園のこだわり

くさいもの

2012年6月19日

田植えからはじまってにおいの話になってしまいました。
もちろん様々なにおいがあります。良いにおいと感じるか臭いと感じるかは人それぞれの好みによると思うのですが、最近の好ましくないにおいいわゆる「くさい」を敬遠する傾向は少し過剰かと感じます。「学校でくさいといっていじめられた」ということを聞いたことがあります。

生活している中で周囲に臭いにおいが少なくなったことが原因でしょうか。私が子どもの頃は外で遊んでいると畑の片隅に肥だめがあって、そんな匂いは普通でしたし、トイレも汲み取り式があたりまえでした。ですから、そういうにおいも普通に日常生活の中にあったのです。それが、トイレが水洗になって日常の生活からはそんなにおいはほとんど無くなりました、他にも生ゴミなど、好ましくないにおいはあったと思いますが、現在のように何でもすぐに生ゴミとして捨ててしまうのではなく、できるだけうまく使い切る工夫をしていたので、ごみ自体も、においがすることも少なかったのかもしれません。においに限らず現在の日本の社会はあまりにも清潔に偏ってしまっているのではないでしょうか。「臭いものに蓋をする」ということばがありますが、においだけではなく、汚いもの、不都合なものを見えないようにしてきたのではないでしょうか。ですから、いろいろなものごとがどこかいびつになってきているように思います。

ずいぶん前になりますが、ある研修で心理学がご専門の先生のお話を伺ったときに、「タレントさんや自分の周りにどうしても好きになれない人、なぜか嫌な人はいませんか。そういう人は、自分自身が抑圧している影の部分と同じものを持っていて、その自分自身の影が相手に見えるので、相手に対して嫌な思いを抱くのです。」とおっしゃっていました。自分の嫌な部分、受け入れたくない部分を相手に投影してそれを嫌だと思っているのだそうです。嫌いな相手の嫌いな部分がそのまま自分の中にあって抑圧している部分なのだそうです。ですから、嫌いな人の嫌いな部分を自分の中にあると認め、自分の影の部分を自分で受け入れられると良いようです。

一人の人間の中にも光の部分と影の部分があるように、ものごとには必ず両面があります。見える部分と見えない部分です。近年そういう見えない部分をあまり考えなくなっていると講師の先生はおっしゃっていました。

水洗トイレはレバーをひねれば排泄物は見えなくなってあたかもどこかに消え去ったように勘違いしてしまいます。見えなくなっただけで、下水処理場などで相当な手間暇をかけて浄化されているのです。その見えない部分に心を運ぶことが、全体を考える事につながるのです。汚い部分、臭い部分、見たくない、触れたくない部分も意識し、全体を丸ごとで考えられると、少しはいびつでは無くなるのだと思います。

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