たのしくいただきます

2012年 8月

2012年8月31日

・ごはん

・だしふりかけ

・高野豆腐の煮物

・和風サラダ

・みそ汁

2012年8月31日

畑という狭い空間をちょっと覗いただけでも、様々な生き物がお互いにつながり合い助け合って生きている姿が見られることを紹介してきました。様々な生き物どうしが助け合って生きている時に、人間は余計な手出しはしない方が良いと思います。極端な言い方をすれば、トウモロコシくんやナスくんトマトくん大豆くんは元気に育ってくれると信じて気をかけ「元気に育ってね」と声をかけるくらいしかできることはありません。

それでも少しくらいは何かした方が良いのではないかと、大きくなってきた草を切ろうとしたら、大豆がつるを伸ばしてつかまっていたことは何度も紹介しました。土を耕さないのも、土の中でいろいろな生き物が構成しているいる宇宙を壊さないためでもありますし、土の上に枯葉が積もった状態にしているのは、土の中の世界を守るのと同時に、土の中の水分が蒸発しすぎてしてしまわないためです。作物以外の植物が直射日光があたりすぎるのをさえぎって、水分が蒸発しすぎるのを防ぎますし、根から吸い上げた水分を葉から蒸散させますが、その水分が夜の間に夜露となって葉っぱにたまっています。天から降ってくる雨と、土から蒸発する水分とをうまくコントロールしているのかもしれません。そこで、人間が水をたくさんやったりするとそのバランスが崩れて、枯れてしまったり、人が水をあげないと育てなくなったりするそうです。

前にも紹介したように枯れてしまったかに見えたナスは、自分の力で葉を出して生きかえりましたし、地を這っていたいたトマトに支柱を用意しても、登ってくることはありませんでしたが、周りの草の背が高くなってくると、自分の力で立ち上がりかなり背が高くなってきています。もしかして支柱を立てて紐などで結びつけていたら、自分の力で立って伸びることはなかったかもしれません。

そうやって、植物は自分の力で生きているのです。自分で生きてゆく力を持っているのです。することといえば、最初に土壌に落ち葉を敷くなどして、育つ環境を整えておくくらいなのです。

それはわかっていても、畑にいくとついつい何かをしてあげたくなります。何もしない不安に負けてあれもこれもやってあげたくなるのです。それは、作物を信じ切ることができていないからです。あっちの方が良いのか、こっちの方が良いのか、といじくりまわしすぎて、結局、枯らしてしまったりするのです。

2012年8月31日

園庭に赤とんぼを見つけました。少し柔らかくなったお日様の光と、とんぼのシルエットが絶妙だったのでパチリ

秋の知らせを前に夏休みの学童保育は終了してしまいました。ある日この夏この場所でしたこと、楽しかった事を新聞にしよう!!という企画をしました。

その日に来ていた仲間にそれぞれ書きたい事を聞き、下書きをし、同じテーマの仲間同士集まって、相談(これが特徴。大体のことは自分達で相談して決めます)

自分たちの書きたい事をどう書けば読む人に伝えられるか?読みやすいか?意見を出し合い工夫してすすめていました。思いの詰まったいいものができましたよ。

 

2012年8月30日

・親子丼

・野菜の磯和え

・みそ汁

 

2012年8月30日

自然農法を用いて作物を育てる中で、いろいろな生き物が様々につながって、それぞれの役割を果たし、助け合って生きていることの一端を見ることができました。そこから、すべての存在には何かしら意味があると感じました。人も同様なのではないでしょうか。

人にも、姿かたち、性別、人種、言語、宗教・・・様々な違いがあります。その違いに意味があるのです。みんなが全く同じなら、一つの病気が流行したら全員が病気にかかってしまいます。そうならないよう、一人ひとりが違うようにできているのです。

ですから、その違いは違いとしてそのまま認め合いその上で、地球上でどうやってより良く生きてゆくか、という目的に向かって意見を交換し合う努力をした方が地球の調和につながってゆくのではないでしょうか?

誰かが勝手に決めたカテゴリーにこだわりすぎて、それ以外を排除する方向で考えることは、どこか視野が狭くて、滑稽にすら感じられることがあります。みんな地球の上で生きているのだから、その地球に感謝し大切にする生き方、人間社会の中で生きているのだから、より良い人間社会になるような生き方をした方が良いし、それに逆行する生き方こそ慎まなければならないのではないでしょうか。

話が大きくなってしまいましたが、様々な生き物に違いがあり、その違いを活かしてうまく関わり合っているように、人間も一人ひとりにその人の特性があり、それを活かし助け合って生きてゆくようにできているはずなのです。それは、社会で生きてゆくようにできているということです。

人間社会という大きなくくりの中でもそうですし、ひとつの組織の中でももちろんそうです。子どもの集団だってそうです。いろいろな人がいてそれぞれの得意なところで、みんなに貢献することができれば良いのではないでしょうか。

子どもでも一人ひとり異なり、それぞれの興味感心意欲に従って自ら学んでゆくのに、なぜかひとくくりにして、まとめようとしてしまいがちです。そのまとめよとする単位になりがちなのが、4月2日から翌年の4月1日までの1年間に生まれた子どもたちをひとくくりにした○○歳児クラス、学校でいう学年の分け方です。これは学校で一人の先生が一斉に子どもたち知識を伝えるのに効率の良さそうな分け方です。
ですから、この分け方にこだわりすぎるのは、いかがなものかと思います。ある活動をする時に、子どもの学びが最も大きくな分け方の一つとしてあるだけなら良いのですが、すべての活動が○○歳児クラスごとであることは不自然です。

最近、「ちょっと気になる子」ということばがよく聞かれますが、気になると思う方が気になります。なぜ気になるのでしょうか。大人が勝手に決めた枠をあてはめて、そこからはみ出す子が「気になる」のです。最近その枠が狭くなっているように感じられて仕方ありません。もちろん、その子の特性をしっかりと捉えておくことは大切ですが、枠の中で子どもをまとめようととするから、その枠からはみ出しやすい子が気になるのです。

みんな、それぞれにその子なりの得意を持って生まれてきているのです。その得意は当然違うのです。その「違い」を大切にして認め合うことを、子どもたちにも伝えてゆけると良いと思います。

2012年8月30日

0歳児クラスに弟がいるRちゃん。

よく弟のいるところを覗きに来ては「何してるのー?」と声をかけてくれます。

ある朝、お母さんとバイバイして少し寂しくなったRちゃんが弟をぎゅー!っと抱きしめていました。

それをじっと見ていたKちゃん。

しばらくしてRちゃんがいなくなるとこっそりやって来て…

ぎゅー!!

Kちゃんはとっても嬉しそうな顔をして戻っていきました。

2012年8月30日

8月29日(水〉の献立です。アップが遅れてすみません。
・ごはん

・なすとトマトのミートグラタン

・ごぼうサラダ

・スープ

2012年8月29日

もう8月も終わりですが、まだまだ暑い日が続いていますね。

毎日お日様を浴びて遊んでいると、子ども達とともに私もこんがり焼けました。

今年はめぐみ精舎で学童保育の活動が本格的に始まり、毎日のように小学生のお兄さん・お姉さんの声を聞いていたのですが、学校が始まるとパタリと顏をみることがなくなってしまいました。

夏休み終了と同時に、夏の終わりを感じますねぇ。

これからは過ごしやすい気候になってくると運動会をはじめ、様々な行事が増えてきます。

それに向けて子どもたちと一緒に取り組んでいくことに、今からワクワクしますね☆

ぐんっと大きくなった皆と1年の後半、楽しくゆっくり進んでいきましょう!!

2012年8月29日

畑を通して、自然から多くのことを教えてもらっています。少し前に、いろいろなものがつながり、助け合いながら生きているということを書きました。大豆が根粒菌と共生して土を肥やしていること、トマトと大豆が水の量を調節し合っていること、大豆がとなりに生えた草を頼りにしていたことなど、虫が葉っぱを食べに来ても、作物の他にいろいろな植物があると均等に食べるので結果的には作物の被害は少ないということなど、私が見聞きして知ったことだけでも、いろいろあります。気がついていないところで、もっともっとたくさんのつながりや助け合いの関係があるのだと思います。虫どうしの関わりや、虫と植物のかかわりなどがたくさんあるはずです。

まして、落ち葉の下や地面の中には想像もつかないくらいの多種多様な生物がつながり、助け合って生きているはずです。私が想像できるのはミミズやセミ、カブトムシなどの幼虫、アリ、ダンゴムシ、ムカデ、ヤスデ、クモ、カニムシやヨコエビなどがいるかなということくらいです。目に見えるものでももっとたくさんいるでしょうし、目に見えない菌類なども含めたら、想像もできないくらいのいろいろな生物が生きているのだと思います。そしてそれぞれが何かしらつながり助け合っているのだと思います。

つながり、助け合っているということは、それぞれが自分の役割を果たしているということです。つまり、意味なく無駄に存在しているものはないのです。ただ、自然のつながりや役割に気がつかない、知らない人間が自分の都合だけで、「いる」「いらない」と勝手に決めつけてしまっていることが多いのです。

それぞれが、自分の役割を果たすことで全体の調和がとれているのが自然の姿です。人と人との関係もその方が良いのではないでしょうか。全てがみんなと同じでなくてはいけないというのは、無理があるように思います。自然はそれぞれが自分の役割を果たしながら、調和を保っていますが、そこに目的があるのかどうかはよくわかりません。調和を保つことが目的かもしれません。

人が集まって何かをするときには、何か目的があることが多いと思います。組織となると、理念や目的がないと組織の意味がありません。その理念や目的に向かい、その理念の実現に貢献するために、組織を構成するひとり一人が自分の役割を果たす必要があるのです。みんなが同じことをしていては、組織の意味がなくなってしまいます。ただし、それはみんなが自分勝手に好きなことをすれば良いと言うことではありません。それぞれが自分のやりたいことだけをやりたいようにしているのでは、組織の意味はなくなり、解体してしまいます。理念を実現することに全員が向かう必要があるのです。

オーケストラだっていろいろな楽器があり、各楽器がそれぞれの音色でそれぞれの旋律を奏でることで音楽が成り立ちます。みんなが同じ旋律を演奏したらオーケストラの意味がありません。しかし、楽譜もなくみんながバラバラな音を出しては音楽どころではなくなります。

組織など人が集まって何かを行う場合、みんなが理念という方向をしっかりと向き、それぞれの特性を活かして役割を果たし、お互いに認め合い、助け合う保つことが必要ですし、そこにこそ喜びが生まれるのだと思います。その喜びから生まれるひとり一人の力はより強いものとなりますし、その力が理念という一つの方向を目指す組織の力を何倍にもするのです。

みんな同じではなく、それぞれが自分の役割を果たし、調和を保っていることを畑の生き物たちから教えてもらいました。

2012年8月28日

・ごはん

・鰤の照り焼き

・野菜のごま和え

・豆腐のみそ汁