わないといけないのですから、不自然ですし無理があります。
また、赤ちゃんにとっても、ほとんどの時間をお母さんと過ごすのですから、刺激がとても少なくなってしまいます。家でお母さんが家事をしていて、赤ちゃんが1人で遊んでいる状態は容易に想像できます。こういう時間が長くなってしまうと赤ちゃんは、いろいろな人と関わることができません。特に子どもどうしの関係を築こうにも周りに子どもがいないことには、築きようがありません。子どもがいろいろな人の中で育つという自然な姿は、今では自然ではなくなってしまっているのです。お母さんと赤ちゃんが2人だけで家にいる家庭の子どもこそ、保育に欠けるのかもしれません。
ところで、年を重ねて子どもを生まなくなった女性が長生きをするのは人間だけなのだそうです。そのことから、いわゆるおばあちゃんは子どもを育てる役割を担っているのではないかという考え方があります。
言われてみれば道理にかなっているかもしれません。おばあちゃんなら自分の子育て経験を生かして、ゆったりと余裕を持って子どもに関わることができます。また、ご近所のお茶のみ友だちが集まって、おしゃべりをしながら、子どもの面倒を見ることが、自然に行われていたのではないでしょうか。子どもにとってはいろいろな人がいて、多くの刺激を受けることができますし、お年寄りにとっても子どもと接することは元気の元にもなります。
いろいろな人が育児に関わることが、人間が進化の上で獲得してきた方法なら、それができにくくなった現代こそ、あえてそういう場と機会を用意する仕組みが必要になってきます。保育園はそういう役割を担うべきだとお思います。
2012/09/05
夏はやっぱりスイカ!
園でもおやつにスイカがでます。で、スイカを食べる時は、園庭にござを敷いてそこに座り食べるのですが、それがまたこども達は嬉しそう。大好きなこどもは、大きなのを選び、顔中スイカだらけにして食べています。私もスイカは大好き!ある日、こども達と一緒にござに座って食べていると、一人の男の子が私の前にしゃがみずっと私の顔を見ていました。何やろう?と思っているとどうも口から種だけを出してるのが不思議だったようです。声をかけてもじっーと見て、その顔は真剣。で、「出来る?」と聞くと「うううん」と首を振っていました。どうなってるんやろう?と不思議だったんでしょうね。私が食べ終わるまで見つずけていました。
2012/09/05
赤ちゃん学は、様々な分野の研究成果から、より深く赤ちゃんを知ることによって、今までの子ども観を見直し、新たな子ども観を構築しようという試みですが、それは、ヒトはどこから始まるのか?というヒトの出発点を明らかにすることによって、ヒトとは何かを考える学問でもあるそうです。
そもそも、どうしてこの地球上にヒトは発生し、人類はこの地球上にこんなにたくさん生きているのでしょうか。現在地球上に生きている人類はホモサピエンスですが、どうしてホモサピエンスだけが生き残るとができたのでしょうか。また、ヒトの存在は宇宙全体にとってどんな意味があるのでしょうか。ヒトって、人間って何でしょう?そんなところから保育を考える必要があると思います。
ヒトの大きな特徴の一つが二足歩行です。ヒトは他の動物に比べて、寿命に対する子宮内での生活時間が短い、つまり未熟な状態で生まれてきます。それは、二足歩行によって、骨盤が狭くなり子宮が小さくなったことで、子どもが十分に成熟できないまま生まれてくるからです。未熟な状態なので自立できず、誰かに守ってもらわないと生きてゆくことができないのです。ヒト以外の動物がそんな状態で生まれてこようものなら、野生の中であっという間に襲われてしまいそうです。なぜヒトだけが未熟な状態で生まれてくるのでしょうか。
それはヒトが生き残り戦略として弱くなることを選択し、最も弱い赤ちゃんを集団の真ん中において、安全な社会を形成してきたからだといわれています。つまりヒトは一人ではとても弱い存在です。鋭い爪や牙、分厚い皮も持っていませんし、早く走ることも、木に登ることもそんなにうまいわけではありません。しかし、集団で行動し役割を分担し力を合わせることで、社会として集団として強くなりました。そして赤ちゃんや高齢者など、弱い人をその集団の真ん中に置いて守ってきたのです。
健全な社会を形成できる力がつくように子どもたちを育てる。それが、ヒトがヒトとして生きてきた筋道にかなうのではないでしょうか。ヒトとヒトがその関係をうまく作り、人と人の間の関係を築くことが、人間として生きてゆくことなのです。
そうした観点から保育を考えた時にどんな保育が必要になってくるのでしょうか。よくよく考える必要がありそうです。
2012/09/04
まずは、いつもこのブログを読んでくださっている皆様にお詫びしなくてはなりません。ごめんなさい。
実は、畑のことを書いた記事の中に、私の勘違いから発生した誤りがありました。大豆がつるを伸ばしていたと書きましたが、私の勘違いです。大豆は自分でちゃんと立っています。つるをのばして草に助けを求めていたのは、別の植物でした。
先日、東京の研修から帰って久しぶりに畑を見に行ったら、大豆の間に生えている背の高い草が、花を咲かせていて、畑の雰囲気がすこし変わっていました。少し見ないだけで、ずいぶん様子が変わっているのには驚かされます。
作物たちはどうなったかと思って畑に入ってみました。トウモロコシは、食べるには収穫時期を逃してしまったかもしれません。ナスは花がいくつか咲いていますが、実がなるのでしょうか。トマトはたくさん実をつけましたが、まだ青いようです。
畑を見て回っていて、気づきました。つるが増えてたくさん伸びているのです。そのあたりをよく見てみると、背の高くなった大豆や、他の草の海をひそかに潜行するように這っている植物があります。その植物がつるの主でした。それはかぼちゃかもしれません。かぼちゃなんか植えた覚えはないのに・・・と考えていたら、去年の今頃かぼちゃが畑を独占していたのを思い出しました。そのかぼちゃの種が残っていたのでしょう。芽を出し、茎を伸ばし、他の植物につかまりながらひそかに成長していて、この時期になって姿を表したのです。というより私が気づいていなかっただけかもしれませんが・・・私にとっては突然姿を表したかぼちゃは、伏兵現るといったところです。
かぼちゃがやたらと勢力を伸ばすかもしれませんが、それも自然の姿なのでしょう。
というわけで、つるの主はかぼちゃでした。間違ったことを書いてしまったことをお詫びします。素人の浅はかさというのか、わかっていない怖さというのか、よく確かめないで早合点することは慎みなさいということですね。気をつけます。
2012/09/04
お盆休みあけみんな元気に登園してくれました。
久しぶりに会った子ども達から『先生久しぶりー。休み○○行った』など、楽しいお休みの話で盛り上がりました。
さて、8月17日はお寺の職員さんと合同で消火訓練をしました。
運動場に行くため玄関で並んでいると『消防車の絵を描くの?』と勘違いしている子もいました(笑)
消火器を使った訓練ではゆりぐみ(5歳児)が代表で訓練しました。消防署の方のお話をしっかり聞いて、一生懸命取り組んでる姿はとてもかっこよかったです。
その姿を羨ましそうに見学しているひまわりぐみ(4歳児)さんもいました。
2012/09/03
防災の日の9月1日、京都市総合防災訓練が左京区全域で行われ、参加しました。
花折断層を震源とする震度7の直下型地震が発生し、大きな被害が出たという想定で、約5,000人が参加する大規模なものです。岩倉の洛北中学校や岩倉東公園が主な会場となり、洛北中学校では避難所設置訓練と、ボランティアセンター設置訓練が行われ、岩倉東公園では防災関係機関による総合的な救出救助、医療救護、生活支援などの訓練が行われました。
また、左京区北部の久多地区や広河原地区は、福井県のおおい町にある大飯原発から半径30キロの緊急防護措置区域に入るため、原発事故を想定した訓練が行われました。震災による大飯原発事故を受けて国が原子力緊急事態宣言、市が避難指示をそれぞれ出したとの想定です。
私は、左京区社会福祉協議会が主体となって行った災害ボランティアセンター設置訓練に参加しました。災害ボランティアセンターは、被災者のニーズに応じて、集まってくださったボランティア希望者に作業を依頼し現場に案内したり、資機材を貸し出したり、ボランティアの心構えを伝えます。また、作業を終えて戻ってきたボランティアから、作業の進捗状況の報告を受けたり、ボランティアのケアを行うなど、多くの役割があります。
私は、被災者のニーズに応じてボランティアを集め、作業内容や現場への経路を伝えるなどの役割を果たすマッチング係りの担当になりました。事前に研修をして、何をするのかある程度わかっているとはいっても、いざ実際にやってみると、細かなところがどうするとスムーズに行くのか、様々な問題が現れてきます。どんな方法を取ると良いのか、そこに集まったメンバーで話し合って改善しながら進めましたが、こんな時に大切になるのが、いかに人の意見に耳を傾け、心をつくして聴くことができるかということだと思います。ついついみんなが、自分の考えを出すことだけに一生懸命になりがちですが、傾聴することを心がけないと、意見がぶつかるだけになってしまいます。皆で何かを行うためには話し合いが欠かせませんが、話し合う姿勢、特に話を聴く姿勢に注意を払っている必要があると思いました。
実際にやってみること、行動しないことには問題点も見えてきませんし、話し合い聴き合う姿勢がないとみんなで力を合わせることはできません。
いろいろなことを、実際に行動する中で改善をしてゆくことの大切さと、みんなで話し合うこと、中でも相手の意見を誠意を持って受け止めようと傾聴する心構えを保つことの大切さをを突きつけられました。
2012/09/02
日本赤ちゃん学会理事長の小西行郎先生のお話をうかがう機会がありました。小西先生は赤ちゃん学会「設立にあたってのメッセージ」(赤ちゃん学会ホームページに掲載)において、20世紀末の子どもをめぐる状況は、これまで私たちが持ってきた「子ども観」の見直しを我々に迫っているとの見地から、こんなことを述べておられます。
(以下引用)
一方、最近の神経科学の進歩は、「神経ダ-ウイニズム」という、脳は遺伝子で作られた粗い組織から無駄なものを削り取る2つの過程を経て成長するのではないかという概念を生み出し、また、発達心理や複雑系の研究では周囲からの刺激によって動くという原始反射は決して、新生児の行動の基本ではなく、新生児を自ら自発的に周囲に働きかける存在として捉えるべきではないかという研究が増えています。
こうしたいくつかの新しい考え方や所見は21世紀の「子ども観」を新たに構築するのに十分な可能性を持っていると考えられるのです。(引用ここまで)
近年顕著化している子どもをめぐる問題が、これまでの「子ども観」の結果だとしたら、それを早急に見直し、21世紀の新たな「子ども観」を構築しなければならず、そのためには子どもに関係する研究を行なうすべてのものが一同に介し、研究協力や討論を行なうべきだとおっしゃっています。
ここで「子どもに関する研究を行うすべてのものが一同に介し」とあるように、赤ちゃん学は、小児科学、発達認知心理学、発達神経学、脳科学、ロボット工学、物理学、教育学、霊長類学などの異分野研究の融合による新しい学問領域であり、21世紀最大の謎といわれる赤ちゃんの運動・認知・言語および社会性の発達とその障害メカニズムの解明から、ヒトの心の発達までを対象とする学問で、赤ちゃんを総合的に多面的な観点からとらえる、赤ちゃんを中心とした学問なのです。
様々な研究成果からわかる赤ちゃんの姿から、もう一度保育を考える必要があるかもしれません。