園のこだわり

2013年 3月

2013年3月31日

ずいぶん暖かくなってきました。4日ほど前に東京に行ったら、桜がとても美しく咲いていました。京都の市内も八分咲きといったところでしょうか。鞍馬はさすがに遅くて、ソメイヨシノはつぼみが膨らんで、「早く暖かくなってよ」と咲くのを待っているかのようです。待ちきれなくなった花が何輪か開き始めています。このあいだまで咲いていなかった山桜の花が一気に三分咲きくらいになっていて驚きました。はなまつりのころには満開かもしれません。桜の花はその淡い色と小さな花がたくさん集まっている姿がどこか優しい気持ちにさせてくれます。朝早い時間にはたくさんの小鳥たちが、桜の枝で囀っていました。今にも咲きそうなつぼみたちに、「早く咲いてね」と歌いかけているようでした。

明日から4月です。平成24年度がおわり、いよいよ新しい年度がはじまります。今年度は、チーム保育を目標に取り組んできましたが、順風満帆だったわけではありません。うまく行かなくて心が折れそうになったこともたくさんありました。新しいチームになるためには今までのチームを一度解散する必要があるのかもしれませんし、新しく何かを創造するためには、そぎ落とさなくてはならないものもたくさんあったのだと思います。今年度はそんなリセットの年だったのかもしれません。

職員がひとり卒業してゆきました。若いながらも、ものごとをしっかりと見つめ深く考えて実践できる保育士だったので、とても残念なのですが、自分の夢を追うために巣立ってゆきました。当園がみんなのいのち輝くことを目指すのであれば、夢に向かって輝こうとしている彼女を引き留めることはできません。
職員たちが送別会を企画してくれて、みんなで送りました。会が終わって外に出ると冷たい風が火照った頬に気持ちよく、鴨川沿いの夜桜の美しさが、少し寂しく感じられました。夢に向かってしっかりと歩んでくれることを祈りました。

2013年3月30日

何かが良くなるためには、「良くないところを直す」ことと「良いことを更に伸ばす」という方法があります。それなのに、ついつい自分のできないところばかりに注目して、弱点を克服しようという方にウエイトをおいてしまいがちです。できないことをできるように努力することも必要ですが、「これをやらなきゃ!」「頑張らなくては!」ということばかりでは、楽しくなくなってしまいます。辛いことでも我を忘れて取り組むことができる。その原動力になるのは辛いことも楽しめるようになることだと思います。

そういうと、やりたくないことから逃げているように誤解されてしまいそうですが、そうではありません。どんなことでも目標に近づこうと思ったら、辛いけれどもやらなくてはならないことの方がずっと多いのです。

弱点を克服することばかりではなく、良いところを伸ばすことにもっとウエイトを置いていった方が「楽しい」ですし、その「楽しい」をやってゆくことが余裕につながり、「もっと挑戦しよう」につながり、結果的に良くないところがそのままで良いことになるのではないでしょうか。

私の中では、良くないところを直すというのは、どこか機械を直すというイメージがありります。良いところも、良くないところもあって丸ごとで生きている生き物としての人間は、良いところを伸ばすことに力を注いだ方が良いように思います。

ひとり一人顔が違うように、それぞれ得手不得手があります。自分にしかできない何かで誰かのお役に立つことを考える方が自然なような気がします。

2013年3月29日

子どもは、自分に影響を及ぼす物事について自由に自分の意見を述べることができる機会を保証されるべきです。ですから、いじめについて話をしたり、何かを決めるには子どもが意見を述べる機会がないといけないと思うのです。結局、いつも大人が決めて子どもに押し付ける。子どもにやらせる。ということが多いと思います。道徳の教科化、加害者への厳罰化もそういうことなのではないでしょうか。大人の都合から大人の目線で見て、子どもたちにやらせようということが多いように思えてなりません。

いじめは子どもたちの悲鳴です。多様な価値観といいながら、勉強ができるというひとつの価値観だけで判断し、テストで高い点を取れることを目指して競争ばかりすることに、子どもたちは疲れているのではないでしょうか。

そもそも、私たちはなぜ子どもを育てるのでしょうか、今何のために子どもを育てるのでしょうか。保育園や学校の役割って何でしょうか。学力って何でしょうか。いつも原点にかえって考え続けることが必要だと思います。

2013年3月28日

何とかいじめをなくそうとみんなが一生懸命になっています。教育再生実行会議では提言がまとめられましたが、どこか違和感を感じてしまいます。もちろん大切なことが示されているのでしょうけれど、方向性というのか何かが違うように感じられるのです。道徳の教科化にしても、法制化にしても、毅然とした態度にしても、ある意味必要なことかもしれません。しかし、どうも大人から子どもに下向きに矢印が向かっているように感じられます。教科にして子どもに教える。法律を作り守らせる。大人が上から目線で命令し、子どもに「やらせる」ニュアンスを感じてしまうのです。そこには子どもが自ら主体的に生きる姿は感じられません。

いじめられる子はもちろん、いじめる子も、傍観者でいる子も、みんなとても苦しみ「助けて!」と叫んでいるように思えてなりません。そんな子どもたちひとり一人を受けとめ、寄り添い、支えることが必要なことのように思うのですが、考えが甘いのでしょうか。

教育再生実行会議には、そうそうたる方々が名を連ねていらしゃいますが、どうして子どもの代表がメンバーに加わっていないのでしょう。一番困っているのは子どもですし、直接子どもに関わる事なのですから、子どもたちが自分たちの想いを伝えることがあってしかるべきだと思うのですが・・・子どもの意見を聞くことは必要ないのでしょうか?

2013年3月28日

・ごはん

・高野豆腐の煮物

・和風サラダ

・豆腐のみそ汁

2013年3月28日

3月19日 11人の子どもが卒園しました。前日の雨とは打って変わって良いお天気に恵まれ、子ども達は笑顔いっぱいで登園してきました。式の間は神妙な顔つきで過ごしていましたが…

卒園式は嬉しい式なのに一人一人卒園証書をもらいにいく姿を見ていると、私の方もいろんな思いがこみあげてきました。
(次の日からも3月いっぱいは来るんですがね)

その卒園児さん、いよいよ学童保育の方に参加し、小学生のお兄さんお姉さんと一緒に過ごす事になります。どんな風に過ごすのかとても楽しみです!

2013年3月27日

・ごはん

・マーボーナス豆腐

・中華サラダ

・中華スープ

2013年3月27日

いじめられる子も、いじめる子も、多くの子が苦しんでいる。いじめの問題に接するたびにそんなことを感じてしまいます。なぜ、こんなに多くの子どもたちが苦しまなくてはならないのでしょうか。なぜこんなになってしまったのでしょうか。ほんとうに困ったものです。こんなに苦しんで育った子どもたちが、社会を形成できるのか心配になります。

でも、子どもたちの力を信じたいと思います。すり込まれた大人よりもずっとずっとすばらしい力を持っているはずです。私たち大人にできることは何でしょうか。

当園の前に童形六体地蔵尊というお地蔵さまがいらっしゃいます。子どもの姿をしたお地蔵さまです。その近くに「子どもはみんなほとけの子、子どもは天からの預かりもの、子どもは親の心をうつす鏡」ということばが掲げてあります。私たちはいつも「親」
の部分を「保育者」と読み替えて、それを心にとめるようにしています。

では、「親」を「大人」と読み替えるとどうでしょう。「子どもは大人の心をうつす鏡」だとしたら、子どもたちが苦しんでいるいじめの問題は、私たち大人の心をうつしている問題なのかもしれません。そう思うと私たち大人がどう生きているのか、子どもたちのいじめのようなことをしていないか。自分自身を深く深くふり返って見る必要がありそうです。

子どもたち、特に乳幼児は真似ることから学んでゆきます。ですから、私たちは特に子どもの前では、自分自身の一挙手一投足、一言ひとことに細心の注意を払っている必要があるように思います。

両手に物を持っているからといって、扉を足で開ければ、子どもはそれをまねをします。自分たちで解決する力のない子どもたちのけんかをどう仲裁すると良いのか、一方的に「謝りなさい」と言うのが良いのか、それぞれの気持ちを汲み取って表現するのを手伝い、双方が納得してわかり合えるように導いてあげるのが良いのか、よくよく考えないと子どもは、私たちが行ったとおりにします。子どもの前で人の批判をすれば、その子は人を批判する子になります。反対にいつも穏やかで、楽しい心でいれば、子どもも穏やかで楽しくなります。

当園の目指す子ども像の中には、「相手を受けとめることができる子」「自分の想いを伝えられる子」「感謝の心を持てる子」というのがあります。これは子どもがそうなってほしいという意味ですが、そのためには大人がそうするのが一番良いのです。

2013年3月27日

ある日のおやつ後の出来事です。
私が給食室で食器洗いなどの後片付けをしていたとき
給食室のガラス戸をノックする音が聞こえたので振り返ると
そこには年少クラスの◯◯ちゃんの姿がありました。

「◯◯ちゃん、どうしたん?」
「せんせー、◯◯のおててさわって?」
「…あったかーい!なんでこんなにあったかいの?!!」
「トイレのおててブーンってするやつ(エアータオル)で乾かしてたらあったかくなってん!」

◯◯ちゃんは私の手が冷たいことをよく気にしてくれていたので
自分の手を温めて、私の手を温めようとしてくれたのかな?

雪がチラチラと降る日に
手とこころがポッ(^o^)と温まりました。
ありがとう!

2013年3月26日

・ごはん

・魚のあんかけ

・ひじきの煮物

・具沢山汁