2013年 2月

落ち着きのない遺伝子 2

2013/02/08

このあいだからの暖かさから打って変わって、朝から雪が真横に降っています。京都の予想最高気温は3度。この時期らしい寒さともいえます。換気のために開けておいた窓から雪が舞い込んで積もっていました。

「落ち着きのない遺伝子」があるのか?という問いに対しては、ドーパミンD4受容体遺伝子のDRD4-7Rという遺伝子が、好奇心や落ち着きのなさと関連しているとして取り上げられることがあるそうです。しかし、一つの遺伝子や遺伝子群だけで説明できるような単純なものではなく、異なる遺伝子群に由来する形質のなかに、探求に関する複数の性質が含まれているとするのが妥当なようです。

探求心といえば、子どもです。「人間には想像力を伸ばす重要な特徴がもう一つある。それは長い子ども時代だ。」と「落ち着きのない遺伝子」を書いたデビッド・ドブス氏は言います。

人間はチンパンジーやゴリラなどほかの霊長類と比べて離乳が早いことが知られています。離乳は早いのですが、離乳してもすぐに自分で食事を取ることはできず、離乳食を与えられることにはじまり、母親以外の様々な人にも守られ、安全で長い子ども期を過ごします。この長い子ども期は人類の特徴です。そしてこの長い子ども期にする一番大切なことといえば「遊び」です。

もちろん「遊び」はほかの動物にも見られます。それは狩りをするなど生きてゆく上で必要な技能の習得ということがあります。もちろん人間にも、様々な運動機能の獲得としての遊びがあります。しかし、それ以外に、赤ちゃんが「これなんだろう?」と近づき、手で触り口で確かめてみる。時には放り投げたりぶつけたりするような、未知のものへの探求心からはじまる遊びがあります。もう少し年齢が上がると、どうすれば積み木を高く積み上げることができるだろう?うまくセミを捕まえることができるだろう?という探求心に基づき、自分でいろいろと仮説を立てて試すような遊びを多くするようになります。

「こうした遊びを繰り返しながら、子どもは様々な状況や可能性に挑む探求者の資質を育んでゆく」「探求に適した脳が形成され、認知機能が培われるのは子ども時代なのだ。そうした蓄積があり、注意を払えば、大人になってからも新たな挑戦の可能性を見いだせる。」「そして、探求者は失敗を恐れず目の前の可能性に賭ける。」(ナショナルジオグラフィック2013年1月号70ページ)とあります。

子どもたちに冒険家になってほしいというのではありません。世界の不思議に驚き、様々なことを知りたい、やってみたいと挑戦してゆく探求心が最も育つ乳幼児期に育てるべきところをしっかりと育ててほしいだけです。ひとり一人が、好きな仲間と探求心を思う存分満たすことができるような環境を整えたいものです。全てを満たすことが無理だとしても、大人の都合で子どもたちの探求心をつぶしてしまうようなことだけは、してはならないと思います。

落ち着きのない遺伝子 1

2013/02/07

ナショナルジオグラフィック2013年1月号に掲載されていた「小さな細菌の世界」を読んで、おもしろいと思っていたら、興味を引かれる別の記事が目にとまりました。サイエンスライター デビッド・ドブス氏による「落ち着きのない遺伝子」という記事です。最初タイトルを見たとき「落ち着きのない遺伝子」ってどういうことなのだろうと思いました。

人類がチンパンジーと共通の祖先から別れたのが700万年前、私たちの直接の祖先ホモサピエンスが生まれたのが20万年前のアフリカだといわれています。そして、約7万年まえにアフリカを出て世界中に広がりました。

ドブス氏はライプチヒのマックス・ブランク進化人類学研究所で遺伝学の立場から人類の起源を探っているスパンテ・ペーボ氏のことばを引いています。

「これほど活発に動き回る哺乳動物はほかにいません。」
「今いる場所でも十分生きていけるのに、境界を乗り越え、新天地を目指す。ほかの動物はこんなことはしません。同じ人類でもネアンデルタール人は10万年以上繁栄しましたが、世界各地に広がったわけではありません。ところが、現生人類(ホモサピエンス)はたった5万年で世界中に広がりました。ある意味尋常ではありませんよ。何が待ち受けているかわからないのに大海原へ船を進め、さらに火星にまで行こうという勢いです。私たちは決して立ち止まらない。これは、なぜでしょう?」(ナショナルジオグラフィック2013年1月号61ページ)

ドブス氏は、この私たちを駆り立てる「尋常ならざる探求心」がどこから生まれてくるのだろう?という疑問から、探求心が生来のものとすれば、ゲノムに端を発しているとも考えられる。としています。「尋常ならざる探求心」を持って世界中に広がり、なお火星にまで行こうとしている人類。物理的に移動することではなくとも、未知の領域を明らかにしようとする研究者の探求心も同じです。一所にとどまっていることができずに、新天地を求める探求心に関わる遺伝子があるのではないか?それが「落ち着きのない遺伝子」だというのです。

探求心といえば、子どもです。子どもの間にこの探求心を存分に使って外界を知り、困難に行き当たったときでも、様々な方法を駆使して乗り越えることを考える術を身につけてゆくのです。

「落ち着きのない遺伝子」とても興味をかき立てられるテーマです。

見えないもの 3

2013/02/06

私たちの身体には様々な微生物がいて、身体の各部分ごとに細菌叢(マイクロバイオーム)をつくっています。鼻の中には2,264種類、舌には7,947種類、大腸に至っては33,627種類もの細菌がいるのだそうです。

こうした常在菌の大半は食物の消化や吸収をたすける、人間の遺伝子には作れない必須ビタミンや抗炎症タンパク質をつくる、免疫系を強化する、また皮膚の常在菌は天然の保湿成分を分泌して、病原菌の侵入を防ぐ、など人体にとって有益な働きをするか、無害なものがほとんどです。いわゆる善玉菌です。

こうした善玉菌を最初にもらうのは、赤ちゃんが産道を通過するときだそうです。母乳を消化するのに必要な乳酸菌は普段はお母さんの腸内にいるのですが、出産の時には産道に増えるのです。そうして赤ちゃんが生まれてくるときにその乳酸菌をもらって、母乳を消化する準備を整えると考えられています。

細菌というとどうしても「有害」というイメージが強く、今の世の中には消毒、殺菌、除菌、と言うことばが溢れていますが、どうもそれだけではないような気がします。

抗生物質の発見は医学の進歩に大きく寄与し、多くの人の命を救ってきましたが、細菌叢の研究が進むと共に、抗生物質は標的とする悪玉菌を倒す際に善玉菌をも巻き添えにしてしまうということもわかってきていて、幼いうちに抗生物質を多用すると長期的に深刻な影響が生じる恐れがあるとする研究もあるようです。

もちろん、常在菌には善玉菌だけではなく人間に害を及ぼす悪玉菌もいます。食中毒を引き起こしたり、時にはスーパー耐性菌に変身したりして生命の危機を招くこともある黄色ブドウ球菌はヒトの鼻の中や皮膚にいる常在菌です。鼻の中の細菌叢という共同体のなかでは他の菌とのバランス関係でおとなしくしているようですが、共同体を離れると凶暴化することがあります。

異なるものが、それぞれの働き、役割をうまくを全うすることができる環境。お互いにバランスを取り合って共に生きる事ができる調和が大切なのかもしれません。最近は細菌叢を立て直すことで、病気を治そうとする治療方法も研究されているそうです。細菌叢という場の調和を取り戻すことを治療につなげると言うことなのだと思います。

以下、ネイサン・ウルフ氏の記事を引用します。

細菌を人生の道連れとして思いやり、人間の役に立つよう管理するという考え方は、細菌を目の敵にし、はびこる前に追い詰めて根絶しようという私の日頃の研究姿勢とはかけ離れている。しかしどちらも正しいと言えよう。感染症の病原菌に対しては警戒を怠ってはならない。だが、その世界を探求していくにつれ、目に見えない存在に対する恐怖は、尊敬の念と共に薄らいでいくだろう。今後どのような発見があるか、大いに楽しみだ。(ナショナルジオグラフィック2013年1月号153ページ)

と記事は結ばれています。全くその通りだと思います。

見えないものに興味を持っていたら、本当にウィルスがやってきて、インフルエンザにかかってしまいました。しばらくお休みです。

みなさん、ごめんなさい。

見えないもの 2

2013/02/05

見えない存在である微生物について考える事が多くなると、そういう情報が飛び込んできます。というか、そんなことが目につくようになります。

ナショナルジオグラフィック2013年1月号の、「小さな小さな細菌の世界」という記事が目にとまりました。微生物学者ネイサン・ウルフ氏による記事です。

私たちが呼吸をすると、目に見えない数百万個の粒子が肺の中に入ってくるそうです。そして、その大半が細菌やウィルスなどの微生物です。その微生物のなかには、世界中を旅してきたものも含まれているといいます。

今、中国から漂ってくるPM2.5が問題になっていますが、様々な微生物も大気に乗って地球上を巡っているので、私たちは世界中の微生物を呼吸していることになります。大気に国境はありませんから・・・

微生物は、人間にとって有用な働きもしています。まず地球上の酸素の半分はシアノバクテリアという微生物がつくったそうで、植物が光合成をするようになったのも、このシアノバクテリアが関わっているそうです。

また、私たちの身体にも常在菌と呼ばれる微生物がたくさんいて、その数は人間の細胞数の10倍、重さは成人の平均で1,350グラムにもなるそうです。そして、それらが身体の各部分ごとに細菌叢(マイクロバイオーム)といわれる集合体を構成しているのです。皮膚、口の中、鼻の中、腸内など、それぞれの部分によって異なった細菌叢がある。だから「ヒトはひとつの生物であると同時に一つの生態系でもあるのだ」とウルフ氏は言っています。

私たちは「自分の身体」だと思っていても、多くの微生物と共に生きているのですね。

見えないもの

2013/02/04

近頃、見えない物や世界が気になっています。といってもオカルトではありません。小さな世界の話しです。以前、当園の子どもたちを自然観察に連れて行ってくださっていた方と土壌生物の観察をしたことがありました。山の土や落ち葉を少しすくって紙の上に広げてよく見ると、カニムシやヨコエビその他名前は忘れましたが、そこにはたくさんの小さな生き物が動いていました。足下の土を少しすくっただけでも、小さな虫がたくさんいるのですから、土の中には無数の生き物が生息しているのでしょう。普段は気づかずにいるだけなのです。

土の中にいる虫は捕まえれば見ることができますが、もっと小さな細菌やウィルスなどの微生物は、肉眼では全く見えない存在です。この見えない存在が大きな働きをしていることはみんな知っているはずですが、どうも意識に登りにくいように思います。

細菌というと、どうもイメージが悪くて病気を引き起こす原因となるなど、人間にとって都合の悪いものだと思われがちですが、それはごく一部のことで、悪さをしないものが大多数だそうです。それどころか有益な細菌は数多くいます。日本の伝統的な食べ物は、細菌などの微生物のおかげでできているものが多いではありませんか。味噌、醤油、酢、お酒、みりん、納豆、漬けもの・・・私たちの生活に欠かせない食べ物の多くが発酵によって作られています。最近、日本食が最も健康的な食事の一つとしてその価値が世界中で認められていますが、発酵食品に依るところが大きいと思います。細菌などの微生物がいなくては、発酵はしません。

細菌などの微生物は、多くの種類がいたるところにいるはずです。そして、それぞれが複雑に関係しあって働いているのだと思います。いろいろな微生物がうまくバランスを取り合って共に生きている。そんな、人間の目には見えない、小さな宇宙が私たちのすぐ近くに広がっているのでしょう。そして、それが私たちの生活に深く関わっているのではないでしょうか。

細菌?いえ、最近よくそんなことを考えてしまいます。

節分

2013/02/03

やわらかな日差しが降り注いで、とても暖かな節分になりました。朝10時頃の気温が5度もありました。昨日はもっと暖かく、朝7時頃でも8度近い気温でした。立春を待たずしてこの暖かさは過ごしやすいのですが、ちょっと暖かすぎて変な感じがします。この時期は「鞍馬の節分雪の中」といって、たいていは雪に閉ざされています。

暖かい日曜日の節分、お寺では節分追儺式の法会が奉修され、当園の5歳児たちが出仕していました。お寺と園からの依頼に、日曜日にもかかわらず、保護者の皆様にもご足労いただきました。

昨年も節分追儺式のことをブログに書いたように、追儺式とは平安時代に宮中で行われていた、鬼やらいの儀式のことです。方相氏という鬼を追う役の人が侲子と呼ばれる人々を従えて、内裏のなかをかけ声をかけながら巡り歩いた。そのとき、公卿は弓矢でそれを援護し、殿上人はでんでん太鼓を振って加勢したそうです。

お寺の法要でも、陰陽師によって豆が蒔かレたの値、方相氏が手にした矛と盾を3度打ち鳴らした後、「オー!オー!オー!」とかけ声をかけます。それから本殿の周りを巡って、何カ所かでかけ声をかけます。方相氏に付き従う侲子の役を園児達が行い、元気な声で鬼を追い払っていました。続いて桃の弓を使って葦の矢を放ち、災厄を除きます。

室町時代に作られた百科事典ともいえる『壒囊鈔(あいのうしょう)』には、「昔鞍馬山の僧正ヶ谷に住む2匹の鬼が都に乱入しようとしたとき、毘沙門天が出現され、三斛三斗の豆をもって鬼の目を打て。とお告げになり、災厄を免れたとあります。

子どもたちは行事に参加して何を感じたのでしょうか。

落語鑑賞

2013/02/02

今年も、玄武寄席という落語の会があり、鑑賞する機会に恵まれました。今年が第6回目です。土曜日と言うこともあったのか100名近い来場者で賑わっていました。なかには、近くに住む小学生がお父さんと一緒に来ている姿もあり、ほほえましく思いました。彼は卒園生で時々学童保育にも来てくれている子です。もちろん、学童保育に来ていた子どもたちも鑑賞していました。しかも最前列で。みんな正座で真剣に聞き入っていて、終わってからもとても喜んでいたそうです。噺家さんも最前列にいる子どもたちのことを気にかけてくださったり、他の聴衆の方々にも気にかけてもらっていたようです。子どもたちが様々な文化的なものに触れる機会はとても大切だと思います。学童保育と同じ建物の1階上で開催される寄席に参加しない手はありません。

出演された噺家さんは、笑福亭枝鶴さん、桂治門さん、月亭遊方さんです。一番聞きたかった笑福亭枝鶴さんの噺を時間の都合で聞くことができなかったのが心残りです。

桂治門さんの一席は、「牛ほめ」という噺で、池田のおじさんが普請した家を褒めに行くのですが、褒めことばがわからず、教えてもらった言葉を書いていってそれを棒読みし、最後に牛を褒めるところに「さげ」があるという噺です。おもしろいし笑えるのはもちろんですが、新たに知ることもあります。家を褒めることばで、「表は総一面栂造り」(総栂造りの表)、「庭が縮緬漆喰」(縮緬のようなしわを持たせた漆喰で塗った土間)「上り框が桜の三間半」(上がり框に用いた三軒半の桜材)、「畳が備後表の寄縁」(備後産の畳表を使った縁の狭い畳)「天井が薩摩杉の鶉杢」(うずらの羽のような木目模様の薩摩杉)などなど、建築に関するいろいろなことばがたくさん出てきました。褒めことばなので、高級材料や凝った作りなのでしょう。

最後に牛は、天角、地眼、一黒、耳小、歯違う。つまり、天角はつのが天を向いていて、地眼は眼が地を見ていて、一黒は体が黒い、耳が小さい、歯が食い違っている。と褒めます。ただ笑うだけではなく、興味深く聞かせていただきました。

月亭遊方さんは、現代のお話しで、夫婦でやっている小さな中華料理屋さんの噺でした。ダイナミックな動きも加わって、先の一席とは違ったおもしろさがありました。

こんな機会に巡り会えて、とても嬉しく思います。久しぶりに笑いました。小学生が楽しんでいたことがなにより嬉しく思いました。

噺家の皆様、スタッフの皆様、ありがとうございました。

まめまき

2013/02/01

あっという間に1月が行ってしまい、2月がやってきました。節分、立春とつづいて、春はもうすぐです。このところ、春を先取りしたような温かさが続いています。節分あたりからまた寒くなるのかもしれません。

今年の節分は日曜日なので、園では少し早いまめまきをしました。保育士の「鬼は外、福は内。といって豆をまきますが、鬼とは何でしょう?」という問いかけから豆まきが始まります。「鬼は外」というけれど、実は鬼は自分の心の中にいるんだよ。ということを子どもたちに伝えようと、絵本などを使って楽しくわかりやすく話していました。しかし、心の中に鬼がいるといっても、それを理解するのは大人でも難しいことです。

仏教でいう三毒、貪(貪欲)、瞋(瞋恚)、痴(愚癡)が心の中に住む鬼だとも言われています。貪欲はむさぼる心ですし、瞋恚は怒りの心、愚癡は真理を知らない無知の心、この三毒があらゆる煩悩の根源なのです。

煩悩に支配されてしまうのではなく、真理を知って、貪りや怒りから心を解放すること。悪いことを切り捨てるのではなく、貪りや怒りにとらわれることのないよう心をコントロールして、悪いことを良いことに変えることができると良いですね。

保育士は子どもたちに、おともだちにいじわるしたり、夜更かしをしたり、好き嫌いをしたり・・・そんな心が鬼なんじゃないかなという伝えていました。話を聞いてまめまきをして、さあ終わりにしようかと思っていたそのとき、来てしまいました。手紙の予告通りに鬼が!太鼓の音と共に2体の鬼が部屋に乱入してきたのです。逃げて部屋の隅に集まる子どもたちが多いなか、年長の男の子2人が果敢に鬼に立ち向かっていました。とても勇気のいることです。

お昼寝の後のおやつは節分にちなんで、調理が恵方巻きといわれる巻き寿司を作ってくれました。かなり手間がかかったと思いますが、子どもにも食べやすいとてもやさしい味と大きさに作られていました。最近新しいメニューがよく登場するので、気をつけておかないと食べそびれてしまいます。おいしい恵方巻きはいただくことができました。

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