園のこだわり

安全基地

2014年3月30日

茂木 健一郎 氏のクオリア日記「過干渉な日本社会」に

大人は、人生の不確実性に立ち向かうことができるだけの「確実性」を自らの中に蓄積している存在

ということばをみつけ、自分は「確実性」を自らの中に蓄積している存在なのだろうかと自らをふり返ってしまいました。では、子どもについて、茂木氏はどうおっしゃっているのでしょうか。

一方、子どもの時には、知識も経験も不足しているし、自らのプリンシプルも足りないから、単独では不確実性に立ち向かうのが難しい。そこで、保護者が「安全基地」を提供して、子どもの「確実性」を補う。保護者が「安全基地」を提供してくれるからこそ、子どもは安心して不確実性に立ち向かい、学ぶことができる

確実性が十分でない子どものために大人がすべきことは「安全基地」を提供することなのです。安全基地は安心基地でもあるでしょう。子どもが、いろいろなことに挑戦して、傷ついたとき、心が折れそうになった時。そんなときに無条件で守り、支える存在でいることが大人のすべきことなのです。決して自分の思うとおりにさせるのではありません。茂木 健一郎 氏は続いてこうもいいます。

ここで大切なのは、子どもが発達する上で欠かすことのできない「安全基地」は、あくまでも子どもの自主性、能動性を前提に、親がその「挑戦」を見守るというかたちで成立するということである。重要なのは、あくまでも子どもの「能動性」が基本となるということであって、それが奪われたかたちでの「安全基地」は、子どもの学習の質を損なう。

やはり、大切なのは子どもが自らの意志で行うことなのです。子どもが主体的に自発的に活動するからこそ学ぶことができるのです。それなのに、子どもの主体性、自発的に環境に関わることを大切にせず、いちいち指示して言うとおりにさせようとする大人がいます。過干渉にならないようにしなくてはなりません。

*太字は茂木健一郎氏のブログ、クオリア日記「過干渉な日本社会」からの引用部分です。

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