園長ブログ

信じる

2012/09/17

見守るというと、大人が何もしないことだと勘違いする人がいます。何もしないのは、育児放棄か放任です。そんなことで子どもが育つはずがありません。

見守るということの一つの意味は、その時その時で、目の前の「この子」に適切に関わることなのだと思います。その基本になる子ども観が、子どもは一人の人格として主体的に生きているというとです。そこを起点として考える必要があります。そして、子どもは一人ひとりがそれぞれに違うのです。ですから、一人ひとりの子どもが、遊びをとおして、人、物、自然などの環境に主体的に自発的に関わることを適切に援助する必要があるのです。

その基礎となるのが、子どもとの信頼関係です。子どもが大人を信頼してくれることが大切ですが、そのためにはまず大人が子どものことを信頼する必要があります。子どもは一人ひとりが違うので、様々な姿を見せます。その子どもを「きっと大丈夫」とまるごと信じることが第一です。

最近、子どもの足りないところや困るところばかりに目を向け、必要以上に気にし過ぎて「気になる」「気になる」といい、その「気になる」に名前をつけるだけで安心してしまうことが多いように思えてなりません。発達に偏りがあるなら(あって当然なのですが)それをその子の特性としてしっかりと捉え、その子どもが生きやすいようにはどうすれば良いのかを、専門機関との連携も含めて考えてゆけば良いのだと思います。カテゴライズするのではなくて、その子をしっかりと見ることです。

少し話がそれましたが、大人が子どもをまるごと信じ切ることからしか信頼関係は作れないのです。まず、信じることをせずに「ダメ!」とか「話を聞け!」とか「食べろ!」などと指示、命令ばかりしていたら、決して子どもは信頼などしてくれません。

保育所保育指針 第2章 子どもの発達 第1項 乳幼児期の発達の特性にも「子どもは、大人によって生命を守られ、愛され、信頼されることによ り、情緒が安定するとともに、人への信頼感が育つ。」とあります。

この信頼することこそが、見守るということだと思います。子どもがどこまでも安心、安定できる安心基地でいてあげること。「こうしたかったんだね。こんな気持ちだったんだね。」と受け止めること、「きっと大丈夫だから、どんどん挑戦しておいで。」と勇気づけることが子どもが自立してゆくうえで必要なことです。
決して何もしないで見ていることが、見守ることではないのです。

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