2015年 12月

空想の世界 5

2015/12/10

魔女さんをきっかけに、子どもたちの心の中に広がったファンタジーの世界は、広く高く大きくなり、そして子どもたちはその世界で空想の翼を広げて、思う存分飛び回っているように感じました。

おとまり保育が終わってからも、ときどき魔女さんからのお手紙がとどきました。子どもたちの中のファンタジーの世界はどんどん広がっていったようです。

そうしているうちに、暑い夏が終わり、涼風が立ち始め、運動会が近づいて来ました。前にも書いたように、運動会の開会ではみんながダンスをします。そのダンスにも、何か魔女と関係する曲を選びたいと子どもたちが言いだして、先生たちが一生懸命考え、探したのが『魔法使いサリー』でした。それに子どもたちと相談しながら振りをつけて、ダンスを完成させたそうです。

この頃には、魔女さんは子どもたちにとって、大きな存在になっていたのだと思います。「魔女さんは、運動会を見に来てくれるかなー」「がんばるから、応援しに来てね」
といった、ことばが聞かれるようになりました。魔女さんに見に来てもらいたい!だからがんばる!といったことをいう子が増えてきて、魔女さんは子どもたちの気持ちの後押しをしてくれるようになりました。

空想の世界 4

2015/12/09

魔女さんからの手紙で、大いに盛り上がった年長児のおとまり保育。魔女はもちろん、先生たちです。どうすれば、子どもたちの思いが膨らむか?子どもたちがワクワクするか?ドキドキするか?そんなことを考えながらワクワク!ドキドキ!していたのは先生たちでした。

どんな手紙の内容が良いのか?どうすれば、子どもたちがワクワクできるのか?考えることを怠りません。というか、楽しんでいます。手紙を書いて、狙った以上のレスポンスが返ってくると、大喜びしている大人がいて、子どもの反応に一喜一憂している大人を見るのも、なかなかおもしろいものです。どうすれば、子どもたちの

おとまり保育の日の天気が悪くて、キャンプファイヤーができなくなったら、室内でロウソクを使ってロウソクファイヤーをしなくてはならないけれど、どんな趣向で進めれば良いのだろう?やっぱり、ロウソクファイヤーの火は魔女からもらいたいよねー!なんて話で盛り上がり、夕方遅くまで残ってあーでもない、こーでもない、こうした方が魔女らしいだとか、どうしたら火をもらったように見えるか?など話し合っていました。「遅くなるから、もう帰りませか?」と私が言っても、そこにいたメンバーは、だれ一人帰ろうとしません。みんなその場で子どもたちの姿を想像しながら、どうすれば楽しいだろう?何が子どものドキドキわくわくにつながるのだろう?と考えることが楽しいのだと思います。そんな時間がたくさんあるといいと思います。

だって、子どもだけではなくて、大人も楽しい方がいいじゃないですか。

20151209_空想の世界 4

空想の世界 3

2015/12/08

初めて魔女からの手紙を受け取った子どもたち、興味津々で食い入るように手紙を見つめる子もいれば、冷静な子もいますし、今にも泣き出しそうなこもいたそうです。魔女さんから手紙が来ると子どもたちが返事を書き、また手紙をもらい、また返事を書く。そうやって魔女さんと十往復近く手紙のやりとりをしてから、おとまり保育を迎えました。ですから、子どもたちの中では魔女さんのイメージが大きく膨らんでいたのだと思います。「魔女さんがキャンプファイヤーを見に来るかもしれないね。」「園庭のムクノキさんの高い枝に座ってみるんじゃない?」などとドキドキしながら過ごしていたことを思い出します。

おとまり保育の1日目、子どもたちがお布団に入る頃には、どこからともなくやさしい音色が聞こえてきました。どこかウクレレに似た音色です。「きっと魔女さんが弾いてるんだよ!」「きっとそうだね!」子どもたちの心の中には、それぞれの魔女さんがイキイキと存在していたのでした。

魔女というと怖いイメージですね。もちろん得体の知れない怖さはありますが、子どもたちの魔女さんは、みんなを勇気づけてくれたり、応援してくれる、そして見守ってくれるようなそんな存在になっていったようです。親しみのこもった畏敬の念と言っても良いのでしょうか。そんな気持ちを持って、子どもたちは過ごしていたようです。
20151208_空想の世界3
20151208_空想の世界3_2

空想の世界 2

2015/12/07

子どもたちが想像力をいっぱい使って、空想の世界で思う存分遊ぶことができるように、昨年は天狗が登場しました。子どもたちの空想の世界をより楽しくするために、現実の世界も天狗に関する物がいろいろ登場していました。天狗の歌を作詞作曲して、レコーディングしてしまった保育士の先生もいました。それに振りをつけて、ダンスにしてみんなで踊るなど、先生たちも想像力いっぱいでした。

今年は、天狗に代わって魔女が登場です。毎年ストーリーは夏前に始まります。年長児たちが、おとまり保育を前にしていろいろと計画を立て始めようかとする頃、魔女から手紙が届きました。

実は突然魔女が表れたわけではなく、向いの山の麓に小さな公園やお寺、お宮があります。その近くに廃屋があって、向いの山に散歩に行くときは、必ずその前を通ります。その廃屋が、いつの間にか子どもたちの中で、「魔女の家」と呼ばれるようになりました。それが、年長児から年中児へそして下の年齢へと伝わっています。

子どもたちのいろいろなことは、そうして下の年齢へと伝わって行き、その中で子どもたちの文化が生まれてくるのです。人をいたわり、優しいことばをかけることも伝わってゆきますし、反対に厳しく注意したり、とがめたりすることも伝わってゆきます。そのモデルは周りにいる大人ですし、大人が何を意図して、子どもに接するかがとても大切になってくるのです。

そうやって、子どもたちに伝わってきた魔女の家には、魔女が住んでいる。と子どもたちは信じています。その魔女から手紙が届いたのです。

空想の世界 1

2015/12/06

子どもたちの得意なこと、それは何でも遊びにできる事です。大人には想像もできないような事を思いついたり、つながりそうもないことを結びつけたりします。それは、脳内の神経細胞を情報が伝わるときに、伝わり方が一定していないからだといわれています。成長するにつれて情報の伝わり方が、一定になってきて論理的な思考ができるようになってきますが、その分突拍子もない発想が生まれたり、全く関係のなさそうなものに共通点を見いだしたりすることは、少しずつ減ってくるそうです。

柔軟な発想の他にも子どもたちが得意なことがあります。それはファンタジーの世界に遊ぶことです。4歳ごろになると想像力が豊かになってきて、様々なイメージを膨らませ、物語を自分なりにつくったりします。また、暗いところや、お化けなどへの恐れの気持ちも持つようになります。そして、豊かになった想像力を使っていろいろな世界を旅することができるのです。

そんな子どもたちの楽しみを広げ、深めるために先生たちは、いろいろなことを考えています。昨年度は、天狗から手紙が来て天狗との手紙のやりとりを楽しみましたし、行事ごとに、天狗に関わることが取り入れられたりして子どもたちは大いに想像を働かせ、天狗のイメージを膨らませ、友達同士でイメージを共有して楽しんでいました。

ライトアップ

2015/12/05

もみじの葉もほとんど散ってしまい、寒さがやってきました。ついこの間も書きましたが、紅葉が美しい時期に貴船では「もみじ灯籠」が行われます。道路沿いには灯籠が列べられ、色づいたもみじがライトアップされます。この期間に合わせて、叡山電車の二ノ瀬、市原間では線路の両脇に植えられたもみじをライトアップし、その区間を通る電車は車内灯を消して徐行運転します。こんな風に、もみじを楽しむイベントが身近に行われているのだから、園でもなにかもみじを楽しむことをしたいよね!そんな話が子どもたちと先生たちの間で盛り上がったそうです。「じゃあ、なにしよう?」ということになって、色づいた葉っぱを集めよう!「集めた葉っぱはどうしたら、みんなに楽しんでもらえるだろう?」「ライトアップもしたいな!」という話しになったのかならなかったのか、窓ガラスに、色とりどりの落ち葉が貼り付けられていました。ライトアップするために、スポットライトを持ってきて、「鞍馬山保育園、色づいた葉っぱのライトアップ」の完成です。みんなのステキな感性に心を動かされました。

20151205_ライトアップ

懐かしい顔

2015/12/04

11月の末の日曜日に「同窓会」という行事を行いました。中学2年生までの卒園生に、みんなで集まりませんか?と声を掛けて、予定が合う人が保育園に集まって、半日を過ごします。今年は66名の卒園生たちが出席してくれました。中学生になると部活が忙しくてなかなか来ることができないのですが、今年は5人が来てくれましたし、6年生もたくさん来てくれました。久しぶりに会う友達と近況を報告し合ったり、保育園の思い出話に花を咲かせたりしていました。

10時に集まり、みんなで保育園の時を思い出してお参りをしてから、自己紹介です。学校が違ったり、卒園から時間が経っているとしばらく会っていないことが多いので、自己紹介をしています。そして、みんなでゲームをして盛り上がったあとは、調理の先生が作ってくれた昼食をみんなでいただきます。それから、しばらく自由な時間があるので、話をしたり園庭で遊んだり、最後にまた簡単なゲームをして1時半には解散するというプログラムですが、毎年子どもたちは楽しみにしてくれているようです。

子どもたちが集まると、保護者も送迎のために来てくださる方がいらっしゃるので、懐かしい保護者の方々にも会う事ができます。また、退職した先生方にも声をかけているので、都合のつく先生は集まってくれます。

懐かしい顔が集まるのは楽しいものです。子どもたちが大きく成長していて、中学生にもなると町で会っても絶対にわからないと思います。これからも、それぞれの道をそれぞれにその子らしく歩んでいってくれるといいな。大きくなった子どもたちの笑顔を見ていたら、そんなことを思いました。

大根を味わう 3

2015/12/03

収穫したばかりの大根を全て味わいつくした子どもたち。よほどおいしかったのでしょう、大きな大根2本を全部食べてしまいました。まだ足りないようだったので、もう1本足しました。さすがに3本全部は食べませんでしたが、全部で2本半も食べちゃいました。大根を焼いていたのは私ですが、焼くのが追いつかないくらいでした。

一通り食べたら、今度は、先ほどむいた皮を細く切って、炒めてみました。最初は何も味付けせずに炒めるだけ。次にごま油と醤油を少量加えて炒めてみました。畑で皮をかじって辛い思いをした子は、皮と聞いて最初は躊躇していましたが、味のついていないものでも炒めると、甘みが増しておいしいのか、よく食べていました。味をつけたものは少し味が深まり、また違った感じになりました。先生が一所懸命に刻んでくれた皮もあっという間に食べ尽くしてしまいました。

残るは、葉っぱです。葉っぱを刻んでいると、畑で最初に大根をかじって辛い思いをした子が、「おいしい?」といって近寄ってきたので、「食べてみようか?」と刻んだ葉っぱを口に入れると、まさに「葉っぱ」の味です。「葉っぱやなー!!」と2人でしかめっ面になりました。少し塩をふって炒めると、それなりに甘みも出てきます。最後はごま油と醤油で仕上げてみました。ちょっと味が濃くなってしまいましたが、子どもたちは喜んで食べていました。

自分たちで収穫してきた大根のいのちをまるごといただく、大根を五感で感じながらいただく、この大根丸ごと体験は子どもたちの心にどのように入っていったのでしょうか。

20151203_大根を味わう3

大根を味わう 2

2015/12/02

収穫してきた大根を、子どもたちとじっくりと味わってみました。先ずは生で大根の部分毎に味を比べ、次には少し火を通してから味比べです。

保育士の先生がはかりを持って来て、子どもたちに大根の重さを計ってもらっていました。大根を焼いて食べるのに、きっちりと重さを計る必要はないのですが、先生は子どもたちのはかりや重さに対する興味を引き出したかったのだと思います。

子どもたちは、先ずは2つに切った大根のどちらが重いか?手で持って比べてみた後、はかりにのせて計っていました。次に先生がいろいろな大きさに切った大根を、どれが重いのだろうと計り比べるなどしていました。「100グラムになるようにしてみて」という先生の声がけに、「もっと大きいのをのせよ!」「ちょっと重すぎるし、小さいのに変えよ!」などと、何人かで相談し、協力しながら、大根の重さを量っていました。

子どもたちが一所懸命になって、大根をとっかえひっかえはかりにのせている姿がとてもステキでしたし、はかりの目盛りを見つめる目のかがやきがすばらしくて、きっとワクワクしてるんだろうなって思いました。

この子どもたちの興味関心をどのようにして広げ、深めてゆくかを考えるのは、保育者のたのしみです。

大根を味わう 1

2015/12/01

子主たちが自分で収穫した大根を生でじっくりと味わい、部分による味の違いをしっかりと確認した後は、少し火を通して味わってみることにしました。保育士の先生が皮を剥いてくれた大根を、子どもたちが交替でいちょう切りにしてゆきます。いちょう切りにした大根をホットプレートで少し焼いて食べてみました。ホットプレートにのる前に子どもたちの口の中に消えていった大根もいくつかありました。

ホットプレートをあまり高温にせず、大根の色が少し透明がかるくらいに焼くと、甘みが増します。かといって焼きすぎると、苦味が強くなってしまいます。焼くのは私の役目だったのですが、子どもたちに「早く!早く!」と催促されて、大忙しでした。

首のところと、まん中と、先では、焼いても味が違うのかな?という誰かの質問で食べ比べてみると、やはり味は異なるようでした。

子どもたちはいろいろなことに疑問を持って、不思議だと思ったら、すぐに尋ねます。この子どもたちの気持ちを最大限大切にして行きたいと思います。

先ずは、いろいろなことに興味を持ち、なぜだろう?どうしてだろう?と思えることSense of Wonder を持つことが必要です。そう思えるきっかけとなるように、いろいろな環境を用意しておく必要があるのです。そして、子どもたちが持った興味や疑問をできる限り自分たちで満たし、解決できるような環境も必要ですね。ですから、大人は安易に答えを教えることはしない方が良いのかもしれません。ところが、大人はすぐに教えたくなってしまうのです。できるだけ自分で答えが見つけられるようなアドバイスやヒントはたくさん挙げると良いのですが、あとはじっくりと待つことなのかもしれません。もちろん、教えてあげることが悪いというのではありません。子どもたちが自分で考え、自分でやってみることができるような機会を増やしてあげたいと思うのです。

20151201_大根を味わう 1

スクロール