shigaraki (鞍馬山保育園 の投稿者) - 74ページ目 (186ページ中)

世界のリーダー

2013/12/05

オランダの方がおっしゃった「日本の人は協力、協調する」ということから、私たち日本人がもともと持っている協力する力や協調する能力に改めて気付くことができました。協力、協調とは少し違うかもしれませんが、震災の時でも略奪などが起こらなかったと世界中のメディアで取り上げられていました。地震、かみなり、火事、おやじではありませんが、日本はもともと地震、台風、大雪などの自然災害が多い国です。その自然災害が多い国で農耕を営んで暮らしていたことで、日本の文化の根底には、耐え忍ぶ力や、他の人と協力すること、助け合うことが醸成されてきたのかもしれません。ですから、私たちは協力する、助け合うという社会を構成するためにとても大切な遺伝子を持っているはずです。ただ、この協力、協調する能力が間違った方向に発揮されると滅私奉公的な考えや、全体主義に流されやすくなってしまうのかもしれません。そうならないように注意しながら協力、協調する力を、ひとり1人が幸せになることができる社会の発展のために活かせると良いと思います。

そのためにも、子どもたちが幸せでなくてはならないのです。「子どもが現在を最も良く生き、望ましい未来をつくり出す力の基礎を培うために」(保育所保育指針)保育は行われなければならないのです。子どもがひとりの人間として大切にされ、信頼され、幸せに育つからこそ、子どもの心に、人を信じて、大切にすることが生まれてくるのです。もともと、私たち日本人が持っている協調、協力するという良いところが存分に発揮されるように子どもが育つことを考えれば、より良い社会、望ましい未来が近づくのではないでしょうか。

日本の文化を大切にしながら、少子高齢化をはじめとした現代の社会の現状を踏まえて、どんな保育を行うのが良いのか、既存の固定概念を取り払い、原点にかえって考えたいものです。
子どもたちが幸せに育ち、大人になった時には、世界中のみんなが幸せになれることを積極的に考え、進めるリーダーになることを祈らずにはいられません。

協力する力

2013/12/04

子育てにしても、介護にしても、ひとり1人を尊重して、ひとり1人の幸せのためには何が必要かをみんなでしっかりと考え、それを満足させるしくみを作っている国というイメージをオランダに持ちました。もともと、欧米は個人主義が思考のベースにあり、個人を大切にするとも考えられますし、個人を大切にするためにみんなが話し合ってルールを決め、しくみを作ることが行いやすいのかもしれません。

以前、オランダの Earth Games という会社の方が、来園されたことがありました。この会社は、みんなで協力する楽しさを味わうためのボードゲームを製作販売したり、協力協調のためのワークショップを行うなどの活動をしています。その時に保護者のご協力をお願いして集まっていただき、この会社の方に講師をお願いしてワークショップを開きました。みんなで話し合い協力して、出された課題に挑戦してゆくというワークショップで、皆さんとても楽しんで取り組んでくださいました。その中のワークショップの一つに、床にガムテープを貼って、迷路を作り、そこを目隠しをしてまわりの人の助け(どっちに行くと良いのかのアドバイス)を頼って進んでゆくというゲームがありました。準備のために床にガムテープを貼る場面があったのですが、講師の方がテープを貼るのを手伝ってほしいのですが。とおっしゃるとすぐに何人かの保護者がテープを床に貼りはじめてくださいました。私にとってはごく普通のことでしたが、あとで講師の方と話していたら、日本の方がとても協力的、協調的なのには驚いたとおっしゃったのです。どうしてなのかと思って尋ねたら、オランダで同じワークショップを行い、お手伝いを依頼するときは、「あなた手伝ってくれますか」といった感じで指名して初めて手伝ってもらえるのだが、日本では手伝ってほしいと言っただけで、複数の人が協力して手伝ってくれたから驚いたとおっしゃったのです。このことばを聞いて、逆に私が驚くとともに、日本にはもともと協調性や協力する文化が深く根付いていることを改めて感じました。

お十夜参拝

2013/12/04

11月15日にゆりぐみ(5歳児)は午後から、真如堂(真正極楽寺)で行われたお十夜の結願法要の参拝に出かけました。
この日は就学時健康診断に行った子があったので、お十夜への参加者は7人でした。

午前中の雨が少し残っていましたが、真如堂に着く頃には雨も上がり、急速に晴れ間も広がってきました。お参りが始まる前に子ども達と境内を散歩したら、雨に濡れた紅葉が陽射しに輝いてとても美しかったです。

子ども達も初めての場所でしたが、あっちにもこっちにも行きたい!と、探検隊気分で散策を楽しんでいました。

いつもとはまた違った法要に、緊張しながらも興味津々な顔をして参拝していたのが印象的で、お堂の仏像や装飾、鐘の音、読経の声やその場の空気感などいろんな事を小さな瞳や体で体験しているなぁ〜と感じたひとときでした。

大切にすべきもの

2013/12/03

オランダの認知症施策についてほんの少し知るなかで、認知症になった人をケアする制度が、本人の希望を最大限に優先し、介護者である家族も同時に支援してゆく、そのことでみんなが安心でき、結果的に本人の認知症の中核症状は進んでも、心理・行動症状がひどくなることが少なく、本人が穏やかに過ごせること、家族も幸せに暮らせすことができるように感じました。

教育においても、どんな子どもでも、ひとり1人が最も発達できるよう、自ら学ぶ力をつけ、自分の幸せに向かって人生を切り開いてゆくことができるように、考えたしくみが作られているように思います。そうして育った子どもたちは、自分が幸せであると同時にみんなの幸せに貢献できることを学び、そうすることに価値を感じられるように育つのでしょう。

大人が子どもを管理し、一斉に画一の方法で知識を詰め込み、知識の量だけで子どもを比べるような教育で、子どもは本当に幸せになれるのでしょうか。子どもたちの様々なストレスが、子どもをとりまくいろいろな問題となって溢れているように思えてなりません。ひとり1人の子どもが現在を最も良く生きることが、望ましい未来を作り出す力になるのです。今こそ、子どもが現在を最も良く生きるためには何が必要かをしっかりと見据え、それを形にするためのしくみを考えなくてはなりません。見つめるべきは子どもです。ひとり1人の子どもの育ちです。全てをそこから考え、本当に子どものためには何が必要かを議論し、そこを明確にした上で、そのためのしくみを作らなくてはならないのです。たとえそのために今、手間やコストがかかり、回り道のように見えても、それは長期的な視点からは、プラスになると思います。ひとり1人の子どもが望ましい未来を作り出す力を備えるのですから。

ただ、望ましい未来というのが、均質な労働力としての人を育てることだったり、まるで全体主義のように、言われたことに従順に従う人を育てることなのであれば、話はまるで違ってきますが・・・

ひとりひとりを大切にする国

2013/12/02

オランダでは認知症のケアが進んでいることを知りました。本人と共に家族をさえるためのケアがしっかりできているのだそうです。本人が不安が少なく、できるだけ穏やかな心境で過ごせるように、そのためにも介護者である家族をしっかりとサポートすることを大切にして、ひとり1人のケースに対して最も良いサポートができるようなしくみが国家プロジェクトとして作り上げられてきたようです。国家プロジェクトというと、国で決まったことが、上から下りてくるというイメージを持ちがちですが、暮らしの場である地方自治体レベルでいろんなサポートやサービスを展開してゆく必要があります。ですから、実際に現場で活動する人が専門性を活かせるように裁量権をもっていて、地域にもっとも適した、サポートが展開できるようになっているのだそうです。例えば、認知症ケースマネージャーという人がいて、本人と家族にとって必要なサポートは何かを見極め、家族に対するカウンセリングなども積極的に行っているようです。

オランダで思い出したのが教育です。オランダの教育が日本でも話題になっています。教育学者でオランダ在住のリヒテルズ直子さんが、イエナプラン教育の学校を日本に紹介しようと努力されていますし、教育評論家の尾木直樹さんがイエナプランの学校を訪れて絶賛していたテレビ番組を見たことがあります。私もオランダの教育について研修で少しだけ学んだこともありますが、子どもひとり1人がその子らしく生き、社会でより良く生きてゆくためにはどんな力が必要かという視点で、子どもの主体性、自発性を尊重した教育が行われているそうです。こどもが自ら時間割を組み、学習計画を立てて、自分で課題に取り組むなど子どもが自発的に学ぶことが中心となっているそうです。

オランダ教育の特徴の一つは、個に応じた教育ということでしょう。ひとり1人を大切にするという考え方があるのだと思います。性別や、年齢、しょうがいの有無といったことで区別するのではなく、その子に今、最も必要なことは何かが考えられ、子どもたちひとり1人が自分のペースで、自分に一番適した方法を選んで発達することができるように配慮されているといって良いと思います。

この、ひとり1人を大切にする考え方をどうすれば具体化できるのか、そのしくみを考え、実践し、それぞれに異なるひとり1人がもっとも幸福でいられるために教育や介護が為されているように感じました。

先進的な取り組み

2013/12/01

認知症になっても適切なケアがあれば、みんながそれほど困難を抱えなくてすむということが海外の事例から明らかになっているそうです。ハートネットTVの認知症シリーズの第2回では、オランダの取り組みが紹介されています。オランダでは、「認知症の人が住み慣れた我が家で穏やかに暮らせる状態を保つこと」を目標に2000年代から認知症ケアの国家的プロジェクトが進んでいるそうです。暴力や徘徊といった認知症の症状は本人の不安を取り除くことで和らぎ、家族も無理なく介護できるのだと言います。本人のケアと共に介護をしている家族もケアすることが必要なのだそうです。様々な人が連携して家族ごと支えることによって、オランででは認知症の8割の人が自宅で暮らし、そのうちの半数が一人で暮らしていると言います。

ディレクターの取材後期には、オランダを取材して、本当にこの人達が認知症なのかと疑ったと驚きのコメントが綴られています。重度の人でも穏やかに読書や散歩をして過ごしていらっtしゃることが全く信じられなくて、余命2年くらいの末期の人たちが入るという入所型の施設でも、穏やかに過ごしていらっしゃったと言います。

どうやら私の「認知症の人」のイメージそのものが、「固定概念」にとらわれていたようです。「重い人を!寝たきりの人を!」と色眼鏡で捉えようとしていた自分に反省するとともに、同じ人間なのに一体なぜこんな違いが出るのか?どうしてこんなことができるのか?という疑問からあらためて取材をし直した次第です。(ハートネットTVホームページ)オランダが認知症の早期発見と治療、そして家族支援という国家戦略をとって10年、その戦略が功を奏しているそうです。

1人ひとりの幸せをめざし、そのための仕組みをつくり、その中で様々な人がそれぞれの役割を果たし、チームとなって問題に取り組む。オランダの人々のそんな姿勢が感じられる内容です。

地域で暮らす

2013/11/30

日本でも今年度から新たな認知症施策推進5か年計画(オレンジプラン)が始まっていることは前にも紹介しました。その特徴は、認知症になっても引き続き住み慣れた地域で暮らすことができる社会の実現を目指すことです。そのためには多くの人が認知症について理解している必要がありますし、様々な機関との連携も必要になってきます。

認知症についてインターネットで調べていたら、NHKのEテレで放送されているハートネットTVのサイトを見つけました。ハートネットTVは、「生きづらさ」を抱える全ての人に向けた新しいスタイルの福祉番組。“当事者の目線”を大切に、ほかのメディアやニュースとは違う視点で掘り下げていきます。(ハートネットTVホームページより)という番組で、テーマは介護に限らず様々なシリーズで構成され、その中に認知症のシリーズもありました。2013年7月にに放送された番組「シリーズ 認知症」のアンコール放送の告知ページに番組の内容が番組ダイジェストや番組ディレクターの取材後記など、とても詳しく紹介されているので、興味深く読みました。12月にアンコール放送もあるので、見たいと思います。

ディレクターの取材後記には、認知症の当事者と、介護者の困っている状況はひとり一人異なり、千差万別。どんな症状が起こるかわからない状況に、介護者は24時間向き合っているので、多大な不安と負担になっている。そのことばかりを考えてしまい、認知症の人の立場や思いという視線、当事者の気持ちにより添う視線を持つことを忘れていた自分がいた。というコメントがありました。「同じ人間なのに、介護者、当事者と、立場を変えて考えるだけで、捉え方が違ってくる」認知症に向き合うことの難しさを痛感した瞬間でもありました。(ハートネットTVホームページ)

立場を変えて考えてみることが大切なのはわかっていますが、難しいと思います。もし自分だったらという目線で見てみると、それまで介護者目線で見ていた自分の考えが受け入れられなくなった。とこのディレクターの方は言っています。このように誰かの立場になってみることができると、自然に寄り添うことができそうです。認知症になっても引き続き住み慣れた地域で暮らすことができる社会の実現のためには、認知症の方やその家族の気持ちに寄り添い、サポートする人がたくさんいると良いのではないでしょうか。

支える

2013/11/29

認知症の人が迷子になっているのに叱ったり、自分では家に帰るのだと思って出かけようとするのを無理に止めたりすると、本人は辛い思いをしてしまいます。本人には本人の理由がります。また、鍵をかけて家から出られないようにすると、とてもストレスを感じ、そのことで症状が悪化することもあるそうです。

迷子になりやすいなら一緒に買い物に行くとか、散歩につきあってあげるとかすると良いとか、出かけたと思ったら、そっと先回りして偶然会ったようにふるまい、興味の対象を変えるようなことばがけをして、本人が納得したら一緒に帰ってくると良いということがいわれます。

しかし、介護をしている人もいつもいつもそうできるわけではありません。全てを家族だけで行うことは不可能だと思います。だからこそ周りのサポートが必要になってくるのです。様々な介護サービスもそうですが、ご近所さんであったり、お店の人や駅員さんなど町じゅうに認知症についての知識を持った人がたくさんいると、迷子になっている人や、不自然に歩いている人を気をにかけること、声をかけることができますし、専門機関に連絡することも可能です。

ご近所さんが気をつけてくださっていれば、ちょっと目を話した隙に認知症の方が出かけても、あそこで見かけた、ここで見かけたという情報も得やすくなります。声をかけてくださったり、家に帰れるようにうまく促してくださる可能性もあります。みんなで見守りあえる関係性ができていると良いのだと思います。

2004年、それまで使われていた痴呆症という呼び名が認知症に改められ、それを機に2005年度から「認知症を知り地域をつくる10ヵ年」がスタートし認知症サポーター100万人キャラバンなど認知症の理解者を増やす取り組みが進んできました。
認知症について学んだ、認知症サポーターは、平成25年9月30日時点で、4,468,264人になりました。

それでもまだまだ、認知症の方とその家族を支える仕組みというのは充分とはいえないようです。

感じ方

2013/11/28

認知症の行動症状に徘徊があり、徘徊をしてしまう人は理由もなくただうろうろしているのではない、本人には本人なりの理由があるということを書きました。ただ現実の認識が実際とは異なっていることがあるので、周囲の人にはあてもなく歩き回っているように映るのです。言い換えれば、世界の感じ方が違うと言っても良いでしょうか。

しょうがいを持っている人たちの中にも、世界の感じ方が異なる人がいるといわれます。一つのものに焦点をしぼって見ることが難しく、目に映る全てのものが同じディテールを持って見えてしまったり、音が大きく聞こえてしまったり、気温の感じ方が違ったり、その違いは様々ですが、やはり違うのです。

音が大きく聞こえてしまう人に大きな声で話してしまっては、その人には耐えられないでしょう。その人に合った声の大きさで話す必要があります。

大人と子どもでは視野が異なると言われます。6歳児の場合、垂直方向の視野は大人約120度に対して70度、水平方向は大人約150度に対して90度しかないそうです。それを体験できるメガネのようなものがあります。インターネットで「チャイルドビジョン」と検索すると、自動車メーカーなどのサイトから型紙がダウンロードできるので、それをプリントアウトして組み立てれば簡単に体験することができます。

園内研修でこどもの視野を体験しようと、みんなでこのチャイルドビジョンを付けて、目の高さが子どもと同じになるように、園内を膝立ちで歩き回ってみたら、子どもってこんなふうにしか見えないんだ!と衝撃を受けました。子どもがよくぶつかるのは納得できます。これを体験した先生たちは廊下に置いてある机は危ないと言って机をすぐに片付けていました。

みんなそれぞれに、世界の感じ方や理解の仕方が違うということを念頭に置いているかいないかで、対応が大きく異なってしまいます。視野が狭くて見えない子どもに「よく見ないからぶつかるのよ!ちゃんと見なさい!」なんて叱りつけたら、子どもは悲しい気持ちになるだけです。よく見なさい。なんて言われても見えないのですから。

それぞれの世界

2013/11/27

認知症では、記憶障害、見当識障害、理解・判断力の低下、実行機能の低下などの中核症状が原因で、様々な行動・心理症状(周辺症状といわれることもある)が起こります。行動症状の一つとして徘徊と呼ばれる行動があります。「徘徊」を辞書で引くと、どこともなく歩き回ること。ぶらつくこと。(広辞苑)とあります。認知症で徘徊しているというと、あてもなく歩き回っているように感じますが、歩いている本人には本人なりの理由があるそうです。見当識のしょうがいのために、買い物に出かけたけれどもお店の場所がわからなくなったり、家への帰り道がわからなくなる、いわば迷子になっていることがあります。また、自宅にいるのに「家に帰ると」いって出て行ってしまう。よくよく話を聞いてみると、家というのは、若い頃に住んでいた家だったということがあるそうです。このように記憶があやふやになって、本人が認識している現実が実際と異なることで、起こる徘徊もあるそうです。歩いて行けるはずもない遠いところまで歩いて行こうとする人もいると聞きました。

そういえば、鞍馬でも遠くから来られたお年寄りが、保護されたという話を聞いたことがあります。

徘徊は、周りの人から見ると奇異な行動かもしれませんが、本人の中にはその人の現実、その人のとらえ方、その人の世界があり、その人の理由があるのです。
私たちはどうしても自分自身の感覚で捉え、他の人も同じように世界を捉えていると思い込みがちです。

ですから、その人の感じ方や世界があるということを考慮せずに、自分の価値観や都合だけで考えて、それを誰にでも当てはめようとしてしまいます。もちろん、相手と全く同じように感じる事はできませんが、できる限り想像を巡らすことはできそうです。

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