信じる アーカイブ - 鞍馬山保育園

防災教育 2

2012/01/20

東日本大震災による津波から避難した釜石市の小中学生について書きましたが、前回あげた例以外にも祖母と自宅にいた小学生が祖母を介助しながら避難していたり、指定避難所の公園にいた小学生が津波の勢いの強さをみてさらに高台に避難するなどしていました。ここでも1. 想定にとらわれない 2. 最善を尽くす 3. 率先して避難するの「避難3原則」が生かされていたようです。

このようなことができた背景には、釜石市の教育委員会が、小中学生を対象に実践的な防災教育を実施し、授業で津波の怖さを学ぶ。災害時の危険箇所や避難場所を自分で書き込んだ地図を子どもが作成する。帰宅途中に地震が起きたと想定して、どこが安全か、津波の際はどこに逃げるかを子どもたちが考えるようにする。ことを続けてきたことがあります。授業で津波の怖さを学んだ子どもたちが、地図作りや避難訓練を通して、自ら考え、判断して行動する環境が用意されていたからこそ、いざというときに子どもたちが自ら動くことができたのです。

この自ら考え、判断して行動することは、なにも避難行動にだけ必要なことではありません。普段の生活のなかでこそ、子どもが自分で考え、判断して行動する力を養っておく必要があるのだと思います。津波は来なくても、これからの人生で襲いかかってく困難を乗り越えてより良く生きるためにも、子どもが主体的に考え、判断し行動する力こそが今、最も大切にするべきことではないでしょうか。ですから、毎日の生活の中で、大人が指示しすぎるのではなく、子どもが自ら考え、判断して行動する環境を用意しておくことべきなのです。当園でもそういった環境をもっと整えてゆきたいと考えています。

もともと三陸海岸地方には、津波が襲ったときに家族がてんでんばらばらに逃げろ。生きていればきっと会える。という「津波てんでんこ」の教えが語り継がれていました。それは、一人一人が自分の命に責任を持つことと、そのうえで、家族がお互いを信じ合うことの大切さを教えてくれているのだと思います。「きっとうちの子は無事に避難している」と信じることなしには、てんでばらばらに避難することは難しいのではないでしょうか。

この、子どもを信じ切ることの大切さも「釜石の奇跡」から学ぶべきことだと思いました。子どもは発達の過程で、こうなりたい自分と、そうできないでいる自分の間で揺れ動き葛藤し、その壁を乗り越えようとしています。そんなときに側にいる大人が、その子のできないでいる部分ばかりに注目してそこばかり指摘していては、子どもは壁を乗り越えるエネルギーを失ってしまいます。かといって大人がわざとらしく勇気づけたり、こうさせようという下心を持って誉めても、子どもはそれをよく感じ取るので、かえって力を奪ってしまいます。「この子はきっと大丈夫!」と信じて、子どもが自らの力で壁を乗り越えるのを見守ることが一番良いのではないでしょうか。

「子どもが主体的に生きること」、「子どもを信じ切ること」の大切さが、防災教育からも見えてきた気がします。

信じる

2011/09/13

最初から上手にできたり、練習してできるようになった子がスランプに陥ることがよくあります。今年もそんなことがありました。

運動会で跳び箱に挑戦したい人を募った中に運動が得意な子がいて、その子は少し練習しただけですぐに跳び越せるようになりました。しかし、軽いけがをしてしまいしばらく練習していなかったのです。けがもほぼ治りいざやってみると、前はあれほど簡単に跳べていた跳び箱が全く跳び越せなくなっているのです。勢いもあるしフォームもきれいなのですが、最後に手に重心をおいて体重移動するところができなくて、跳び越せないのです。

保育士は、離れたところから子どもたちを見ています。その子が跳び越せなくて、ちょこんと跳び箱の上に座ってしまうたびに、私は「こうした方がいいよ」と出そうになることばをぐっと飲み込みます。ちゃんとできているのに、最後のところでブレーキをかけてしまっているのがありありとわかるのです。それを見ているうちに、焦りが出てしまったのが私の間違いでした。よせば良いのに、その子に「この方が良いんじゃない?」と言ってしまったのです。

「このあいだまでできていたのにできなくなってる。なんで???どうしよう!?」と一番不安になっていたのはその子のはずなのに、それに追い打ちをかけるようなことをしてしまったので、その不安が堰を切って涙となってあふれ、それ以上できなくなってしまいました。

「見守ることが大切!」とあれほど言っているにもかかわらず自分自身それができていなかったことに気がつき、すぐにその子に謝りましたが、もう手遅れです。

あとは、その子が立ち直るのを信じて待つしかありません。

教えることより、その子の気持ちに寄り添い共感することが必要だったのに、「ああだよ」「こうだよ」「この方が良いんじゃない」と教えたくなってしまったのです。ことばにした方が良いのか、黙って見ている方が良いのかをよく考え、そのときその子に一番適当な方法を選ぶ必要があるのです。その前提は、子どもが自ら育つことを信じ、子ども主体で考えて、必要最小限のお手伝いをさせていただくというスタンスなのです。そんなことはわかっているはずなのに、できていなかったのです。頭でわかっているだけではなく、それを実践してゆくためには、焦りや、我欲に引きずられないよう、自分の心を律することが必要だということを改めて気付かされました。

翌日、その子は見事に立ち直り、運動会当日も軽々と跳び箱を跳び越していました。

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