園のこだわり

自然から学ぶ 〜ちがい〜

2012年8月30日

自然農法を用いて作物を育てる中で、いろいろな生き物が様々につながって、それぞれの役割を果たし、助け合って生きていることの一端を見ることができました。そこから、すべての存在には何かしら意味があると感じました。人も同様なのではないでしょうか。

人にも、姿かたち、性別、人種、言語、宗教・・・様々な違いがあります。その違いに意味があるのです。みんなが全く同じなら、一つの病気が流行したら全員が病気にかかってしまいます。そうならないよう、一人ひとりが違うようにできているのです。

ですから、その違いは違いとしてそのまま認め合いその上で、地球上でどうやってより良く生きてゆくか、という目的に向かって意見を交換し合う努力をした方が地球の調和につながってゆくのではないでしょうか?

誰かが勝手に決めたカテゴリーにこだわりすぎて、それ以外を排除する方向で考えることは、どこか視野が狭くて、滑稽にすら感じられることがあります。みんな地球の上で生きているのだから、その地球に感謝し大切にする生き方、人間社会の中で生きているのだから、より良い人間社会になるような生き方をした方が良いし、それに逆行する生き方こそ慎まなければならないのではないでしょうか。

話が大きくなってしまいましたが、様々な生き物に違いがあり、その違いを活かしてうまく関わり合っているように、人間も一人ひとりにその人の特性があり、それを活かし助け合って生きてゆくようにできているはずなのです。それは、社会で生きてゆくようにできているということです。

人間社会という大きなくくりの中でもそうですし、ひとつの組織の中でももちろんそうです。子どもの集団だってそうです。いろいろな人がいてそれぞれの得意なところで、みんなに貢献することができれば良いのではないでしょうか。

子どもでも一人ひとり異なり、それぞれの興味感心意欲に従って自ら学んでゆくのに、なぜかひとくくりにして、まとめようとしてしまいがちです。そのまとめよとする単位になりがちなのが、4月2日から翌年の4月1日までの1年間に生まれた子どもたちをひとくくりにした○○歳児クラス、学校でいう学年の分け方です。これは学校で一人の先生が一斉に子どもたち知識を伝えるのに効率の良さそうな分け方です。
ですから、この分け方にこだわりすぎるのは、いかがなものかと思います。ある活動をする時に、子どもの学びが最も大きくな分け方の一つとしてあるだけなら良いのですが、すべての活動が○○歳児クラスごとであることは不自然です。

最近、「ちょっと気になる子」ということばがよく聞かれますが、気になると思う方が気になります。なぜ気になるのでしょうか。大人が勝手に決めた枠をあてはめて、そこからはみ出す子が「気になる」のです。最近その枠が狭くなっているように感じられて仕方ありません。もちろん、その子の特性をしっかりと捉えておくことは大切ですが、枠の中で子どもをまとめようととするから、その枠からはみ出しやすい子が気になるのです。

みんな、それぞれにその子なりの得意を持って生まれてきているのです。その得意は当然違うのです。その「違い」を大切にして認め合うことを、子どもたちにも伝えてゆけると良いと思います。

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