園長ブログ

まちくさ みつけたよ

2012/12/16

普段何気なく見過ごしてしまっている草に名前をつけることに子どもたちは戸惑うかなと思っていましたが、スタッフの皆さんがうまく興味をつないでくださったのですぐに慣れ、次々に草を見つけては、名前をつけていました。

       きみとぼく

椿の木の幹から並んで生えた脇芽に「きみとぼく」という名前をつけた子、太い欅の根元から幹に沿ってのびるつる性植物に気の横に棒が立ってる見たいやし「きぼう」と名付けた子、ユキノシタの小さな葉が2枚向き合って生えているのをみて「はさまれそう」、少し高いところにあった細い葉がたくさん生えているのが「おそいかかりそう」、同じ種類の草に「はなび」とつけた子もいました。子どもの発想力は無限というか、計り知れません。私などは「草を見つけて名前をつける」という固定疑念にすでに縛られているので、どこかかから石を持ってきて草の横において何かに見たてていたのには驚きました。

       きぼう


子どもたちのこうした発想の豊かさが、思う存分発揮できる環境をできるだけ保証したいと思いました。

発想の豊かさというのは、子どもの得意とするところです。しかし、子どもは論理的に思考することは、あまり得意ではありません。それは、情報の通り道である脳の神経回路のいろいろなルートを情報が通るからだと言われています。成長するにつれて情報の通り道が絞り込まれてくるのだそうです。

ですから発達はできることが増えてゆくのではなく、はたらきが「変化」してゆくことだと考えられます。つまり役割が変わってくるということなのです。ですから、赤ちゃんには赤ちゃんの役割、幼児には幼児の役割、学童には学童の、青年には青年の、壮年には壮年の、高齢者には高齢者の役割がそれぞれあるのです。「もう年をとって身体も思うように動かんようになって、あかんわ」とご高齢の方がおっしゃるのを聞くことがありますが、年をとって運動機能は衰えても包容力が増すとか、ものごとの見方が変わるとか、何かそういう変化があるのだと思います。

もちろん年齢の違いだけではなく、様々な違いを私たちは持っています。そんな「違う」ということが、お互いに活かされて生きられると良いですね。

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