鞍馬 アーカイブ - 鞍馬山保育園

鞍馬寺五月満月祭にお参りされる皆様へのお知らせ

2014/04/29

お寺から、五月満月祭にお参りされる皆様へのお知らせを預かりましたので、伝えさせていただきます。
参拝を予定されている保護者の皆様、お知りおきください。

おしらせ

今年の五月満月祭は時間帯が変わります。

日時:平成26年5月14日(水)午後7時より午後10時ごろまで

場所:鞍馬寺本殿前

・昨年までは、3部構成で、1部・2部・3部と続いて奉修されていましたが、
 今年は1部に集約し、1部のみを奉修します。2部・3部は行いませんので、ご了承ください。

・控室はご利用いただけませんので、あらかじめご了承ください。

・不明な点は、直接お寺にお問い合わせください。

春の自然

2012/04/20

   咲き始めた八重桜

今日は二十四節季の「穀雨」だそうです。穀雨とは雨が降って全ての穀物を潤すという意味で、田畑の準備が整い穀物の生長を助けるやわらかく、あたたかい雨が降るのだそうです。今日は朝から雨でした。やわらかいというより、かなりしっかりと降っていると感じました。この雨で、せっかく咲いた桜が散ってしまうのではないかと心配しましたが、思ったほど散ってはいませんでした。
お寺の本殿前は八重桜も咲き始め、白や桜色、薄紅色などの花がたくさん咲いてとても華やかなのですが、それが雨ににじんで、やさしい色のカクテルになっていました。

咲くのが遅かった桜にばかり気を取られていたら、いろいろな植物が芽吹いていました。枝先に生まれたもみじの葉っぱがいつの間にか大きくなっていて、やわらかい黃緑色が広がってきています。きのう子どもたちとさんぽに行ったときには春の日差しをうけて、自ら輝いているように見えました。芽を出したばかりの葉っぱはとてもかわいらしくて、日に日に大きくなってゆくのです。

   少し大きくなったもみじの葉

「目に見えて」という表現がぴったりなほど、あっという間に大きくなってゆきます。このもみじの葉っぱの成長を見ていると、「葉っぱも生きているんだなー」とその生命力に元気をもらえるので、とっても好きなのですが、今年は心に余裕がないのか、もみじが芽吹いたことにも、ある程度大きくなっていることにも気付きませんでした。

葉っぱはそれほどでもないのですが、どんな動物でも赤ちゃんはかわいらしいものです。それは、赤ちゃんの戦略なのだそうです。体つきや、顔の作りが他から見てかわいく感じるようにできているのです。

   黄緑色に輝くもみじの葉

そうすることで、他の人が「かわいい」と思ってかわいがったり、面倒を見るのだそうです。誰かに面倒を見てもらわないと生きて行けない赤ちゃんにとっては、重要な戦略です。

もともと持っているその戦略が最近の人間の大人には通じなくなってきているのかもしれません。虐待のニュースに触れるたびに、どこか自然のバランスが崩れてしまったのかと感じざるを得ません。

一気に暖かくなったので、様々な生き物のいのちの輝きが増して来ているようです。余裕がなくなり、弱くなっている心に、元気をもらうようにしたいものです。いや、もらうのではなくて、自らコントロールするのでしょうね。

信じる

2012/04/18

子どもってどんな存在でしょう。小さくて、弱くて、何も知らない、守らなくてはならない存在。確かにそうです。大人より劣っていて、何もできなくて、教え導いてあげなければならない存在。そうでしょうか。

食べ物はこぼすし、すぐにころぶし、確かに大人よりできることは少ないかもしれません。しかし、大人にはできないこともいっぱいできます。想像力や発想力では大人は足下にも及びません。ファンタジーの世界に生きていて、その世界からとんでもなくおもしろいものを引っ張り出してきたりします。決して全てが大人より劣っているわけではありません。知らないことはいっぱいありますが、何もわからないわけではありません。役割というか特徴が違うのです。

第一、子どもは小さくてもひとりの人間です。少し長く生きてきたからって、大人の方が偉いわけではありません。人として対等な存在のはずです。そんなの当たり前だろうといわれるかもしれません。当たり前なのに、子どもはできないからという理由で、教え込もうとしたり、やらせようとしたりしていないでしょうか。

なにかひとつのことができないからといって「やりなさい」とやらせると、そのときはできても、次に同じような場面に遭遇したときには、またできなくなっています。遊具を使うのに順番に並ぶ必要があるとします。ただ「並びなさい」といって並ばせても、次に同じような場面になったときには、並びません。なぜなら、大人に並ばされているからです。子どもが「順番に並ばないとみんなが困るから並ぼう」と自ら考え納得するからこそ、次にそうすることができるのです。禁止も同じです「ダメ!」と禁止するだけでは、子どもが主体的に「これは危ないからやめよう」と考えないので、又同じことをやってしまいます。

そして、大人が思っているよりも子どもたちはずっとずっといろいろなことを考えて、自分でできるのです。大人は「子どもはできないから」と思い込んでしまいがちですが、子どもを丸ごと信じきることによってこそ、子どもは自分で羽ばたくことができるのです。大人の側から考えて、大人がやらせるのではなく、まずは、子どもの側からスタートしませんか。

本殿前のさくらが満開に近づきました

保育する

2012/04/16

保育するとはどういうことでしょうか。子どもを育てることでしょうか。それなら、子どもは育てられる存在なのでしょうか。育つ存在なのでしょうか。もちろん育ち育てられる相互関係なのだとは思います。では、主役は誰でしょうか。それは自分に必要なことを学び自ら育ってゆく子どものはずです。

学校は子どもたちの全人格的な発達成長を促す場ですが、どちらかというと多くの知識を習得すること、先生が生徒に知識を伝えることが大きな目標となっているのではないのでしょうか。学校の教室は、黒板の前に立った先生の声が一番後ろに座る子にも届き、ある程度まとまった数のこどもたちに知識を伝えるのにちょうど良い広さと形になっていると聞いたことがあります。先生が教えなければならない内容をどう子どもたちに、どうわからせるかを計画して授業をします。そう、授業なのです。先生が生徒に授けるのです。当然、子どもたちは先生から知識を受け取ることが主になります。

では、保育園では何が大切なのでしょうか。それは遊びを中心とした生活だと思います。子どもが自ら生活の主役となること。自ら育ってゆくことです。そのために大人がするべきこと。それは、子どもたちができるだけ自ら考え、自らの意思で行動できるように環境を整えてあげることです。主役である子どもが、思う存分自分を発揮して自ら育つことをそっと支えてあげれば良いのです。

学校の真似をして知識を子どもに伝えることが最も重要だと思ったり、こどもにはいろいろなことを教え込まなくてはいけない。と言う思いが強すぎたりして、何かを「させる」こと、禁止することが多くなることがあります。しかもそれは子どもが決めるのではなく、大人の都合だけで決めてしまうのです。これでは大人主体です。

ついついやってしまうのが、「びびらしてなんぼ!」です。「洋服を片付けなかったら先生がもらっちゃうよ」そういうと、子どもは大切な洋服を取られては大変だと「びびって」片付けます。でもそれは、「片付けた方が大切な洋服がなくなることもないし、他の人の邪魔にもならないから片付けよう」と子どもが自ら考え、自分の意思で行動しているのではないのです。ですから、何度でも洋服を片付けないということを繰り返します。子どもが自ら洋服を片付けるようになって欲しいならそうなるような接し方をすれば良いだけではないでしょうか。

ついつい「これしなさい!」「それしちゃだめ!」と命令して子どもを動かそうとします。大人が命令して、動かすことが、保育だと勘違いしてしまいがちですが、そうすることで、子どものどんな部分が育つのでしょうか・・・

雲珠桜

2012/04/15

暖かな日曜日になりました。桜は咲いたかなと、お寺に行ってみると、ずいぶん花が増えています。朝より夕方にはもっと増えました。お寺では花供養の中日法要が行われました。桜もちょうど咲き始め、淡い色に包まれた境内にはほのかに甘い香りが漂っているかのようです。箏曲や尺八の奉納、合気道の演武奉納などが行われ、陽春ということばがふさわしい華やいだ空気に包まれていました。

今日から10日ほどが、鞍馬の桜が美しいかもしれません。ソメイヨシノに限って言えばです。他にも様々な八重桜やしだれ桜、山桜など染井吉野の他にも多くの種対の桜があります。例年は染井吉野が咲く前に山桜が可憐な白い花を咲かせているのですが、今年はまだです。染井吉野に気を取られていたら、八重桜もつぼみが膨らみ、咲きそうになっている花がありました。これからしばらくは美しい桜が楽しめそうです。

「鞍馬」「桜」といえば、

花咲かば、告げんと言いし山里の、使いは来たり馬に鞍、鞍馬の山の雲珠桜、手折り栞を知るべにて、奥も迷はじ咲き続く・・・

謡曲『鞍馬天狗』の一部です。ここに出てくる雲珠桜(うずざくら)とはどんな桜なのでしょうか。これにはいろいろな説があります。

唐鞍といって正式な行列などで馬を飾るための馬具があります。その馬具の鞦(しりがい)につける、宝珠の形をした飾り金具を雲珠(うず)といいます。

①花の形が、この雲珠に似ている桜という説
②鞍馬山の桜を総称して雲珠桜という説
③様々な桜が緑の木々の中に咲く様子が、馬具の飾り金具である雲珠に似ているからという説
④馬の鞍と鞍馬が通じることから、「鞍馬山の雲珠桜」と鞍馬山という固有名詞を冠してこそその意味がある。雲珠桜とは雲珠のように咲く鞍馬山の桜という意味で特定の品種ではないとする説もある。
⑤冠にさす飾りを髻華(うず)といい、古くは髪に草木の枝をさして飾りとしたことで、鞍馬山の桜を手折り髪に挿したところから、雲珠桜(うずざくら)と呼ぶという説。

①は雲珠桜という特定の品種があるという説、②③④は鞍馬山に咲く桜を総称して雲珠桜という説、⑤は優雅です。

雲珠桜という固有品種があったとも言われているようですが、そうだったとしても、総称だとしても平安時代から鞍馬の桜は有名だったようです。

「これやこの音に聞きつる雲珠桜 鞍馬の山に咲けるなるべし」『定頼集』

唐鞍(『日本国語大辞典』小学館)

 雲珠(『日本語大辞典』小学館)

スクロール