園長ブログ

聞くということ 3

2014/07/03

感覚器官は、耳だけではなく、他の感覚器官からも様々な刺激を受けていますから、心の池にはいつも様々な波が立っていることになります。
おいしそうなご馳走を見て、食べたいという波が心に起こる。食べてみたらおいしいので、もっと欲しくなる。でも少ししかなくて、他の人も欲しがっている。どうしても自分が食べたくなる。食べられないのは嫌だと思う。何とかして自分が食べようとする。食べたいけれども食べられない。

このどうしても食べたい!という気持ちが強ければ強いほど、食べられないことに対する苦しみは大きくなります。

また、心の中だけで想いが勝手に広がることもあります。誰かに自分の至らないところを指摘される。自分の至らなさは棚に上げて、指摘されたことに腹を立てる。指摘した人のことを嫌だと思う。いったん嫌だと思うと、そこからそういえばあのときもこんな意地悪をされた。きっとあの人は自分のことを嫌っているんだ。性格が悪い人だ。どうしようもない人だ。という思い、というか妄想がひろがり、その妄想にとらわれる。妄想にとらわれると、その人のことが、本当に意地悪に見えてくる。一旦そういう目で見ると、その人のステキなところがあってもそこを見ようとせず、悪いところばかりが目につくようになる。それどころか、親切にしてもらっても、何か裏があるのではないかと疑ってしまってしまうこともある。もうそうなるとどうしようもありません。ネガティブな妄想ばかりがどんどん広がり、その妄想に飲み込まれ、巻き込まれていってしまって、ますます抜け出せなくなる。どこかでこの負のスパイラルを打ち切らないと、結局自分自身の心が苦しくなってゆくばかりなのですが、なかなかそれに気付く事はできません。

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